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おいてけぼり。

毎年、2月になると
嫌な気持ちになる。

5年前の2月、
生後6ヶ月の首の座らないふにゃふにゃした
発達の遅い息子を抱えて、
大きな病院を受診した。

検査結果から精密検査が必要となり、
全部で1ヶ月ほどの入院となった。

入院から2週間くらいで
希少難病ということがほぼ確定した。

それを機に、
息子の生まれた時の写真や
病気が分かる、生後6ヶ月ごろまでの
写真を見返すことができなくなった。

病気を持っているなんて思っていなくて、
普通に育つと思っていた頃に撮った写真たちは
どうしても、
「普通だと思っていたあの頃」という
気持ちを思い出すから苦しかった。

そんなにすぐには
現実を受け入れられなかったからだと思う。


1ヶ月の検査入院中は、
4人部屋で生活した。

それぞれみんな
親が付き添いで入院をしている。

カーテン越しに、
見ず知らずの4家族で生活を送った1ヶ月は
辛かったことの方が多かった。

隣の声はどうしても聞こえてしまう。

少し発達が遅くて入院してきた子、
検査して大丈夫だったからすぐに退院していく。

手術をすれば治る子。
もちろん手術をすることは
とても大変で親も不安なことが多いと思う。

でもそれを乗り越えれば
治るんでしょう。


日々、代わるがわる
いろんな子が入院してきて
退院していく。

そんな環境の中、息子が、
治ることのない難病を告げられたという

すぐ受け入れることのできないこと。

息子の治療はスムーズに行った。

入院中に、
これから服薬していく薬、
効果のある食事療法、
リハビリや療育への連携など

比較的スムーズに繋げてもらったと
覚えている。

入院しているのは息子のためだから
息子のことを考えてもらえるのは
当たり前のことなのかもしれない。

でも付き添いをする親のことは、
これから育てていく親のことは、

おいてけぼり。

入院する時だって、
難病告知された時だって、
その後、一晩中泣いて目がパンパンになった朝も、
誰1人として、付き添いのわたしには触れない。

病室や病棟には、今すぐ話せる人もいない。
辛い気持ちも悲しい気持ちも。

とっても孤独だった。

今でも思い出してやっぱり辛くなる。

その時の孤独は人生史上最強だった。

もしかしたら、
病院によっては、親のケアもあるのかもしれないけど。

あれから5年が経つ。

なんとか、なんとか
今日までわたしが
ここまで息子を育てられているのは
家族のおかげであり、
息子の病気がわかってから、
出会った人たちが、
本当に優しい人たちばかりだから。

それでもやっぱり
時々感じる孤独な気持ち。

でもその度に周りの人たちに
本当に助けられている。

障害ある我が子を支えようと
日々必死なお母さんお父さん、その家族がいる。

わたしも同じ境遇の1人。

そんなお母さん、お父さん、その家族が
おいてけぼり
と感じないのが1番と思う。

感じたとしても、
その後、出会う人たちによって
そんな思いが軽くなったらいいなと思う。

そう思いながら、

今日も店舗作りに向けて
少しずつ、少しずつ。

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