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コミュニティは苦痛と快楽を往復する手段である(オバラミツフミ)【#1:今月のテーマは「コミュニティ」】

共同マガジン「言葉を共有していく感覚〜ライティング・ミレニアルズ」の第1回テーマはコミュニティ。長谷川リョーに続き、アシスタントのオバラミツフミが担当します。マガジンを始めた経緯については、以下のnoteを参照してください。

「テーマに沿っていれば、何を書いても自由」とのことなので、今回はこれまで自分が所属してきたコミュニティを振り返ります。その上で、コミュニティに対する自分なりの理解を明らかにし、今後どう付き合っていくのかを考えていきます。それでは早速…。

「コミュニティ」には2つの種類がある

「コミュニティ」とは何だろう?と考えてみると、昨今よく耳にするものだけでも株式会社コルクが運営する「コルクラボ」や幻冬舎とNewsPicksが主催する「NewsPicksアカデミア」、株式会社HARESが運営する複業家のためのコミュニティ「HARES COLLEGE」、株式会社inquireが運営を行うなどライティングコミュニティ「sentence」など、サクサク思い浮かびます。Facebookのオンラインサロンも「コミュニティ」であり、それだけ「コミュニティを作る」ことが身近になっているのでしょう。

上記した「コミュニティ」は、ネットワーク上における情報交換やそこから派生する学び、ビジネス機会の創出、もしくはその共同体自体がビジネスになること…を目的としています。意識的に「入会する/入会しない」を決めるのもであり、利害関係が常につきまとうものです。

一方で「コミュニティ」の原義に立ち返ると、私たちは既に様々なコミュニティに所属しているといえます。家族も、仲の良い友人関係も“複数人で構成される共同体”という意味においてコミュニティです。中学時代の友人、高校時代の友人、野球部のメンバー…細分化すれば、かなりの数になるのではないでしょうか。こちらは、利害関係を伴わないコミニュティです。

以下、僕個人の「コミュニティ」に対する考えを整理する上で、利害関係を伴うものを「コミュニティA」そうでないものを「コミュニティB」と定義します。

居心地の悪いサウナ「コミュニティA」

僕は基本的に「コニュニティA」がすこぶる苦手です。議論することや、切磋琢磨すること、情報を共有すること…なんらかの前提の上にあるものなので、そもそも参加することへのハードルがあります。

また、そこには見ず知らずの人がいて、彼らは自分とは全く異なるバックグラウンドを持っている場合がほとんどです。出身地も、口癖も、考え方も、年齢も違います。何を議論するにも、お互いが何者であるかを共有しなければスムーズに展開していきません。あまりにもステータスが違う場合、共通言語を持っていないような感覚を味わうことも少なくない。…まずもって、そんな環境が居心地がいいわけない。

「コニュニティA」で過ごす時間は、ある程度立ち振る舞いを制限してしまうことが多くあります。少なくとも「主宰者-参加者」の構図があり、参加者も参加する目的がそれぞれ異なる。一緒に過ごす時間の経過と共に親密な関係になっていくとはいえ、往々にして息苦しさを感じるものです。

居心地の良いぬるま湯「コミュニティB」

一方、「コミュニティ B」は目的を持って形成されたものではないと思っています。住環境や知的レベルなど、偶然によって振り分けられた薄い壁のコミュニティの中で、引き寄せられるように集合し、自然に厚い壁で仕切られ、形になる。同じ学校、同じクラスの中で派閥が生まれていくのがこの形です。目的なしに形成されるとは言いませんが、少なくとも「コミュニティA」のように心理的ハードルを超えて形成されるものではありません。

結果的に、コミュニティになる時点で既に一定の共通言語を持っています。たとえば、僕の友人について考えてみましょう。地元秋田から上京したメンバーは、東京にきても頻繁に顔を合わせます。特に何か目的があるわけでもなく集合し、その場で意思決定を行い、何かを得ることもなく解散する。その時間で残るものといえば「安心感」や「楽しかった」という感情くらいです。

無意味にも思えますが、ただ、ここには人が幸せに生きるための大切な要素が凝縮されているように感じるのです。利害を前提としない関係だからこその会話があり、行動がある。なぜこうした関係性が成り立つのかといえば、同じ地域に生まれ、家は二世帯で、普段食べるものも似ていて、遊ぶ場所が同じで…と共通項が多いからです。

共通項が多ければ、思考が似てくる。思考が似ていれば、行動も似てくる。横並びの関係で常に入られるかこそ、居心地がいい。

「コミュニティA」と「コミュニティB」の数が人の幸福度を決める

僕にとっての「コミュニティ」は、大きく分けると上記した2つ。その上で、自分や自分の身の周りの人、地元に残る友人がどのようなコミュニティに所属しているのかに思いを巡らせてみました。

まず、自分。冒頭で紹介した複業家のためのコミュニティ「HARES COLLEGE」やライティングコミュニティ「sentence」など、「コミュニティA」にも所属しつつ、もちろん数多くの「コミュニティB」を持っています。一週間の間、一日の間にもコミュニティを行ったり来たりしていることがほとんどです。また、自分の身の周りの人の多くもそう。人は身近な存在に影響を受ける生き物だと思うので、僕の行動も誰かしら身の周りの影響を受けているからこそのものだと思います。

