藤田七七

BARや酒場の男女のアレコレを書いてます。

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本当に美しい人との夜に

美しくありながら自由に生きている人ほど魅惑的な人はいない。ならば私が知る本当に美しく自由で魅惑的なのは2人だけだ。 1人は「ティファニーで朝食を」でオードリーヘップバーン演じるホリーゴライトリーでもう1人はバームーンリバーのオーナーだ。 彼女は、週末の夜には開業医の旦那と自らが経営するバーに飲みにきていた。 早い時間にはワインボトルと共にディナーをゆっくりと味わいながら静かに飲んでいるが、24時を過ぎてカウンターがなじみの客だけになると彼女は女王として覚醒する。 夜が深

    • 30年振りのバーに訪れたある女の話

      わたしはその夜、30年振りに訪れたバーでギムレットをオーダーした。 音もなく飾り気のない空間。相手の斜め前に立つマスターの姿勢。大きくはないがよく通る声。博学ではあるが嫌味のない語り。わずかに聞き取れるカウンターの会話。そしてマスターが作る一級品のカクテル。30年前と変わらない青月のバーカウンターでは、中田さんがシェイカーを振っている。 あの頃と違うのは、となりにいるのが酒の強い盛んな男ではなく、二十歳になったばかりの息子ということだけだ。 わたしは、息子が成人を迎えた

      • 「酒場の文章を書いてほしい」とバーテンダーに言われてから

        僕が文章を書きはじめたのは、あるバーテンダーに「酒場の文章を書いてほしい」と言われてからだ。 かれこれ10年以上前になるが、当時よく行っていた新宿のバーでのこと。 バーテンダーから季節のカクテルを作るからテーマを考えて欲しい、と言われた代わりに文章のテーマを考えて欲しいと返すと、彼女は「酒場の文章」と答えたのだ。 当時まだ20代半ばの彼女が、バーでも居酒屋でもなく「酒場」と言っていたことを今でも覚えている。 「酒場の文章」というオーダーに対して僕が書いたのは、バーテンダー

        • 彼女はフランシスアルバートを味わったのか

          彼女は僕が出会った中で最も酒が強い女だった。 とにかく強い酒を好み、それを最後の一口まで味わう彼女とある夜にバーカウンターで隣合わせたのを覚えている。 僕がジントニックとギムレットを味わう間に、彼女はロングアイランドアイスティーからはじまり、マンハッタン、アースクェック、スレッジハンマーを味わい尽くし、一息ついた後にフランシスアルバートをオーダーした。 少し酔った様子の彼女は、そのグラスを傾けながら僕に言った。 「フランシスアルバート、バーラジオの尾崎さんのカクテルね

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        本当に美しい人との夜に

          青い月夜に出会った女

          ある女を思い出してブルームーンを味わった。 青い月という名のカクテルだが、作り手により色合いが違うのは、月灯りが角度によりその趣きを変えるように、バーテンダーによりレシピが異なるからだろう。 あるいはレシピは同じで、僕の心境がそれぞれの色を映しているのかもしれないが、そんな不安定な年頃はずいぶんと前に過ぎ去った。 青い月夜は非常に珍しいことから 「Once in a blue moon」は「稀なこと」と訳される。「稀な夜に」と意訳しても良いかもしれない。 そんな青い月

          青い月夜に出会った女

          今夜、すべてのバーで

          1度だけしか行くことがなくとも素晴らしいバーがあれば、何度も行きたくなる大好きなバーもある。 同じく1度だけしか読んでいない素晴らしい小説もあれば、何度も読み返したくなる小説がある。 中島らもの『今夜、すべてのバーで』は自分にとってそんな小説だ。 小説を再読することの良さは、物語を通じて以前読んだときの自分との変化に気付けることだろう。 初めてこの小説を読んだときの自分は、酒を飲むことだけで満足していたが、今の自分は酒を味わうことに魅了されている。それは大きな変化だ。

          今夜、すべてのバーで

          華麗な虚偽と薄汚い真実、どちらを愛するか

          「華麗な虚偽と薄汚い真実、どちらを愛するか」 最後のページにそう書かれた本を3冊買い、3冊ともに行方が分からないまま今に至る。 1冊目は限りなく恋人に近かった人に貸したままで、2冊目はひどく酔った末に青山通りから道路に向かって投げ捨てて、3冊目は記憶にない。 上手く探せば本棚の奥底から見つかるかもしれないし、見つからなくともその記憶に触れられるかもしれない。 その本を貸した彼女は「薄汚い真実の方がまし」と言いながら、バーボンウイスキーをストレートで流し込んだ。 彼女は

          華麗な虚偽と薄汚い真実、どちらを愛するか

          唯一無二のマティーニ

          マティーニをオーダーするハードルは年々高まっているけれど、その夜は最後にマティーニを味わうと決めていた。 「蒼月」人通りの少ない路地裏を歩いていると、どこかで聞いたことのある名の看板を見かけた。 古い記憶を呼び覚ますとあるバーテンダーの言葉に行き着いた。 数年前、私が色んなバーのマティーニを味わっている頃、ある信頼するバーテンダーが私に教えてくれたのだ。 「マティーニが好きであれば、蒼月のマティーニを味わってはいかがでしょう。唯一無二のマティーニですから」 そう言うとバ

