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ひそひそ昔話

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20歳前後までの忘れ去られた記憶を手繰り寄せて、話します。恥ずかしいので、ひそひそ喋るから耳を近づけて読んであげてください。
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記事一覧

ひそひそ昔話-その15 受験生に愛を込めて-

柔らかい霧雨が河川敷の芝生に降り注いでいる。絶好の蹴り野球日和と言えるだろう。もちろん皮肉を込めて言っている。僕は芝生を少しむしり取ってはグラウンドに向けて投げた。曇り空にそれは、消しカスみたいに散らばった。 「なぁ、俺たちこんなことしてる場合かな。同級生は大学でサークルに入って、あるべき青春を謳歌してるんだぜ。冴えないクラスメイトが俺より先に彼女なんて作ってたら発狂モンだぜ」 バッターボックスに入った女の子が、ピッチャーからヒットを奪ったことで観客席は盛り上がっていた。僕

ひそひそ昔話-その14 2004年のライトフライ-

恐れるべくは、ライトに届くフライボールだった。絶望するべくはグローブからこぼれ落ちるであろうソフトボールだった。冬至の近い日曜日の夕方、紅白試合は佳境を迎えていた。 傾いていく太陽が僕の影をどんどん引き伸ばしていくのが分かる。僕は自分が日時計の一部になったように感じる。僕はその針なる自分の影に向かって早く4時を刺せと念じる。その鋭利な針の先でそいつを刺し殺せと強く願う。それが即ち練習の終わりの合図だからだ。 右打ちバッターよ、ここまで打たないでくれ。 ピッチャーよ、どうにか抑

ひそひそ昔話-その13 僕たちは簡単には、立派な人間にはなれない-

卒業式後のパーティでは、学生も卒業生も先生たちも一緒くたになって、お酒やオードブル料理をつついていた。僕は節目のパーティというものが割合好きで、年中なにか“節目”を刻んでパーティをしたらどうかと思う方だ。それで発泡酒片手に一つのテーブルからもう一つのテーブルへと渡り歩きながら、親しかったりそうでもなかったりした人と挨拶を交わしていた。どうせほとんどが今後一生会わないような人々だ。 学科長の教授の挨拶が始まると言うんで、僕らはステージに注目することとなった。 額に深い皺を刻んだ

ひそひそ昔話-その12  『黒い雨』の時代と、現代と-

教室のうしろに飾られる,、読書ポップづくりの仕上げ作業をしていると、隣の班を見終わった副担任の先生が近づいてきた。机の上に置かれた私の文庫本を手に取り、その表紙や裏表紙の内容紹介をじっくり眺めた後、彼は口を開いた。寡黙なリクガメを思わせる口の開き方だった。 「井伏鱒二、黒い雨。私も読みました」 そして机の上に本を置き、「素晴らしいですが、本当につらいお話です」とだけ言い、別の班へと移動していった。 姑息で、卑怯で、周囲の評価を気にしいな性格だった高校1年生の私は、読書を促すた

ひそひそ昔話-その11 夏のむせ返る蜃気楼の臭いの中に-

部屋には誰かが留守番をしているわけでもないのに、僕は「いってきます」とカラ元気に挨拶して扉を開けた。開けた瞬間、鬱陶しいくらいの熱に包まれる。そしてさらにムッとする臭いが鼻腔を刺激した。動物の臭いだ。我が家の近くには小さい動物園があって、そこにはヤギやロバやウサギなんかがいる。そんなヤギやロバやウサギなんかのニオイが、東からの風に運ばれて僕の鼻腔最上部、嗅上皮の粘膜に溶け込み、その刺激を受けたとある細胞に電気信号を脳みそへと伝えさせたのだ。暗号みたいなその電気信号が脳みそに解

ひそひそ昔話-その10 歯列模型の獅子舞で、保健室の妖精の憂鬱を噛んだ-

もうすっかり外は秋めいてる。神武大祭ももうすぐあるみたいだ。校門や正面玄関にはイチョウの扇がたくさん落ちている。運動場もたくさん黄色に染まっているけれど、それよりはギンナンの臭いが鼻孔を刺激する。僕はこの臭いが酷く苦手だったし、給食にこれが出た時はゴミ箱に捨ててしまった。 学校探検と称してユウジと校舎中を回って遊ぶのが最近楽しい。昼休みのチャイムが鳴ると専ら2人で連れ立っている。小学校4年生にもなって今更学校の中を探検だなんておかしな話だけれど、ドッジボールや長縄をするより

ひそひそ昔話 -その9 ちょっと川でも見てくるよ、というその無責任な渇望-

その日先生は神妙な面持ちで教室に入ってきて、午後の授業が取りやめになったことと明日の模試が中止になったことを告げた。世の中の状況を鑑みるに仕方ないことだよな、という空気が教室には満ちていた。いつもよりも枚数の多い課題プリントの束を整える。ホームルームの後のガヤガヤした雰囲気の教室の中に、あの子が朝からいなかったことに気づいた。そういえば風邪で休みだったんだっけ。メールしておこう。 件名:明日の模試 本文:なんか明日の模試なくなったんだって。なんか午後の授業もなくなっちゃった

