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うっせぇわの流行に見る文脈を理解せずフレーズだけを見る人々

この曲は実質的に「小っちゃな頃から優等生、気づいたら大人になってた」の歌い出しから始まる。

最初に断言しよう。この曲は歌い出しから嘘をついている

この曲を聞いて爽快感を感じるという人はどこかおかしい。

そして、対する否定派が前提とする、強い共感も一切感じなければ、羞恥を感じる部分もない。

あえて例えるとするならば、
『太郎くんが時速80キロで走って次郎くんに追いついた』というあの数学の文章題に対する非常に緩い共感の感覚に近い。
つまり共感性羞恥を感じる要素がない。

世間の目は『うっせぇわ』と言うワードのインパクトによって目眩ましを食らっているのだ。

ちっちゃな頃からの優等生は気づいたら大人にならない。なれないのだ。気づいたら大人になれない自分に直面し、葛藤する筈である。

経済の動向を通勤時チェックする余裕があり、純情な精神を持ってもったまま入社できる。これらはむしろ心のオアシスの部分である。

経済の動向は通勤、通学時以外にも好奇心から自発的にチェックしたいものだし、
面接の様な自ら社会の動向を察して嘘で塗り固めるくだらないゲームを強要されれば、

「純情な精神で入社します」が社会のルールであるという妄想の様な建前は、暴力的な不文律による脳震盪ですでに記憶から欠落してしまっている。

純情な精神で入社するのではない。
発狂手前の精神で収監されるのだ。

最新の流行から当然脱落
経済の動向忘れて、集金にチェンジ
発狂手前の精神で収監されます

優等生として身を削って生きてきたと思ったらこの仕打ち。
あなた達が思うよりだいぶ不健康なのです、限界なのですと叫びたいはずなのだ。

あなたが思うより健康ですと当たり前の事を叫ぼうとするなどどう考えても劣等生の発想である。

優等生にとって経済の動向チェックや純情な精神は義務ではなく権利だ。
肝心の業務を行う無駄な時間が苦痛を伴い、悪辣な社会と距離を置きたいと感じるのだ。

ともすれば、社会は経済の動向を通勤時にチェックするための人間として当たり前の知的好奇心を制限されるほど精神的負荷をかけてくることもある。

そんな社会にうっせぇわと言うだけでは収まらない激情を覚えて日々破壊衝動を抑えているのだ。

だから、取ってつけたような言葉の羅列と感じるのである。陳腐なのである。

羞恥心も共感性羞恥も感じない。否定するほどの強いなにかを感じない。
メッセージ性が一切合切凡庸でメロディと言葉選びだけが特徴的なのだ。

ただ、メッセージそのものには文章的な整合性が取れてるので、
確かに『それはうっせぇわ』と対岸の火事にするような弱い共感を感じるだけなのだ。ただ、それだけなのだ。

蛇足になるが、うっせぇわの歌唱用の曲としての評価を書いて終わろうと思う。

この曲は最後の転調を除くと、地声最高音がhiD。叫ぶようにそして喚く様に歌う。
歌詞も難しい表現がなく共感できないにも関わらず覚えやすい

実際に歌ってみないと分からないが、私自身の感想としては比較的歌唱しやすい曲のように感じる。

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