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【読書感想】エヴゲーニイ・ザミャーチン 『われら』

 今回の一冊はこちら。



読書感想

 わたしとしては、こういうことを考えたーーという内容を含みます。

 ネタバレがありますので、ご注意ください。


 1920年に書かれた、ディストピア小説。

 緑の壁に囲まれた、全体主義の街。

 音楽も何もかも数学による秩序が敷かれており、すべての個人は「われら」として全体に尽くす。

 恋人と愛し合うのも、薔薇色クーポン制。

 主人公は、社会の素晴らしさを宇宙に広めるために、宇宙船を作る技工士。

 宇宙の知的生命体へ向けて、「われらの社会を広める」ために書いた手記。

 それが本作という仕組みになっています。

 作家のザミャーチンはソ連出身で、本国で評価されずに亡命した経歴を持つ。

 全体主義社会を讃える比喩が数学で、苛烈な称賛にゲンナリすることなく読める。

 で。

 ここからネタバレあります。

 ディストピア小説である以上、反体制の勢力が出てきます。

 レジスタンス的な。

 ただし、ここで。

 この小説のいちばんの特徴が効いてます。

 主人公は「出来事に流されるだけの小市民」。

 だから、反体制の活動に合流していくことはない。

 決意もなければ、意志もない。

 流されて、流されて、流されて。

 最後には、「想像力を失って完璧な市民になる」手術を受けて、教化されて終わる。

 見事な、バッドエンド。

 でも。

 わたし的には、反体制に合流してもこの主人公は幸せになれねーなーと思う。

 この結末が実は、いちばん「流されるだけの小市民」としては幸せなのかも。

 なぜなら。

 主人公は、反体制派のアグレッシブな女性に出会って、惹かれる。

 そして、恋人を捨て、家族と信じていた親友を捨て。

 あれだけ誇りにしていた仕事もサボるようになる。

 体制に反対しているわけではなくて、彼女の属性がそうだから協力せざるを得ないだけ。

 それって、もはや愛ですらない。

 ただの、盲目的な追従。

 そう、全体主義社会の代わりに、異端の香りをもつ女性に信仰の対象を変えただけ。

 そして、深みにハマっていく。

 それだけ。

 だから、この小説では支配者「慈愛の人」の正体は不明。
 最後の方にちょっと出てくるだけ。
 結構、フツーの人間ぽいけど……。

 反体制としての活動なんて何もしてない。

 もし、この反体制波の実力行使が実って、資本主義の民主主義社会になったとしよう。

 この主人公は、同じ口で「カオスが戻ってきた。数列として並んでいたかれらは、解き放たれ自由なあなたとわれに分たれたのだ。この自由こそが、この精神を尊ぶ我こそが、真の解放の結果である。かつてのような整然とした不気味さを過去に、あなたとわれに分たれた我々はカオスを謳歌し、ここに真の市民を体現する。我々が新しく作る社会は、理想郷となり永遠に栄えるだろう」とか言いそう。

 で、これって、全体主義を称賛するのと、どう違うんだろう?

 信仰の対象が変わっただけで、中身は変わってない。

 その中身、人間性というのは、一つのものを無条件に称賛し、自分の意思で考えていないってこと。

 つまり、西洋社会でもてはやされる「自己決定権」。

 これがない人間ってこと。

 自分の意思で自分の処遇を決める。

 この主人公と同じく、流されてもいい。

 ただし、それは、自分の意思で「彼女に溺れて後は野となれ山となれ。どこまでもついていこう。しかるに、だから今は何もしない」と決めることが、第一。

 反対制に決別して、ディストピアに残ってもいい。

 「今ある秩序を反復させたら、仕事も恋人も親友も失う。本当の自由、なんていうものはあるのか。別の社会には別の束縛があるだろう。よりひどくならない保証はどこにもない。自分はこの社会の束縛のなかで、仕事に打ち込み、恋人に癒され、親友と笑い合って幸せである。この幸せが他人に与えられたものだとしても、それを守ることの何が悪だろうか?」と。

 主人公は、何も決めれない。

 ただ、何も決めず、何も考えず、流されるだけ。

 だから、反体制に合流もできず、ただ社会の言いなりになる。

 でも、最後に社会と同化して幸せを感じている。

 流されるだけの人間としては、それがいちばん、幸せな結末なのかもしれない。

 それが、「自己の幸せ」を一切考えることのしない人間の末路なのかもしれない。




つながる、読書案内 〜ディストピア小説〜


 ディストピアとは。

 「反理想郷」

 「暗黒社会」

 産業革命や、社会主義が台頭してきて現実味を帯びた、「人の意思が無碍にされ、ただただ称賛を浴び、理想郷とされいてる社会」

 機械というものが人類の社会に出てきたときは、それは高級で精密で、一品一品のオーダーメイド、人類技術の至高であった。

 そのため、「人は精密な機械である」という観念が西洋社会で流行った。

 しかし、産業革命が進み、機械が社会に欠かせないものでありながら、大量に溢れるようになると、この比喩が一気に反転する。

 そして、新たに出現した機械文明の、否定的な、非人間的な部分をクローズアップした未来観が想像された。

 それが、ディストピアであると思う。

 で、それを題材に、そーゆー社会を描くのがディストピア小説。

 新技術に対する恐怖というのは、今なお、ある。

 シンギュラリティとかいうアレね。

 というわけで、今回は新旧のディストピア小説をリスト化して行きます。
 複数の翻訳がある場合は、Kindle UnlimitedやBOOK☆WALKER読み放題の対象を優先的に選んでいます。

 調べたものをそのままリストアップしてるので、ドストライクなディストピア小説以外も含まれるかもしれません。

19世紀以前のディストピア小説

19世紀のディストピア小説

20世紀のディストピア小説

21世紀のディストピア小説ー海外

21世紀のディストピア小説ー日本




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