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唱えることは捉えること

その時その瞬間に感じることは、自分自身で蔑ろにせず大切にしたいと常々思う。それが積み重なって自分が形成されているし、それを最初から大切にできるのは自分しかいないからだ。

そうして感じたことは前向きなのか、はたまた後ろ向きなのか。その捉え方の違いは他人によって気付かされることが多い。

もはや、自分だけでは気づけないことばかりが、ひたすらたくさん、周りに転がっている気さえする。どんなに1人が好きであっても、人間は誰かとのかかわりの中で生きることからは逃れられないようにできているのだろうか。

天気の捉え方ひとつとっても、見えてくるものがある。同じ環境にいても、雨が降って大変だったと捉える人もいれば、雨が降ったから虹が見えてラッキーだったと捉える人もいるから不思議だ。

わたしはどちらかというと後者で捉えることの方が多い。仮に虹が見つからなくても、探す過程で勝手にわくわくするタイプだ。

自分だけの感覚では、感情の浮き沈みも大きかったりするし、なんとなくネガティブなほうかなと勝手に思っていた。でも、具体例を振り返ってみると、良いように捉えようとする気持ちは比較的強いほうなのかもしれない。

もちろん、全てを良いように捉えられるほど強くはない。そんな風に捉えようとする力を鍛えることが、生きる上での修行ポイントのような気もしている。

わたしのおじいちゃんは、日記の最後にいつも決まって、「ついてる」と書いていたそうだ。それを母から聞いたときは本当にびっくりした。

その日どんなことがあっても、その言葉をつかう、その気持ちを想像するだけでもなんだか力強さを感じずにはいられない。かっこいいなと思った。

「今日もついてる!いい日だ!」

唱えることはきっと、そう捉えようとすることだ。わたしもおじいちゃんを見習っていきたい。

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