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地震の報道スタイル。


新年早々、大地震。

どんどん緊急性が高い情報に

変わっていった緊迫感。


津波!いますぐ逃げて!

っていう報道の仕方と推移。


現場はまた違う状況を

それぞれが判断しながら

やってるはず、だと思う。


避難はするけど、あとあとの

状況を考えて行動もしてると。


津波の教訓、踏襲強めバイアス。

とにかく逃げて!みたいな報道

避難を続けてくださいってのも。

ずっとその同じ呼びかけ連呼。


当事者たちは逃げるのはわかってる

ただ死亡者がゼロで済む話ではない。

最小限にすべく叫ぶのもわかる。


だが逃げたあとに続く

各自の避難環境を考えて

必要なものとかソッチも

計算も同時にしながら動く。


避難したあとの時間の過ごし方

寒さ、健康面など人によって

いろいろと必要なもの、情報など。


なぜそうするかというと基本的に

国や行政の対応が遅く、十分でない。

だから、ただ逃げても損をするだけ。


これを理解しているし、普段の生活を

急に落とさずに維持するために必要な

ツールも持ち出したくなるんです。


ここ数年大きな地震が多かった地域

たしかに一年で一番緩む元日の昼。

そこにやられた感はあるけれども。


気持ちのどこかに来るかもという

イメージはしていたはずである。

少なくとも当事者以外の地域よりは。


各自、家族や近所、状況判断しつつ

貴重品や毛布、必需品なども持参し

逃げたりもしてるとは思うんです。


何も持たずに逃げてその後に

健康を害したり、空き巣だとか。

不安はいろいろと募るでしょう。


逃げろ、とにかく逃げろ。

(助かって、あとは知らないけど)

そんな思いが見え隠れする。


リアルタイムのSNSの声も見た。

外野の声が逃げろの連呼で

ただ言いたいだけの感じが。


避難者に対しても定型文の

マニュアル通り説明するような

「してください」の連呼。


ちょっと愛情がないというか

味がまるでしないというかね。

やさしく接してるけど冷たい

みたいな、気持ちが無い感じ。


被害状況をとにかく逐一

入った情報を伝えたい気持ちが

優先されてるような報道。


以前からどうにも解せない。

どうやらマニュアルはあるらしい。


だがなんかこう、すごい映像を

衝撃的な映像を伝えたがる欲が

一方で見え見えなのがイタすぎる。


目の前の命を救いたいのはわかる。

だがそこから続く避難生活のため

無理やり従わせざるをえないような

状況に持っていく雰囲気がないか。


中途半端に何でも手を出して

アレもコレもと詰め込んで

逆に嫌われやすいテレビ報道。


たぶんいろいろと分担していけば

もう少し血が通った対応になる。

災害時に上下を統制しすぎて

大事な時間がムダに過ぎていく。


こうなったらこうと決めておく

だけでなく、柔軟に変える発想も。

待たされ続けて状況が悪くなる。

その判断がつかずに立ち止まる。


現場でこういうムダがなくなる

それが一番効果的なのではないか。

仕切ろうとするのが逆効果になる。


どうしても決めたとおりキチッと

やりすぎるきらいがあって

やり始めるとやり通すことに固執。

日本の特徴が出て対応が遅れる。


違う対応すると責任取れない

みたいな感覚もあるからだろう。

上司が責任は自分が取るから

各自が判断して対処せよ、なんて

ドラマみたいなことはない。


命の危険を防ぐための最も重要な

呼びかけではあるんでしょうけど。

ある程度の呼びかけをした「あと」


引き続き、こうしてください。

みたいな、誰に軸を置いているのか

よくわからない処理の仕方。

フォーマットがまる見え。引くよ。


被災者たちにはラジオを配り

情報源を音声だけにするのも

案外、落ち着きをもたらす。


ラジオパーソナリティが

自分の言葉でしゃべって伝える

役立つ情報や心理的ケアなど。


このツールをもっと役立てて

分担するとスムーズになるかも?

