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彼女はフランシスアルバートを味わったのか

彼女は僕が出会った中で最も酒が強い女だった。

とにかく強い酒を好み、それを最後の一口まで味わう彼女とある夜にバーカウンターで隣合わせたのを覚えている。

僕がジントニックとギムレットを味わう間に、彼女はロングアイランドアイスティーからはじまり、マンハッタン、アースクェック、スレッジハンマーを味わい尽くし、一息ついた後にフランシスアルバートをオーダーした。

少し酔った様子の彼女は、そのグラスを傾けながら僕に言った。

「フランシスアルバート、バーラジオの尾崎さんのカクテルね。あなたはラジオに行ったことはある」

「年に1回はラジオに行くけど、フランシスアルバートはオーダーしたことはないな」

フランシスアルバート。フランク・シナトラに因んで名付けられたそのカクテルは、タンカレーとターキーをステアするだけだ。銘柄まで指定された49度のカクテルは、作り手にとっても飲み手にとっても手強いはずだ。

「わたしは尾崎さんには会ったことはないけれど、いつかバーラジオで尾崎さんのフランシスアルバートを味わいたいの」

「だからフランシスアルバートを」

「そう、フランシスアルバートを知り尽くしてから最後に尾崎さんに作ってもらうの」

彼女はそう言うとフランシスアルバートに向き直り、それを味わった。

バーラジオのカクテルブックには、塩野七生や村上龍、村上春樹が寄稿文を書いている。
一時期のバーラジオには、著名人が集まり尾崎さんと語らうような時代があったが、今では尾崎さんは一線を退き、月に数回カウンターに立っているだけだ。

彼女と会ってから僕は僕でフランシスアルバートが気になっていた。

その年の夏、バーラジオに行くとタイミング良く尾崎さんがカウンターに立たれていた。
彼女の想いを踏まえた僕は、彼女に連絡をしようとしたが留まった。彼女は彼女のタイミングでバーラジオに行くだろう。

一杯目にサイドカーを味わった後に、彼女のことを思い、次のオーダーを決意した。
「フランシスアルバートを」
「アルバートを」バーテンダーは尾崎さんの耳元で確かにそう言った。

「ステアしていると液体にとろみを感じる瞬間があるんです。それを感じるまではステアを続けます」
他の客と話していた尾崎さんの視線が瞬時に切り替わった。

フランシスアルバート。冷徹なタンカレーがその冷たさで荒々しいターキーを抑え付けているような味わいだ。やがてターキーが冷たさから逃れて暴れ出し、揺さ振りを掛けてくる。それは49度というアルコール以上に、容赦なく危うい揺さ振りだ。

ゴードンとジャックダニエルならばどうなるのかと頭をよぎる。だが尾崎さんは数あるジンとバーボンの組み合わせからタンカレーとターキーを選んだのだ。

それから数ヶ月後に尾崎さんは亡くなったから、今ではそのレシピの意図を聞くことは叶わない。

もしかしたら尾崎さんの最後のフランシスアルバートを味わったのは自分かもしれない。その可能性は十分にあり得るが確かめようもない。

その可能性により僕にとってのフランシスアルバートは高尚であり続けるが、それは単なる感傷なのだろう。

もしくは尾崎さんのフランシスアルバートを最後に味わったのは、彼女かもしれない。










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