登る「山をつくる」ということ~can,must,will

石井裕・MITメディアラボ教授はMITに来て、「山に登る」のではなく「山をつくる」のが仕事なのだと気づいたと話している。共感する話である。起業、事業創造においてとても必要な考え方と言えるからだ。そこで「山をつくる」ということについて考えてみたい。

#COMEMO #NIKKEI

「山を登る」というのは既にある「お題」に応えるようなものだ。これに対し、自分が登る「山をつくる」というのは「お題」から自分で考えるのに等しいと言えるだろう。

自分が登る「山」をつくろうとしたとき、人はどのように考えるだろうか?

ある人は今の自分の能力(can)から「山」を考えるかもしれない(現在を「起点」とする思考)。

現在を起点とすれば想像の範囲は狭いものになり、つくられる「山」は低いものになってしまうだろう。周囲にもっと高い山ができて、いずれ周りを取り囲まれてしまうかもしれない。

自分では思いつかないから、周囲の誰かに「どんな山をつくったらよいか?」相談する人もあるだろう。

相談した相手から「こういう山が良い」と言われて、「よし、それをつくらなけば(must)」とした場合、どんな「山」になるだろう?

「山」の高さは相談した相手によって決まるだろう。先の例と同じように相手の思考の起点が現在にあれば小さな山になってしまう懸念がある。

そもそも世界をあっと言わせるようなイノベーションというのは皆が事前に想像できなかったものである。だからこそ革新的と呼べるのだ。

このことからしても、周囲に相談してつくる「山」は高い山にはなりにくいと言えるだろう。

一方で、自分が登りたい(will)「山」は「こんな山!」とすぐに答えられる人もいる。

このような人はどうして自分が登る「山をつくる」ことができるのだろうか?

人は何もない状態からイメージすることはできない

登りたい「山」のイメージ(「こんな山!」)はその人自身がそれまでに得た知識・経験からつくられている。ゆえにそれまでに得た知識・経験の質や量によってイメージされる「山」の高さは変わる

自分で「山をつくる」ことができる人はこだわり違和感、譲れない価値観を持っている。特に高い「山をつくる」人にその傾向が強い。

起業家のような人のなかには自分で「山」をつくり、「山」に登ろうとする強い意志(will)を使命(must)に昇華させる人もいる。

このときの使命は他者から与えられた使命(外的なmust)ではなく、自分という「内」から自分で自分に与える使命(内的なmust)である。

こうしたタイプの起業家は未来をイメージし、絵を描くことができている(未来を「起点」とする思考)。人によっては動画、映像のように未来が見えていることもあるだろう。

彼ら彼女らは今の自分の能力(can)や他者がつくりだす常識(must)を気にしない。

自分の能力が今、仮に十分でなくても他者にその能力を求め、自らも成長することで能力の拡充を図り、自らつくった高い「山」を登っていく。

このように高い「山をつくる」には何が必要だろうか?

やはり未来をイメージする力(想像力)は必要になるだろう。

未来を「起点」に考え、そこから逆算して今、何をすべきかを考えること(バックキャスティング思考)が求められる。

とはいえ、いきなり未来をイメージすることは難しいという人は多いだろう。ではどうするか?

若い人であればまずは「山をつくる」前に「山を登る」ことから始めても良いと思う。

山を登るときに必要なことは何か?主に以下のようなことだろう。

①自分の力量に合った山の選定
②それに応じた装備の用意
③自分に適した登山ルートの選定
④登山当日の天候情報

大まかに言えば「山を登る」ときに必要なことは「自分を知る」ことと「山を知る」ことと言えるだろう。

自分を知り、多様な「山」を知る。世界にはいろんな「山」がある。まずは登ってみたらよいと思う。

このとき気をつけたいのは限界を設けない、多様性を意識するということだ。

安易に限界を設けず、いろんな場所で様々な人に会い、いろんなことを知り、経験する。多様な人と対話をし、多様な意見に耳を傾ける。このとき自分の感情に注意を向けるとなお良い。

他者との交流の中で自分の感情に気づくことで自分のこだわり、違和感、譲れない価値観に気づくことができる

ビジネスの始まりはいつも「違和感」だ。

周囲の人に圧されて自分の違和感に蓋をしてしまうとビジネスアイデアとすることができない。

多様な他者と対話し、自己と対話することを通じて、自分が登る「山をつくる」ことができるようになると思う。







歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。