ひそひそ昔話 -その8 ふと、見上げた夜空の星たちの光-

全国大会、舞台袖。 誰も彼も妙に落ち着かないそぶり。 指を開いたり閉じたり、肩を回したり、首を回したり、深呼吸を繰り返してそのそぶりを誤魔化してみたり。 身体がこわばっては出る声も出ないし、伸びる音も伸びていかない。我々は客席の一番向こう、非常口の誘導灯の下で腕を組んで立ち見をしている人の心にまで、曲の想いを届けなければならないのだ。 そっと後ろから手が伸びてきて、僕の肩をほぐし始める。みんな緊張している。僕は仲間の手のぬくもりを肩に感じながら、夏の終わりに両親に買ってもらっ

ひそひそ昔話 -その7 火のないところに煙が立ったわけだが、最終的にポルノグラフィティで空気を入れ換えてもらった話-

もう時効だと信じるけど、5年前、水曜日、ポテチを無性に食べたくなってその夜。 薄くスライスされたジャガイモが、まな板の上で自分の運命を諦めたように黙っている。僕は、蚊取り線香のようにグルグルと巻かれた電熱コンロの上に、フッ素コーティングの剥がれかけている、大振りのフライパンを乗せた。オリーブオイルを1センチ弱浸し、電熱線に熱を加える。 昔父親がポテチを揚げて作っていたことをふと思い出したがために、自分でもジャガイモを揚げるに至ったわけだ。そしてまた、底の浅いフライパンでも揚

ひそひそ昔話-その6 不必要に死の影を背負うということ-

正月、ばあちゃんを墓参りに連れて行った。その前の夜、街で同級生と昔話に花を咲かせているとき、親父から電話があった。「明日、ばあちゃんを墓参りに連れて行ってくれ」と。特に用事もなかったので二つ返事で了承した。ばあちゃんは足腰が悪く、もうこういう親戚一同が会する正月の時くらいしか墓参りに行けないのだ。 ばあちゃんの家から少し歩いた先に墓地がある。僕は、車道側に立ち、ばあちゃんの隣で一歩ずつゆっくりと歩いた。そしてその一方で14才の愛犬を散歩させている。時折、名前の知らない近所の人

ひそひそ昔話-その5 さくら「なんとかなるよ、ぜったい大丈夫だよ」大人になった俺「…まじで?」-

あれは確かとても幼い頃、君は母のコンパクトチークをこっそり風呂場に持ちだして呪文を呟いたことがあるね? 「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」などと。もちろん、そんな呪文を呟いたところで何者にも変身しなかったし、姉に目撃されてその後ずっと弄られたりもしたもんだ。  だが、あの時の少年よ。その後も凝りもせず、君は、姉の本棚からセーラームーンのコミックを失敬して、ちょっとドキドキしてたりもしていたろう? 中学生のお姉さんが、可憐にクールに変身する様子にきっと頬を赤らめてたろう?

ひそひそ昔話-その4 私を傷つけ続ける大人たち。永遠という、まんざらでもない表情で寄り添ってくる3つの顔-

乾いた泥を掴むと、ぽろぽろと崩れて地面に落ちる。どんな状態にも、どんな空間にもフィットするほどなめらかな身体を持っていたはずなのに、太陽のもとに晒されると脆くなってしまう。  私にとって怒りという感情はそういう具合に、時間が経てば経つほど無意味で無価値で、誰からも無関心であるみたいに、やがて心の片隅に掃きだめを作る。  私も忘れよう忘れよう、と何度も思うのだが、そういう怒りは、どうしようもないくらいに心の片隅で疲れ果てた姿で居座る。で、ことあるごとにその存在が引っかかってしま

ひそひそ昔話 -その3 風をきって きって 風をきってゆくよ。またしても破れかぶれな夕陽の疾走 -

高校生の僕は自転車を漕いでいた。パーカーにジーンズの簡単な恰好。簡単とは言っても安くはない。ジーンズなんか1万はする高価なやつだ。そよいでいた風を置き去りにするようにギアを上げ、加速した。この自転車も安くない。ガチャリンコ。二重鍵。中学に入学して、自転車登校が許可されたときに、じいちゃんが買ってくれた。6万する。  大きな川が、夕陽を反射してキラキラと輝いている。堤防沿いの、色を失い、生命の灯を失いつつある植物が、夕陽色に強制的に染め上げられていた。  僕はテレビゲームが

ひそひそ昔話-その2 お父さん、お父さん、あれが見えないの?ゴリラの幽霊が!息子よ、確かに見たよ 白い服の女の人を-

 実家の隣は駐車場だった。でも実家の壁のペンキが色あせておらず、庭の芝生も生き生きとしていた四半世紀前の新築時は、墓地だった気がする。だからじゃないけれど、私の家にも幽霊が出た。らしい。私の家族はみんなで心霊番組を見ることが家族団らんのひとつのかたちだった。所さんだか嵐だかタモリだかの番組の、心霊写真を紹介するコーナーで、毛むくじゃらのゴリラの幽霊だかが紹介されて、それがなんだかとても怖くて、脳裏にこびり付いて離れなかった。  暗い廊下の突き当りにトイレがあって、幼い私にと