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冷え固まった決意にかいとうを与えるには、まだ幾ばくかの時間がかかりそうか?

怠惰な人間は、冷え固まった決意を持つ。

土曜日、目を覚まして起き上がることもせず、芝生に寝転ぶスナフキン的面持ちで天井の火災報知器を眺めていた。
はて、今何時だろう?たぶん午前10時よりは前の時間だったと思う。壁にかかるキャプテン・アメリカの盾のデザインの時計は、電力不足なのか正確な時間を刻んでくれてはいない。針は16時40分を刺している。随分と進んでいる。
だけど、隣の小学校のチャイムがさっき鳴ったこと、太陽の昇り具合、満たされた睡眠時間から推察するに午前10時頃であろうという推測を立てた。
ぐぅ。
そしてその推測を後押しするかのように腹が鳴った。

一般的に言っても、寒い冬の土曜日にしなければならないことは意外とたくさんある。1週間床に放置されたヨゴれた衣服を洗濯し外干しすること、クイックルワイパーで部屋を掃除すること、洗面台や風呂場の排水溝に溜まった髪の毛を処理すること、日記をつけること、新しく麦茶をつくること、本棚の文庫本を整理すること、郵便ポストに溜まったチラシを整理すること、一週間分の食糧を買うこと、シンクに溜まった食器類を洗うこと、エトセトラ。
本当は、毎日それらを少しずつでもやれればいいのだろう。
僕だってそう思う。決意くらいはする。仕事から帰ったらしようといつも決意くらいはする。
しかし、寒い冬の前にその決意は冷え固まり、置き去りにされる。あぁ怠惰。
決意に実行が追い付かないまま、ぐるぐる思考は回転する。

そうやって金曜までの間にズレたり、溜まったり、あるいは不足してしまったものごとはたくさんあるのだ。元の位置に収め、あるべき場所に洗練した状態で仕舞いなおし、あるいは補充するという作業が土曜日には必要なのだ。ずいぶんとズレた時計の針を正しい時刻へ戻してあげるみたいに。

まずは、床に脱ぎ散らかされた洗濯物を、分別を求めないゴミのように洗濯機に放り込んだ。
次に、無洗米を高速炊飯。
さて、それから、腹を満たしてあげなければならない。

せっかくの休日だし、何かある程度は凝ったものをつくりたい。切る、焼くだけの工程にもうワンステップの何かを付け加えたい。
そう思って近所のスーパーへ。卵、ベーコン、納豆、総菜、その他諸々の日用食品を買いそろえ、焼き魚を焼くためにアジを買う。安くなっていたのでカチコチに冷凍されたアジを買う。

家に帰り、カチコチに冷凍されたアジを一尾皿に移し、解凍されるのを待った。

洗濯機が怒ってるみたいに洗濯物を回している。僕はそれを諫める気持ちでspotifyをAmazon TVに繋げ、エリック・サティのジムノペディを流した。どのバージョンのジムノペディかは分からない。


妙な話かもしれないが、洗濯機とジムノペディは相性がいい。
ジムノペディは回転するもの全てにゆとりや、やすらぎや落ち着きを与える。
洗濯機は怒りを鎮め、その3拍子になんとか乗っかろうとしている。
キャプテン・アメリカの盾のデザインの時計にも。ぐるぐる回っていた針も少しずつたゆたっていく。
アインシュタインの法則をあっちこっちに最大限に利用して、回転するものを諫める。
時間やなんやかんやが伸び縮みする。
そこでまた不思議なことに、僕のぐるぐるとかき乱された思考も、その回転率を幾ばくか減らし(もしかしたら随分と増えているかも)、ほとんど止まるくらいまでになる(速すぎて止まって見えているのかも)。


皿の上のアジはまだ釘を打てるくらいにはカチコチである。

冷え固まった決意にかいとうを与えるには、まだ幾ばくかの時間がかかりそうか?

かかると思う。どのくらいかかるかも分からない。僕の思考も時計の針もどちらもズレていて、問題に正確な答えを与えることはむずかしい。実行は、またも長針に追いつけない短針のように文字盤に置き去りにされてしまうかもしれない。


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