          唯一無二のマティーニ

          絶望した男

          朝目覚めてTwitterを開いたら、僕には逆立ちしても書けない文章が綴られていた。寝ぼけた頭でも藤崎が書いた文章だとすぐに分かった。 藤崎が見た世界は寸分狂いなく文章に置き換えられていて、どこまでも正確に描写されたその文章は、毎朝飲むコーヒーの代わりに僕の眠気を覚まし全身を覚醒させた。 藤崎にしか書けないその文章は、正確で隙がなく真実で満ち溢れていた。それは僕を覚醒させると共に奥底に眠っていた不安を煽った。自らの不安を紛らわすように僕は溜め息をつき、マンションの屋上に登り都

          絶望した男

          忘れられない夜

          バーで飲んでいるとたまに忘れらない夜が訪れることがある。その地方都市のバーで飲んだ夜も僕にとって忘れられない夜となった。 「マスター覚えてますか。オレ20年ぐらい前にね、マスターと会ってるんですよ。ほら、マスターが新車買ったときによく寄ってくれていたコンビニの店員だったんですよ」 2年振りに訪れたバーで飲んでいると、男が僕の隣に座るなり馴れ馴れしくマスターに話しかけた。 男は近くの店で飲んでいたようで、昔話の流れでマスターのことを思い出し、はじめてそのバーに訪れたようだ

          忘れられない夜

          本物の価値を知っている女

          良質な物の価値を知るには良質な物に触れ続けなくてはならない。 そんなことを学んだ夜だった。 「ねぇ、次は蒼月に行こうよ。あなたが大好きなでバーでマティーニを味わいたいの」 表参道のイタリアンを出ると加奈子は僕に寄り添いながらそう言った。 いつか加奈子と蒼月のカウンターでカクテルを味わいたい、という想いが叶う嬉しさを隠しながら僕は言葉なく頷いた。 そしてわざわざワンメーターの距離をタクシーで乗りつけて、成り行きというには出来すぎたように僕らはスマートに蒼月のカウンターに並

          本物の価値を知っている女

          本当の愛に触れるには早すぎる

          「30代が人生で最も楽しい時期だった」と40代の自分は思っている。 50代になっても60代になっても「楽しさ」を基準にすれば、30代には敵わないだろう。 今振り返れば、30代の僕は自由を最大限に謳歌していた。 稼いだ金の大半は酒や旅行や車や服に費やし、気になる酒場には東西南北関わらず足を運び、たくさんの酒を味わい、色んな人に出会い、いくつかの奇妙な体験を経て、何人かの素敵な女性と巡り合い、淡い夜を過ごしたこともあった。恋愛では深く傷つくことが多かったけれど、その痛みと真に向

          本当の愛に触れるには早すぎる

          マティーニのオリーブと別れた女

          あるバーテンダーが「最もマティーニが美味い」と言っていたのは青月のことだった。 厳密にはそのバーテンダーは、空のミキシンググラスの中でバースプーンを回しながらこう言った。 「今まで色んなバーテンダーのマティーニを味わってきましたが、青月のマティーニより美味しいマティーニに出会ったことはございません。そしてこの先もそれ以上のマティーニに出会うこともないと信じております」 バーテンダーの言葉を思い出し、わたしは住宅街の合間に密かに佇むバーに訪れた。 カウンターの右端では女

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          愛さえ凌駕する女

          今までに何人もの女と出会い、それなりに心惹かれることはあったが、由貴ほどに僕の心を奥底から揺さぶった女はいない。 由貴と知り合ってからの7年間、彼女は常に僕の心のどこかしらに潜んでいた。それは恋の真ん中だったり、信頼する異性の位置だったり、ときには由貴を忘れようと心の片隅に寄せていたこともあったけれど、彼女が僕の心から離れたことはなかった。 その7年の間に僕は2人の恋人と付き合い、共に真剣に向きっていたが、その間にも由貴は僕の心のある部分を占めていた。それは僕の心のとても

          愛さえ凌駕する女

          30代で酒を飲み続けて学んだこと

          多く人にとっての20代が最も自由に行動できる時期ならば、30代は独身である限りは最も自由に金が使える時期だろう。その30代に僕は年間360日以上は酒を飲み、メルセデス・ベンツのGクラスを買っても釣りがくるほどの金を酒に費やした。その見返りとしてメルセデス・ベンツの市場価値以上に世界が広がったと思っていた。そしてそれが思い込みであることに気づいたのは30代も残り半年を切った頃だった。 とにかくそんな30代に僕は多くの酒飲みに出会ったが、酒場に戯れる輩は男も女も曲者ばかりだった

          30代で酒を飲み続けて学んだこと

          別れた女とウイスキー

          「あなたは頭で考えたことを話しているけれど、わたしは心で感じたことを話しているの」 午前3時、別れ話の長電話の末に彼女は言った。 「あなたは何が正しいかを軸に物事を考えている。だから仕事では成功したのね。同情や嫉妬や後ろめたさを感じて、後から理由付けをして判断の軸がぶれる人はいるけれど、あなたはそのような感情に敏感でいながらも、惑わされることなく常に何が正しいかを軸に判断してきた。それはあなたが大人になるに連れて身につけた術のひとつだと思う」 僕は黙って彼女の話の続きを

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