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#948 ポジティブ最上思考を手放した話~行き過ぎポジティブ変換にサヨナラ~

おはようございます。
仕事が好きだし、楽しいと言い合える女性が増えることが喜び、小田木朝子です。
このチャンネルは、チームワーキングで仕事をもっとおもしろく、キャリアもっと持続可能に、オンラインスクールスクラより、仕事、キャリア、両立にちょっと役立つヒントを配信します。

今週も金曜日がやってまいりました。
月曜日が祝日だと、あっという間だわという感覚を持っている方も多いんじゃないでしょうか。私もそんな感覚を持っている一人です。

行き過ぎたポジティブ変換に注意しようと思っています

今日の金曜日放送は、どんな話をしようかなと思ったんですけど、今日はちょいゆるめの小田木所感放送をお届けしてもよろしいでしょうか。
こんなことを考えているんだよねという所感をゆるめにお届けしたいと思います。
名前をつけるとしたら、「行き過ぎたポジティブ変換に注意しようと思っている話」です。
最近、こんなことをつとめて思うんですよね。
なんで今日はこの話をしようと思ったかというと、ちょうど昨日、仲間から声をかけてもらい、「今日も本当に疲れちゃったよ、愚痴っぽくなるけど、聞いてくれない?」こんな感じで声をかけられ、「おお、どうした?」みたいな感じで聞いたんですよね。
「そっかそっか、へー、なるほど、うんうん、それはおつかれ」こんなたわいもない話を短い時間でしたんですけど、今の私が改めて思うのは、これってめっちゃ健全だな、本当に普通のことだし、誰にとってもなくてはならない時間だなと思うんですよね。
何が健全なのかというと、一つは、ちょっと疲れたなという時に、言える。そして言っていいという環境がある。これももちろんめちゃくちゃ大事だし、健全なんですけれども、もう一つ、思うのは、「疲れた」とか「ちょっともういやだな」こういった感情とか感想を全部ポジティブ変換しなくていい。こっちサイドもめっちゃ健全だし、大事だなと思うんですよね。
ポジティブ変換ということは、例えば、「いや、疲れたな」に対して「でもこういう側面もあるし、こういう意味もあるし、こう考えたら見方が変わるんじゃない?」これ系ですよね。
ポジティブに変換する。見方を変える。
くれぐれもですけれども、ポジティブに変換する、意味をつけるとか、見方を変えることは、めちゃくちゃ大事なことなんです。人生においても、仕事をしていく上でも、なくてはならない。
それがポジティブ変換なんですけど、何が言いたいかというと、全部が全部ポジティブ変換する必要はない
これもすごく大事だし、健全なことだと思っている。そういう感じですね。

以前の私は全部ポジティブにとらえることがよいと思っていました

私は、今はこんなふうに思っているんですけれども、こう思うようになったのは、ずっとそうだったわけじゃなくて、ここ十年ぐらいでの変化の一つなんですよね。大きな変化の一つかもしれない。
なぜなら、以前の私は基本的に全部ポジティブにとらえることがよい、そう信じて疑ってなかったので。
基本的には自分の感情も、そして相手のことも、割りとポジティブ変換をし続けることをよしとしてきたんですよね。
なので、そんな私が全部ポジティブ変換しなくていい、そのほうが健全だよととらえられるようになったのは、私の歴史の中で結構大きな変化だし、転換点だなと思っています。

