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霊との夜明け

 かしましくとよむ時計の針の乾いた音と、閑かに流れる小夜の空気の音。その二重奏は優しくうばたまの闇を包み込んでおり、私はその夜想曲を背景として、目を瞑りつつ考え事をしていた。

 私は先日こころの支えである大切な人を失った。彼女とは生まれたときからの付き合いであり、私が苦悩の山脈で躓いているとき、いつも彼女は暖かい手を差し出してくれた。その手を握ると、むらぎものこころには安寧の風が齎され、その山脈を超える智慧と勇気が決まって見出だされたのだ。そう、彼女の温もりの宿った手が支えとなって、私は人生の内に潜む幾千もの山脈を能く越えられたのだ。しかし、その手が失われてしまったため、何を頼りにしてゆけばよいのか全く解らないでいる。人生という道を進むための指針はすっかり翳を潜めているのだった。

 こころが虚しさに支配され始めていると、あからさまに床板のきしむ音がする。一体誰がきたんだ、とおどろおどろしく感じていると、枕元に亡き彼女のけはいがした。事実として彼女が佇んでいるのか、或いは真実として彼女が佇んでいるのか。それは私の理解の領域に含まれないものだが、何れにせよ彼女が存在していることに変わりはない。そう、霊としてうつせみの世に留まっているのだ。空間という場を介して伝わる体温、頬に降り懸かる閑かな息遣いと、双眸から発せられる視線のけはい。それらに妙なうら恥ずかしさを抱くとともに、彼女の魂に宿る切望の存在を感ぜずにはいられなかった。

 すると、私と彼女とを隔てる距離がようよう縮まってゆくようにおもおえたため、私はまどろんだ振りをして、彼女の行いを伺うことにした。彼女の繊細な指先が吐息とともに頬に伝わり、指先はやおら上に向かって軌蹟を描き始める。その感触は目蓋、髪、額と移ろい、遂ぞ頭上で静止する。そうして、一念の空白の時をへて、彼女はややためらいがちに頭を撫で始めた。今、私は霊に頭を撫でられている。そう考えれば、くすしい気分になる。しかし、その感情以上に、彼女の優しい手が懐かしくて仕方なかった。彼女の掌に込められた懐かしさ。むらぎものこころには、その欠片が広がってゆき、他の全ての欠片をも優しく染め上げてゆく。まさに、朝日が地平線を絶対的に染め上げるかのように。

 もう感じることの叶わないとおもっていた温もりを再び感じた私だったが、にわかに切なさと悲しさとを覚え、彼女の指先の軌蹟とは逆向きに生暖かいものが伝わってゆく。その涙は私の理性の手を離れており、もう止めることは叶わなかった。

 彼女は私の涙にこころ付いたらしく、手の動きが已んだ。すると、手は頭上をくちおしそうに離れ、今度は私の掌を優しく包み込む。手を包む暖かさは、ゆっくりと、そうして慥かに全身に伝播してゆくとともに、私の意識には負の感情に埋もれていた正の結晶がその姿を現わし始める。それは、失われた彼女の暖かい手の代わりに私を支えてくれるものに他ならず、それを忘失していた私はおもわず自責の念を抱いてしまう。しかし、彼女は慰めんばかりに掌に力を込め、私に未来を向くように促す。それこそが彼女の切望なのだろう、と感じたとき、私の意識は眠りの海に沈んでゆくのだった。


一言メモ

今回の作品は、私が浪人生の時に製作した小説です。浪人生の癖に何を呑気に小説なんて書いているんだ、というツッコミは一旦脇においておいて、軽く小説の内容に触れておきます。これは私の実体験を元にしており、ちょっとアレンジして小説風に仕上げたものです。これは家族であり、兄弟同然に育ってきた猫(ニカという名前でした)を数ヶ月前に失った時に書いた作品であるため、死んだものと残されたものをテーマにしています。愛するものを失うということはその瞬間も勿論悲しいですが、その感情はずっと続いて行くものです。あれから既に何年もの時が経っていますが、今だにふとした瞬間に思い出しては涕を零しそうになることもあります。仏教に愛別離苦という言葉がありますが、その言葉を初めて経験したのがまさにこの時でした。しかし、死別というのは単に悲哀を残していくだけでなく、それと同じだけの幸福な記憶も残して行ってくれたため、ただただ哀愁を誘うだけのものではないと思っています。そんな悲しみと幸福な記憶が混在した状況を描いたのがこの小説です。ちなみに、ニカが死んでしまった時、私は詩を捧げ、万年筆で書いた詩を一緒に燃やしてもらいました。その詩の内容は今も手元にありますので、いつかここでも公開できればと思っています。皆さんは死別をどう思いますか。

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