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資本のエントロピーは減少するからヤバい

就寝26:00
起床10:00


随分前に書こうとして書けなかったテーマを今日は書いてみる。
書く自分にとっても骨太やし、読む方にしても大変やと思うけどついてきてもらえるとめっちゃ嬉しい。
資本主義をエントロピーの観点から論じて資本主義に限界が来てるんじゃないかって主張したい。
うーん、しんどそうやなー。

まずエントロピーについて色々と説明したい。
この説明をちゃんとしないとこれから僕が論ずることもできないから詳しくいきたい。
まずエントロピーはざっくり言うなら乱雑さだ。
無秩序さや、均一さとも言える。
そして自然界にはエントロピー増大の法則がある。
これは物体や熱のエントロピーは増えていって、逆に自然に減っていくことはないってこと。
例えば部屋はちゃんと掃除をしないとどんどん散らかっていくし、汚れも溜まっていく。
部屋はどんどん乱雑で、物のない場所は消えていって、無秩序になっていく。
これは物エントロピーが増えていっていることを意味する。
逆に掃除もせずに部屋が勝手にキレイになることはない、物エントロピーがひとりでに減少することはない。
熱湯と冷水を混ぜると熱が均一な熱エントロピーの増えたぬるま湯ができる。逆は起こらない。
またエントロピーを下げるにはエネルギーが必要だ。
例えばエアコンは電気エネルギーを消費して、室内と室外に気温差を作る、つまり熱エントロピーを下げる。

生きるってことはエントロピー増大の法則に抗うことだ。
もっと言うと低エントロピーのものを環境から取り込んで高エントロピーにして吐き出すことで僕らは生きている。
例えば食事は低エントロピーなものを体内で分解して高エントロピーな状態に変えてエネルギーを取り出すことだ。
そして排泄は高エントロピーなものを体外へと排出して体内の物エントロピーを下げることだ。
そうして生命という秩序だった乱雑さとは間逆なシステムを維持している。
逆にエントロピーを下げることのできないシステムは維持不可能だ、端的に言えば死ぬ。
例えば腎臓がどちらもダメになった人は自分で排泄して物エントロピーを下げれない。機械の力を借りて透析をしないとしんでしまう。

また環境は高エントロピーな物や熱を低エントロピーな状態にするシステムって定義できる。
例えば微生物は排泄物や死体などを生命が利用可能なものに変えて発酵させることで物エントロピーを熱エントロピーに変える。
そして発酵で出た熱などの熱エントロピーは、水が蒸発時に気化熱を奪って上空で雲になって凝縮するサイクルで地球外に放出される。
このように環境はエントロピーを低下させてくれるシステムであり、エントロピー増大の法則に抗って生きていく僕たち生き物は環境抜きには生きていけない。

と、ここまで長々とエントロピーや環境の話をしてきた。
次はエントロピーの観点から資本主義を論じたい。
まず資本主義はこのシステムそのものが自然界と対立している。
それはなぜか。
資本主義では資本(金)のエントロピーは増えるのではなく減るからだ。
資本主義においては金は力、権力だ。
金を持っているほど多くの物を扱い人を働かせ大規模な仕事ができる。
また金持ちほど効率的な金の稼ぎ方を知っていることが多い。
こうしてより多くの金が金持ちに集まる。
現在はGAFAなどの大企業がこの世の資本のほとんどを持っている。
この金が集約的な状況は金についてのエントロピーが減少し続けている状態だ。
自然界での物や熱に対して真逆の現象が起きている。

今まで資本はどんどん増大してかつエントロピーは減少してできる仕事の大きさも増え続けてきた。
今日では人間のする仕事のデカさ、そしてそれに伴い出る汚れ(エントロピー)に対して地球が耐えられなくなってきた。
それは地球の大きさや資源の量が有限だからでもあり、また環境のエントロピーを減らす力が人間の汚す力に追いつかなくなってきているからでもある。
これは資本の無限に増えかつエントロピーが減るという性質が、物や熱のエントロピーの性質と対立するせいでもある。
よって資本主義で現代の社会が成り立っている限り、環境問題というのは解決されることはないと思う。
またいずれ資本主義というのはこの物理的な世界に対してのミスマッチさから限界が来て崩壊するように思う。
食えるものが死ぬほど貴重なときにはお金を払っても貰えることは稀だろう。
(ここらへんの話ってメドウズの「成長の限界」とかが参考になりそう。)

僕はどうしていこうか。
あんまり気にし過ぎない方が良いように思う。
そもそも資本主義自体が出来上がってから数百年程度の経済システムなんだし崩壊しても全然不思議じゃない。
行き過ぎない辺りで今すぐにでも崩壊したほうが僕らの寿命は伸びるようにも何となく感じるなぁ。
もしかしたらなんか人類にとって不都合が起こって僕は巻き込まれる形で死ぬかもしれないけどそん時はそん時だ。
どうせ遅かれ早かれ死ぬ。
とりあえず僕は僕のできる範囲で資本主義に縛られない形で幸せになろうと思う。
例えば禅や瞑想をして心安らかな状態を維持するとか。
家族や同居人、友達みたいな僕が好きな人と話してハッピーな時間を作るとか。
浜辺を散歩して自然を感じるとか。
そしたら今も未来の今も幸せなはずだ。
(PS 色々ガバガバなとこもあると思うけどそういう指摘はコメントで歓迎しています。)

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