2020/3/15の日記~物干しハンガー、21分57秒、森の木こり~

日曜日、その憂鬱な午後に私は昼寝を試みる。だって眠いから。まどろみが重い毛布となって、憂鬱でありながら優しく私に覆いかぶさる。
それでも私は意識と無意識の間に立って、意識を革靴で踏み固めたり、無意識の方にぶら下がったりしている。だが、視界はグラグラしている。結局、仕方がないので身体を横にする。
フローリングに腕枕をして寝そべり、外を見る。見上げる窓には青空が広がっている。
良く晴れた空にベランダの物干しハンガーが揺れる。物干しハンガーの四隅から伸びるプラスチックの鎖が陽の光を反射してシャンデリアみたいだと思った。あるいは、赤ん坊を落ち着かせるためのつるし飾りのようなものだ。しかし、そこに飾られているのは若い健康的な二十代後半の男の下着や靴下やハンドタオルなんかだ。それも使い倒され、十分にくたびれ、洗い皺が伸ばされることを太陽に期待している下着なんかだ。

ある程度、惰性に伸び切った毎日を過ごしていると、最初こそしっかりと取り組んでいたことはおろそかになりがちである。それこそ、洗濯物を畳みタンスに収めることをおろそかにしてしまう。そうなるとハンガーからダイレクトにボクサーパンツやらシャツやらを着てしまうような横暴さが身についてしまう。それで例えば、洗濯ばさみが辛抱強く掴んでいてくれたパンツを粗雑に引き離すと、あまり好ましくないことが起こる。その好ましくないこととは、物干しハンガーの四隅のプラスチック鎖の一つが破損してしまうことだ。鎖の一つを失うと、物干しハンガーは糸が切れバランスを崩したマリオネットのようにみえる。私は仕方なく輪ゴムを使って、四隅の一つとハンガー部分を繋ぎとめ、プラスチック鎖の代わりとした。


それで、だ。日曜日の良く晴れた憂鬱な午後に、ベランダの物干しハンガーの輪ゴムの鎖は伸び切っている。そこにはある種の緊張感すらあった。私は世界中に存在する輪ゴムのことを想った。世界中に存在するギリギリに伸びた輪ゴムが、ある時プツンと千切れる。それは森の木こりが空と大地を繋ぐ巨樹をためらいもなく切り落とすみたいに的確であり、年輪が重ねてきた長い年月に終止符を打つみたいに躊躇いのないものだ。
千切れてしまうと、その輪ゴムの端と端が繋ぎとめていた、あるいはその輪ゴムの中心で大事に抱きしめられていたものが解かれバラバラに散乱する。その刹那は、経年劣化に耐えてきた輪ゴムが最期を迎え、唐突に役目を終える瞬間だ。
とはいえ、そのギリギリの緊張感が切れるまでは放っておくしかあるまい。
私は目を閉じ、午睡をとることにした。

21分57秒。タイマーはそうセットされている。15分では短すぎるし、30分ではいささか長いのかもしれない。「21:57」というデジタル数字の並びが、実際よりも長く深く適度な時間を示唆してくれているような気がして。これが例えば22:00や30:00ではダメなんだろう。タウリン1000mgと1gが同量であれ、桁が大きい方がなんとなく多く配合されているような感覚に近いかもしれない。

なにはともあれ、私はその21分57秒をギリギリまで、濃密に深く熟睡することを願って目を閉じた。それと同時に21分57秒以後の未来を想像する。というかしなくちゃいけないことをリストアップする。水回りの掃除だとか、夕飯の買い出しだとか、見るべきYouTubeの動画だとか。それからウイルスや水道光熱費や、月曜日の仕事なんかも一応考える。それらを21分57秒後に再びしっかり考えられるように。この午睡の中でその”やがて考えられること”について考える。実行の下準備みたいなものだ。

だがそのうちに、意識と無意識を繋ぎとめていた重いまどろみのようなものがゆっくりと、しかし確実に引き延ばされていく感覚があった。私はもうほとんど意識の上に立ち上がり続けることをあきらめ、今では無意識の方にぶら下がっていた。丁度物干しハンガーの輪ゴムの鎖に繋ぎとめられた、くたびれた洗濯物のように。意識という大地に足を付けて踏ん張ることを諦め、浮遊する雲のような無意識にぶら下がることを選択した。21分57秒後に成し遂げられていくはずの数々の期待を持って。

“まどろみのようなもの”は時間が経つにつれ均一に薄く伸び切っていく。その中で夢を見る。それが夢なんだと不思議に断定できる類いの夢だ。今となってはどのような内容の夢だったかは忘れてしまった。それは無意識の空とでも言うような方向へ飛んでいってしまったに違いない。忘れ失われるものだとしても、それでも当時の私は、夢の片りんだけでも現実の意識下へ持ち帰ろうと手を伸ばし、ギリギリまで伸びていく“まどろみ”にしがみついている。どんどん伸びていく。これまでにないくらい致命的に伸び切っていく。


プツンと音がするのはいつも唐突だ。そして私は眠りから覚める。複雑なシナプス回路の森に住む木こりが、またひとつ木を切り倒したのだ。寸分の躊躇いもなく、とても正確に。


すっかり陽は落ちて、外は暗くなっていた。そこは21分57秒後の世界などではない。
18時14分。ここはあれから3時間後の世界だ。ある意味ではタイムスリップしたようなものだ。そしてもちろん、期待していたことは何一つ成し遂げられていない。ため息をつく。
洗濯物は暗闇の中で成す術もなく、幽霊のようにゆらゆら浮遊している。それでも輪ゴムは懸命に洗濯物を繋ぎとめている。
輪ゴムが繋ぎとめているのは相変わらず緊張感そのものであるみたいだ。

私が第一にしなくてはならないのは、その輪ゴムの鎖を補強し、緊張感を少しでもたゆたわせてあげることなのかもしれない。私は痛む身体を持ち上げ、改めて意識を踏みしめることとした。

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