見出し画像

「わたし」が「わたし」として生きる権利


先日、こちらのセミナーに参加して来ました。


障がい者の意思決定支援を考える

息子のお迎え都合上、第一部のみしか
参加できませんでしたが、

その第一部を担当されていた板垣さん。

実は、ちょうど1年前くらいにお会いして
「とりあえず写真だけ撮っといてあげるわ」
とアテンドさんに言われて、
一緒に写真も撮っていました。
(お互い訳もわからず初対面でとりあえず写真を撮るという奇行。(笑))

板垣さんは、
岩手県にある「るんびにぃ美術館」で
展示や企画に携わって来た方です。

「るんびにぃ美術館」は、
障がい者アートを中心に展示してある美術館。

1年前は、お会いして写真を撮って終わり。
だったので、どんな方なんだろう、ということは
お会いした後にネット記事などを見て知った次第です。

今回その板垣さんの話が聞ける
とのことでとっても楽しみにしていました。

障がい者の意思決定支援を考える
というテーマをもとに話される板垣さんの言葉の中で、

「わたし」が「わたし」として生きる権利がある。

------

ひとはこの世に生まれ落ちたら
「わたし」として生きる権利がある。

多様性という言葉がよく聞かれる昨今、 
「多様性」と聞くとやはり、
ハンデのある人、障がいのある人が思い浮かぶことが多く感じる。

でもそれは、この世でたった、1人しかいない
「わたし」も多様性のひとつであること。

わたしの「わたし」
みんなの「わたし」
を認めること、肯定すること

知的障害や自閉症というハンデに阻まれ
言葉でうまく表現できなくても

アートや造形を通して表現できてもできなくても

それぞれ形が違っても
「わたし」の「わたし」を認める、肯定する

「わたし」が「わたし」として生きる権利がある


当事者でしか理解できないこと
当事者であっても理解できないこと

でもそれがその人の「わたし」である

と考えたら、スッと腑に落ちると感じる。

また、
意思決定をするために
本人の表現しやすい環境を整えてあげる支援も
とても大切なんだと改めて思った。

まさに、
自閉症と知的障害を持つ息子を育てていると
息子の安心する環境や人、アイテム、
息子にかける時間など、、

普段気にかけているような内容のことだった。


そして、板垣さんが取り組まれている
「であい授業」

自閉症や知的障害を持った方が、
実際に中学校や高校へ行き、講師を務める。

自分の人となりや自分を取り巻く周りの人たちを
紹介したりする授業。

実際に、自閉症と知的障害を持った方が
学校へ行き、講師をした時の様子や
その時に上映された家族インタビューの映像も流れた。

セミナー自体、どちらかというと、
支援者向けの内容だったと思う。

障がい児の親であり支援者
であるわたしにとって、
その方のご家族のインタビュー動画は、
涙なしでは見れなかった。

「であい授業」では、
登場する講師を見て、生徒たちが
初めはちょっと距離を取りたくなるような様子を見せるのだけど、
授業を進めていく中で
少しずつ生徒さんたちが講師に興味を持ち、
次第に前のめりになっていく、とのこと。

きっとそれは、
講師の方の「わたし」の表現方法で、
「わたし」が生徒さんたちに伝わっているから
なんだなと思った。

とてもとても素敵な取り組みだと思いました。

障がいのある人でなくても、
初対面の人と出会ったり話したりするときは
相手のことが分からないから
「不安」に思うこともある。

相手の
人となり、その人の周りを取り巻く人たちの話を聞いて、相手を知っていく。

相手のことを知らないから
「不安」「怖い」
と感じる。

障がいがあっても無くても
同じことだなと思った。


このセミナーを聞いて、
よし、はじめよう!なんて言える立場でも
環境でもないけれど、、


「わたし」が「わたし」として生きる権利がある

という言葉が、心に深く刻まれました。

板垣さん、またいつかお会いできる日が来ることを楽しみにしています。 

2023.02

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?