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猫のように暮らしてみたい(その20)

人間関係というのは実に厄介だ。

人は生れてから常に他人と関わりを持って行く。

この場合自分と自分以外という点においては、親兄弟も他人だ。

他人の気を引く他人の目を気にする
誰でも何かしら他人との距離感や間合いに戸惑うことがあるだろう。

幼少期などは親に依存しなければ生きていけないのだから
当然親の顔色をうかがうような行動は自然なのだろう。

この時期において深刻な束縛や干渉、暴力やネグレクトなどを経験すると
まだ成熟していない自我に大きな影響を残すのは間違いない。

思春期にはかなり複雑な感情が芽生えてくる。
親よりも友達との関係が重要になり、
またその仲間に居場所を求める傾向にある。

一人でいることを恐れるあまり自分の意に反する行動をとったり
同じような言動やスタイルを真似ることで
一体感を得ようとする傾向がある。

この頃から人は本心を隠すことを覚え始める。

言葉とは相手に気持ちを伝えるためのツールだ。

人はたくさんの言葉を自在に操り他人とコミュニケーションをとる。

この頃に対人関係でぎくしゃくした経験の覚えがあるのではないだろうか。

「なんでわかってくれないのだろう」とか
「そういう意味で言ったんじゃないのに」など。

すごく仲がいいと思っていたのに悪口を言われていたり、
自分の思いとは違う方向に周りが動いていると感じる。

それはなぜだろう。

私はうつ病になってからほとんど自分の気持ちを
言い表すことができなくなってしまった。

言葉で表現しても他人には伝わらないと感じていたからだ。

言葉は雄弁なはずなのにとても不自由だ。

自分の気持ちを言葉にしたとたん、
それは相手の耳に入り脳で処理される。

相手が受け取った言葉は、その人の経験や価値観、感情、
情報などにろ過されて認識される。

つまり私の伝えたい言葉と、
相手が感じ取った言葉は同じではないのだ。

だから正確に伝わっているわけではないのだ。

それが分かった時、もう恐ろしくて何も話せなくなった。

そして上辺だけの愛想笑いと同調せず否定せず
ただやり過ごすだけの毎日を過ごしていた。


猫との関わりを軸に書くつもりだったのに
再び犬の話になってしまうのだが、

働いていた中古車販売の会社で犬を飼う話が持ち上がった。

理由は泥棒対策だ。
タイヤやパーツを夜中に盗む輩がいたのだ。

セコムなどのセキュリティー監視なども検討したが、
初期費用もランニングコストも高いので、
番犬をおけばいいじゃないかとなったのだ。

そして会社のアルソック犬として選んだのが、
黒いラブラドールレトリバーだった。

ペットショップから迎えた時、まだ4か月の子犬だった。

会社で会議を行い名前はぶんと決めた。

当然会社に置いておくには子犬すぎたので自分が毎日連れ帰り、
一緒に出社する生活が3か月くらい続いた。

4か月の子犬とはいえラブラドールなので10キロくらいある。

当時住んでいたマンションは3階まで階段で登るのだが、
ぶんは怖くて登れず尻込みをする。段差もまたげなかった。

まだ子犬だが中型犬くらいの大きさがある。

仕方ないので抱っこして階段を上った。
今では考えられないが当時はまだ自分も体力があった。


問題はウチのオス猫ひびきだ。

どんな反応をするのだろう。威嚇したりするかな。

これが驚くほど無反応だった。
こんなデカいの来ましたけどー、って言っても知らんぷりしてる。

ぶんは上目遣いで先住猫のひびきを見ると
遠慮ぎみに背中を壁に押し付けて隅っこの方で横になった。

こうしてしばらくの間、毎日ぶんを連れ帰る生活をしていた。

                   つづく。。。

今日も読んでくださった方ありがとうございます。


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