さて、地元の友人はどうだろう。もちろん会社と自宅を行き来する意味で「コミュニティA」と「コミュニティB」を往復しているともいえますが、より「コミュニティB」に偏っていることがほとんどです。Instagramにアップされる写真はいつも同じ店で、なおかつ同じメンバー。新しい出会いはないにせよ、緊張感は皆無で、どこまでも幸せそうに映る。みんな相変わらずで、Twitterに書き込む愚痴もいつも同じような内容です。

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経営コンサルタント・大前研一さんは「人間が変わる方法は3つしかない。ひとつめは時間配分を変えること。ふたつめは住む場所を変えること。みっつめは付き合う人を変えることだ」とおっしゃっています。

……要するに、この3つを変えなければ人は変わらない。所属するコミュニティを変えると、必然的に時間配分と付き合う人が変化します。

地方は一般的に「閉鎖的」な特徴があり、コミュニティが変化しにくい。転職も当たり前ではないので、いつも気心知れた仲間と、心の平穏を保ったまま幸せに暮らすことができるのです。

こうしたコミュニティの形を、山口揚平さんは著書『10年後世界が壊れても、君が生き残るために 今、身につけるべきこと』で解説しています。

大きな枠組みでコミュニティを分け、どこに所属するかで人生が別れていくというものです。

僕が所属するコミュニティは、おそらく「都市下位層(の下の方)」。「人生を受動的に生きる、常に不安を抱いている人物」に当たります。とても褒められた生き方をしているとは言えません。

もちろん都市上位層、何なら地球市民層くらいまで行きたいですが、上に登るのには苦痛を伴います。行動し、知見を得て、知性を身につけ、失敗し、恥をかき、それでも成果を出さなければコミュニティをまたぐことはできないからです。

自分がどこに身を置くかは個人の自由ですが、本来は誰だって上へ、上へ…と登りたい欲求があるのではないでしょうか。「上に登りたくない」と思う人は、ただ、そう思わせてくれるような人に出会えなかったことや、先々の困難に触れようとしていないだけで。特に地方の場合、そういったことが往々にして起こりやすいと思います。

正直な話をすれば、もともと地方に生まれた僕は、地方層として今でも秋田で幸せに暮らしていた可能性があります。家から近い会社に就職して、早い年齢で家族を持ち、稼いだお金は車か飲み会、家族のためだけに使っていたかもしれない。そもそもフレッシュな情報に触れることもないため、誰かの生活が羨ましくなることもないでしょう。要するに、むちゃくちゃ幸せな人生です。

ただ、それなりに苦労を味わう前提で、自分の可能性を試したいとの思いから上京し、未経験のままライターを志し現在はリョーさんの弟子になりました。ライターとして、大きな目標もあります。

話がごっちゃになってきましたが、つまり、「コミュニティB」に重きをおいて生活すれば、成長のストップと引き換えに幸福を得ることができると思うのです。しかしその分、平均を上回る給与を得ることや、社会的ステータスを得ることは難しくなります。目標を持つことさえ見失ってしまうかもしれない。

僕が「コミュニティA」にも所属する理由は、苦痛を味わってでも、居心地の悪さを感じても、上に登って行きたいから。先々の苦労を考えたら心が折れそうではありますが、しかし同時に、苦労の少ない人生はあまりにもつまらないとも思うのです。ただ、「コミュニティA」だけに所属して生きていく自信はありません。

「まだまだだね」とげきを飛ばしてくれる「コミュニティA」と、「最近頑張ってくれるね」と声をかけてくれる「コミュニティB」があるからこそ人生が成り立っている。

「コミュニティA」に所属しても、人間関係をつくろうと努力し、同じ時間を共有し、コミュニティメンバーと肩を並べるまでの人材になれば、おそらく「コミュニティB」が持つ“拠り所感”を得ることもあるでしょう。そうしたら、今度はより厳しい「コミュニティA」に足を突っ込む。僕は、これこそが人間の成長のあらましであり、人生そのものだと捉えています。

「毎日本当に楽しくて、苦痛がなくて、幸せだな」ということは、裏を返せば「コミュニティA」に身を置く機会が不足していることに他ならず、そのまま緩やかに死を迎えることになる。

僕にとって人生の幸福は「尊敬できる人と仕事をすること」「目標をかなえ続けること」の2点。この二つの要素を知ったのは、住む場所と付き合う人を変えたからです。この二つを変えなければ、おそらく先々にあるより大きな幸福を知らないまま「毎日が幸せだ」と思って暮らしていたと思います。どっちが良かったかは、今も分からない。

普段お世話になっている複業家の西村創一郎さんは、自身のブログ NOW OR NEVER「人生における選択肢について、「模範解答」なんか存在しない。
正解なんて、ない。できるとするならば、自らが選んだ選択肢を成功に導くように努力するのみ」
だとおっしゃっていました。

コミュニティは選択肢を成功に導く手段の一つです。苦痛と快楽を往復し、自分に負荷をかけ続ける有効な手立てになる。「コミュニティA」と「コミュニティB」の掛け合わせで人生がつくられていくことを強く意識できればと思います。

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