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禅と現実逃避の対照性

就寝25:00
起床07:45


やあ、こんばんは。
ひろーりです。
禅は未だに続いてます。
不安になったときや、なんか何していいかわからんくなったとき、気がついたときや暇なときにしてます。
気楽に断続的にやっていってます。

禅ってネットサーフィンの逆やなって感じました。
もっと言うと現実逃避の逆なんですかね?

僕は皿洗いとか洗濯とか学校の課題とかが嫌でネットサーフィンとかに逃げがちです。
そんなときは大体逃げてるものに取り掛かれません。
逃げれば逃げるだけ嫌になって無力感や罪悪感を覚えて気持ちが沈んでいきます。

逆に禅をやったあとは逃げたいものに結構素早く着手できることに気づきました。
なんかやらなあかんのやったらやるしかないよなーって気分になってスッと行動できる感じです。
不思議ですね。

考えてみれば禅とネットサーフィンはかなり対照的な関係にあると思います。

ネットサーフィンなどの現実逃避は外部からの情報などの刺激を不安を解消するために気晴らしとして与え続けることで自分を麻痺させます。
この時自分に対しての感覚はとても鈍くなります。
お腹が減ったのに体を動かしたくないからご飯を食べない。
めんどくさいから寒いけど服を厚着しない。
現実逃避はすればするほどハマっていきます。
現実逃避をしているということに対しては大抵自覚的ですから、そのことに対して無力感や罪悪感などの負の感情を覚えます。
その負の感情を取り除くために更に現実逃避が行われてしまうというループがあります。
結果逃げてるタスクは終わらないしめっちゃメンタル削られます。

それに対して禅は自分の身体感覚や内面をじっと観察し続けます。
この時自分に対しての感覚はとても鋭くなります。
「あー、ここが痒いなぁ。」「なんか腰が張ってて痛いな。」「なんかポカポカして気持ちいいな」「あー、今家事多いことに嫌気さしてるんや。」「次何しよっかって考えちゃうな。」
こんな感じで自分の心身がうるさく何かを訴えかけてきてるのを拾えるようになります。
それらに一々反応も解釈もせずただただ放置し続けると、段々と禅のし始めと比べて心身のうるささも止んできます。
次第にこの世の全てに対しての意味づけがなくなって自分がリセットされたように感じます。
自分がリセットされたあとはタスクに対しての抵抗感も少なくなります。
禅が終わったあとはメンタルも安定するし逃げたいことも終わらせられるようになることが多いです。

ただ自分や自分を取り巻く現実から逃げ続ける、もしくは自分の声を無視して行動し続けると全てのことに抵抗感が生まれてきます。
僕はよく生活に疲れちゃって生きることそのものが嫌になるときが多いです。
その時ゲームやネットに逃げても、自分に厳しくして無理やりタスクを処理させても(大抵僕は意志が弱いので動きません)いつか無理が来ます。
一回禅をして自分を空っぽにして「とりあえず生き(て)るかー」って気分にさせるのがいいんじゃないかなと思ってます。

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