もういま既にやってそうだけど。


映像で悲惨な状況を垂れ流すより

血の通った声で聴く、伝える大切さ。

冷静な判断や落ち着きにつながる。

そのほうがまだいい気がしますね。


みんなナーバスになるし、気が立つ。

そんなときに協力しあえるような

ちょっとした避難経験者のアドバイス

経験談などを伝えること。


東日本大震災の避難者の話とか

経験してどういう情報があったら

被災者、避難者の役に立てるのか。


役立つ情報のリアルを伝えるにも

テレビのとにかく詰め込み繰り返し

あのやり方、痒いところ掻けない。

心の込め方や寄り添いが作業的すぎ。


ずっと何度でも定型文を繰り返す。

作業なんですよ、報道する側が。

感情というより仕事のモード強い。


つらい状況の避難者たちにまるで

AIの音声読み上げの棒読みくらいの。

災害時の鉄則なのかもしれないが

鉄則が万事、正しいとは限らない。


いつも最低ラインのところに

重きを置いて、最低ラインを

守れていたら良しとして、

他は仕方ないと考えてる。


全部はできないから、最低限を。

でも一番多い層は、そこじゃない

不便をガマンさせ待たされる。


そこを仕方ないとするのか

別の方法や考え方、体制の見直し

それで改善できる可能性もある。


その多くは分担して分散させると

効果やスピードが全然変わるはず。

待たされることでの二次被害が

見過ごされてしまっていないか。


他地域の視聴者に細かい

専門的説明や集めた数字を

テレビで垂れ流すくらいなら。


被害のない地域の視聴者は

極端な話どうでもいいですよ笑

テレ東のように切り替えても

なにも悪いことではない。


私たちは被害がないんだから、

まずは被害地域、その実際の人を

何より優先して情報提供を。


現場に情報や必要なことが

行き届いて動かせているなら。

でもテレビからはその動きが

外野の私たちには伝わらない。


外野に向けて状況がどうだとか。

たとえ離れた家族が心配していても

それより避難者自体に必要な情報を

重視して伝えることが一番必要で。


業務を分散させて全体の機能性を

高めることも重要なのではないか。


伝えることがないからといって

気象庁の会見の専門的地震解説を

流すくらいなら、避難者に必要な

情報を入れ続けたほうがマシ。


あるいはその分野をラジオ中心に

任せていく連携ができれば。

避難したことで生まれる精神的

肉体的負担を避難者も緩和できる。


テレビの放送内容を見ていると

外野にドキュメンタリーっぽく

被害状況を報道してることって

外野の他地域のためになるけど

避難者のためではないでしょ?


ほとんど多くの避難者はその次の段階

そっちの情報に注視しているはずだが

逃げろ、逃げろばっかりだった。


その状況でどう過ごすと助かって

健康を害さないために何をすべきか

もし音声などで聴いているならば。

リアルに必要な情報をその人のために。


テレビよりスマホを通じた機能や

ラジオなどのほうが実際の手に近い。

テレビは固定した位置にあるが

スマホなどのツールは手元に近い。


避難状況によってどういう行動をして

互いに助け合えば寒い中で健康を害せず

状況を確認しあいながら助け合えるか。


地震の分析とか会見を垂れ流すのは

避難者にとってはあまり意味がない。

それを報道するならもっとあとで。


「想定しうる避難者の現状」での

すべきことや、注意すべき情報を

提供すべきではないのか?


何かこれを伝えたいとかありますか?

そう記者会見で問われて話した気象庁

職員は、なんと地震の呼称を答えた。


そういうとこですよ笑、それは君らが

仕事するために必要な情報であって

避難者や救助を待つ人のための情報と

なんにも関係がないし、いまソレ不要。


記者も気象庁も仕事の姿勢が優先され

本質をまるでわかっていないように

見えてしまって、ちょっと恐ろしかった。


これだと首都直下型なんかが起こると

もっと被害者や避難者が多く出る。


そのとき必要なのは地震の呼称や分析

被害状況の繰り返し、逃げろの連呼?

大丈夫ですか?考え直さなくてもOK?


決めたことや通常のルールを

無意識に優先して間違えていないか?

いま一度、災害時は人の気持ちを

考えてやるべきだろうと。


遅れましたが、今年もよろしうに。







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