全部ポジティブ変換しない。
例えば、わが家の子育てや家族の中での私はどういう変化があるかというと、わが家のキッズたちの口癖がありまして、それは何かというと、「最悪」なんですよね。
例えば、くるくると丸めたティッシュをポイと投げて、ゴミ箱に入らなかったら「最悪」と言うし、歯磨き粉があるかと思ったら、ストックがなかった、これも「最悪」と言うし、とにかく口癖が「最悪」なんですよ。
全部ポジティブ変換していた時代の私は、「最悪」と聞くたびに、「いやいや、そんな最悪じゃないでしょう?最も悪くはないし」こんな感じでツッコミを入れていたんですけど、今はまくらことばというか、口癖として聞き流せるようになったなと思います。
それと同じように、例えば「ああ、今日は行きたくないな」とか、「超めんどくさい」とか、「くっそ」みたいな感じでいろいろ言うんですけれども、これにいちいちポジティブ変換をせずに、「なるほどね、言いたいときもあるさ、ここでは言えるんだったらいいか」こんなふうに思えるようになったんですよね。
「それ、普通じゃん」と思うかもしれないですけど、基本、ポジティブ変換しないといけないと思っていた頃には、頼まれてないけれども変換しちゃうんですね。もっというと、言葉には力がある、言霊と、もちろん言葉には力があるんですけれども、超拡大解釈して一言一句にこだわる。
なので、タイトルの通りですけど、行き過ぎたポジティブ変換をしまくっていた時代があるなって思うんですよね。
とにかく何でもポジティブ変換するのが正しいと思っていたし、それを自分の感情だとか、頭に思い浮かぶことに対してもやっていたし、相手にもそうでした。
これって何だろうなと思うと、「ポジティブ最上思考」こんな名前を付けてもいいんじゃないかというような、ストレートに言うと、偏った思考をしていたときがあったなと思います。

ポジティブ最上思考を手放したら、むしろポジティブになった

全部ポジティブにとらえ直すだけだと、やっぱり見えなくなっちゃうこととか、気づけなくなること、フタをされちゃうことによって、感じにくくなることってあるじゃないですか。
これって危ういなと感じるんですよね。
「嫌だな」と思ったり、「疲れた」と思ったり、ポジティブじゃない側面をネガティブだと呼ばなくてもいいんじゃないかと思うんですけど、いろんな両側面があって人間らしさじゃないですか。
なので、こういう人間らしさをちゃんとフラットに認める、受容する、これってすごく大事なことだと思えるようになったし、そう思った時に、自分に対しても、人に対しても、もう一歩、優しくなれたなと感じています。
「そこはポジティブに考えようよ」という時に、後ろ向きな否定的な言葉が聞こえると、つい訂正したくなるという側面もあると思うんですけれども、でも、もっと引いて考えると、それを言っちゃうこととか、そう感じちゃうことって、別にその人の全部ではないじゃないですか。
外では頑張ってるとか、ここまで一生懸命やってきている、全部を見ると、本当はいろんな側面がある中での、一部分が「疲れた」とか「最悪」とか「面倒くさい」「クソ」と思う感情だと思うので、それはあってもいいじゃん。むしろあるのが普通じゃん。そんなふうに思えるようになったなと思います。

じゃあ、全くポジティブ変換しないかというと、例えば、子どものケースでも、10回に一回ぐらいとか、15回に一回ぐらいは「ここはちょっと違う見方をしてもいいんじゃない?」みたいな感じで、変換しちゃうこともありますけれども、それでも、そうじゃない部分、「最悪」だと感じる部分や「超面倒くさい」と感じる部分を、「まあまあ、そうも思うよね、たしかにね」それがあった上での変換ぐらいになったかなと思っています。

両面あって人間らしい

最後に、実際に行き過ぎたポジティブ変換「ポジティブ最上志向」みたいなものを手放した私自身の実感ですけど、とても気持ちが良いというか、生きやすいというか、むしろポジティブじゃない側面もフラットに受け止められるようになって、結果、いい意味で過剰じゃないフラットなポジティブなコンディションがキープできるようになったかなと思っています。
なので、過去の私のように「確かに、ちょっと行き過ぎたポジティブ変換があるな」と感じる方は、「10回に一回ぐらいでいいかもしれない」と思ってもいいんじゃないかなという、そんな所感を共有させていただきました。
疲れたときは、「疲れた」と言おう。
誰かに「疲れた」と言われても、全部ポジティブ変換せずに、「そうか」と言って、聞こう。それだけの話なんですけどね。

10月16日の丸の内トークライブへの参加表明、めちゃくちゃうれしいです!!

続きはぜひVoicyでお聴きください。

小田木朝子プロフィール

「仕事が好きだし、楽しいと言い合える女性が増えることが喜び」小田木朝子(おだぎともこ)です。
このチャンネルは両立女性のためのオンラインスクールスクラから出産後の変化を柔軟に乗り越え、仕事がもっと楽しくなる“知恵とヒント”を平日の毎朝配信しています。2回の育休を経て、現在人材育成・組織開発を行う株式会社NOKIOOの役員をしています。
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