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野良ランナー、大衆浴場で戸惑う。

銭湯へ走る。
家から4kmほどの距離にある、流行りの大衆浴場を目的地に決めた。

銭湯が戸を開け始める午後4時前、Googleマップに連れて来られたのは曇り空の住宅街だった。
連休最終日だからか、歩行者や自転車がいつもより多い。
夕飯の買い物をしている人、近所を散歩しているであろう肩の力の抜けた服のカップル、きっと遠出を終えて家に帰る人。
誰にも迷惑をかけないであろう一本道を頭の中に描き、避けながら走る。
「走る場所」ではなく、あくまで「走ることを許されている場所」を走る野良ランナー的な楽しみは、観察して、想像したり妄想したりしては、走ったり歩いたり撮ったり寄り道したりする、の繰り返しである。

築80年を超えるその大衆浴場は、鍵のかかった靴箱を見つけるのがやっとのレベルで混雑していた。

シャンプーやらお湯やらが飛んで他の人にかからないよう慎重に身体を洗い、なんとか空いている湯船につかる。隣の人とはギリギリ肩が触れない距離で、最近の電車に乗っているようだ。
この銭湯は交互湯というものが有名で、あったか~いお風呂と、つめた~いお風呂を交互につかると、きもち~い、という事らしい。

まずは観察だ。あったか〜いお風呂はいくつかあるが、つめた〜い風呂、つまり水風呂は1つしかない。つまり、いかに自分の身体があたたまった状態で、水風呂に良きタイミングで入れるか、というゲームが繰り広げられているのである。
何度もこの銭湯を往復したであろう黄色と緑の魚柄のタオルで今日も身体を洗う人、浴場の隅っこの通路に挟まってのんびりしている人。水風呂のすぐ横のお風呂に浸かっている、雑誌のサウナ特集でインタビューされていそうな銭湯が似合いすぎる青年の、焦点のあっていない目。
そこに一切の言葉も無ければ、ルーティーンも人それぞれだ。そもそも自分が浸かっている湯は44度で考え続けるのも辛いし、観察するにしても対象が多すぎる。なんて高度な情報戦なのだろう。日本人が無言のまま上手に整列する様に驚く外国人も、こんな気分なのだろうか。

1セット目は良い波が来たのか、信号が常に青の道を走るように、水風呂に入ることができた。風呂から出て身体を休めるための場所を探すべく浴場を見渡すと、さきほど人が挟まっていた小さな通路が目に入る。なるほど、さっきの彼は身体を休めていたのか。
真似して座り、改めて観察する。何かがおかしい。究極のリラックスを追求する交互湯で、こんなにも頭を使わなければいけないのだろうか。むしろ気疲れする。おまけに、在宅ワークに慣れすぎたせいか、他人の身体への耐性も落ちていて、知らん人の身体達が直で目に入り続けるというのも非常に疲れる。
スマートコンタクトレンズのような、常に仮想現実を楽しめるガジェットが生まれたら、視界に入る人間を全てペンギンに置き換えて欲しい。そんな妄想をしていると、最近観た映画の台詞が浮かんだ。

“Don’t think, Feel”

誰もそんなに難しくは考えていないのではないか。ほぼ、反射のような動作で成立しているのではないか。

そう思い直ってからは順調に進んだ。
まずは自分のルーティーンを決め、その通りに動く。入りたい風呂に入れないなら、その近くでじっとする。すると、それに気づいた入浴中の人が動いてくれる。(ただし、ほどほどに満足していたら)

2セット目、挟まって身体を休める場所が埋まっているので、洗い場で身体を休める。
左からはシャンプーの泡が、右からは身体を洗い流すお湯が飛んできて、かかる。我慢する。

3セット目の水風呂。浴場もさらに人が増えたようだ。
水風呂は壁際に3人並んで浸かると、ほぼいっぱいになる。よって待つ人は、水風呂に浸かる人と向かいあわせになるが、腰までは浸かれず、膝下だけ水に浸している状態だ。
もう数分、このまま水風呂につかってゴールしたい…というタイミングで、正面に3人座る。視界の逃げ場がない。すぐ横にある蛇口を見つめるか?しかし、それだと不自然に湯船に浸かる人たちへ視線を送ることになる。先ほどの青年を真似して、焦点の合わない目でやり過ごそうとする。しかし、それでも無機物でない蛇口が3つ、視界に入る……助けて、仮想現実のペンギン達よ……
一呼吸して、今日の入浴を終えた。


3ヶ月以上髪を切っていないことを主張する金髪にドライヤーの風を当てていると、鏡の奥でおじいちゃんが小銭を撒き散らした。
周りの人が、その音を合図にしたかのように、無言で拾うの手伝う。たまらず、ドライヤーを止めて加わった。
次は、空いていそうな銭湯へ走ろう、と思う。誰にも迷惑をかけないであろう距離感を自分で調節できるぐらいが、私にはちょうど良いのだ。そのためになら、いくらでも走れる気がする。

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