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2020/5/28の日記~獰猛な蛍の光、勧誘セレブレイト? 自由へ道連れ~

獰猛な蛍の光

生活リズムが崩壊してしまったと確信できたのは、どれだけ部屋を暗くし、ヒーリング音楽をかけていても、暗闇の中で天井の火災報知器の輪郭をそっくりなぞることができてしまったからだ。このままむくりと起き上がり、台所に行って熱いコーヒーでも作るか、横たわったままヨガでもして身体的なエクササイズを通した心身の統一および深い睡眠との融解でも目指そうかと悩んだ。
ひとまず後者を選んで「魚のポーズ」を取っていたが、インターフォンの赤いランプがまるで獰猛な蛍みたいに点滅していたために、起き上がることとなってしまった。暗闇の中で蛍に手をのばした。

勧誘セレブレイト?

インターフォンには29件の録画が残っていた。
29件?そんなにも?身に覚えのない29回の訪問を確認することにした。
そのほとんどが宅配かアパートの管理人のようであったが中にはいくつか興味深い訪問者もいた。阿佐ヶ谷姉妹のネタでよく見るような、おそらくは宗教勧誘をしにきた年配の女性二人連れが、僕の留守中に少なくとも3回は訪問してきていたようだった。

中には1人の美女が訪問してきた記録も残っていた。僕はこの女を覚えている。それはこのフラミンゴ柄のワンピースが中々に強烈な印象だったこともあるが、彼女もやはり宗教勧誘だったからだ。
夏の暑い日のことだ。大きなカバンを持った女がインターフォンの画面の向こうにいた。女性とお家デートをする予定はビジネスであろうとなかろうと僕のカレンダーに記載されていないぞ、といぶかった。やれやれと、頭を振りながらもドアを開けた。ドアが完全に開ききる前に彼女は明後日の方向を見ながらこう言った。
「ち、近々巨大地震が来ます。」
知っている。それはもう5年ぐらい前から専門家といわれる人々の警鐘を聞いていたから知っているんだ。僕は靴箱にしまってある防災リュックを取り上げ、どれだけ完璧に防災グッズが入っているのかを丹念に紹介しようかとも思った。だが実際の彼女の思惑はそうではなかった。
「そ、備えた方がいいです」と彼女は一枚のチラシを差し出した。
彼女はなにかに怯えている様子だった。祝福すべきことなどもうこの世には何も残されていませんと言いたげに。
「はぁ」と受け取ったそのチラシは死後の世界とそこで安寧に暮らすためには生前なにをしておくべきかについて抽象的に書かれた小さい記事だった。なんと、地震で死ぬこと前提である。そういう意味での”備え”というわけだ。
カバンの中にはたくさんのチラシが雑作に詰まっているようだ。ノルマがあるのだろう。いくつもの玄関のドアを叩き、何人にもないがしろにされてきたのだろう。ノルマをこなせなかったら彼女はどうなるのだろう。自分の心情は憮然と破壊され、一方で自分は宗教的な規則を破戒し、そのジレンマでどうしようもない状態なのかもしれない。
彼女が怯えているのは果たして来る地震なのか、何かしら理不尽な戒律なのかわからない。

社会の切れ端


突然の訪問客というのは僕をひどく困らせる。小学校の頃の家庭訪問のように、時間を指定して訪問してくれた方がいくらか心の準備が出来る。準備したうえで居留守を使うが。
NHKの集金を装った詐欺や新聞の勧誘はこりごりなのだ。学生の頃は彼らを振りほどくのに苦労した。
「学生さんでしょ?新聞は読んだ方がいいよ」確かに。でも電子でいいんじゃない?
「米3㎏に洗剤つけたからこれにサインして」ありがたいですけれども…
「私にも養う家族がいますからね、助かりますよ」情にほだされはしないぞ。
「契約してくれると言ったでしょう?突き返すなんて!こんな、私がばかみたいじゃないか」ひと言も言っていないぞ。
新聞は緻密に組み立てられた組織の意見だ。社会を世界の具象画とするなら、新聞はその切れ端みたいなものだ。ただ残念ながら社会の切れ端は米3kgと洗剤と交換に定期的に届けられなくても、液晶画面の中を上から下へ流れているし、道端にすら転がっている。なんのかんのあって僕とそのしつこい新聞勧誘は互いを非難し、着地点を見出せないまま喧嘩別れしてしまった

自由へ道連れ

再び、布団の上に横になった。
さて、とも思った。巨大地震もそりゃくるだろう。死後の世界についてある程度のポストを用意してもらえるよう神様仏様に手を合わせ、頭を下げてみるのもいいかもしれない。
数々の専門家やあの女は蓋然性合理的な判断を要求する。
まったく、どいつもこいつも小難しいやつらばかりだ。

深夜2時。明日、厳密には今日だが、7時には起床しよう。そうやって壊れた生活リズムを立て直すのだ。僕は破壊と建設の間で眠り込むことにした。
その前にもう一度、怯えた宗教勧誘の女のことを思い出した。彼女が夜は静かに眠れていますように。誰かが自分の苦境をチラつかせ、社会の切れ端と米と洗剤を突き付けてきたとしても、眠りは本来妨げられるべきではない。そこに求めるべき安寧があるんじゃないですか?なんて。宗教的なことはわからないけれど、眠るときぐらい自由であれたらいいのに。
結局僕が信じてあげられるものなんてそんなもんだ。

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