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表現力の化物:ミラクルエッシャー展鑑賞日記

28日土曜日、世間は東から西へ向かうという異例の台風に惑い、私が住む地域も避難準備警報を知らせるアラームが鳴り響き、隅田川の花火は延期した。そんな日に私は、タオルと傘を用意して午前勤務に行った恋人の帰りを待っていた。雨に濡れた彼を迎えるためではない。そもそもその時間はまだ雨は降っていなかった。出かけるためである。

エッシャーという画家をご存知だろうか。
とても著名なイラストレーターなので、知っている方も多いだろうし、知らないとしても彼の作品を見たことがあるという人はすごく多いだろう。
私がエッシャーと出会ったのはおそらく小学生の頃、子供向けのアート絵本で、だまし絵の代表的作品として紹介されていたのが最初だったと思う。それ以降、彼の絵にはありとあらゆるところで出会ったし、彼の絵の「概念」みたいなものにもよく出会った。
例えば登っても登っても登り続ける階段。階段を上ったはずが壁を歩いている家。それは漫画やアニメ、映画といった他のメディアでもたくさん出会った。

そんなエッシャーの作品だけ集めた展覧会が、先日29日まで東京は上野、「上野の森美術館」で開催されていた「ミラクルエッシャー展」だ。
フライヤーが出回り始めた頃から、これは興味を惹かれるなあ、と思っていた。行こう行こうと思っている間に1か月半の展示期間はずんずん過ぎて、気づけば最終日の1週間前。体調を崩していた私は最終日前日に行こう、と固く誓った。

その最終日前日、台風の予報である。恋人が帰ってきた時も、まだ外はかろうじて曇りだった。「どうする、行く?」「でも明日は最終日で隅田川の花火だよ、ものすごく混むよ」「帰り電車止まるかもしれないから、行けるとこまで車で行こう」「行けるところってどこまで?」「ていうか、ここから上野、高速使えば1時間くらいで行けなくもないよ」「えっ、ここから上……えっ?」美術館のこととなると見境がなくなる性格は、恐らくもう治らないのだと思う。首都高は運転したくなかった、と嘆く彼に頼み込んで車で都内まで行くことにした。
帰ってきた頃には豪雨かも、と思い、部屋中のシャッターを閉めて植木鉢を家の中へ入れる。暗くなった部屋で飼い猫が不思議そうな顔をしていた。車に念のためバスタオルを放りこみ、車は曇天の下高速の料金所へ向かった。

さて、ミラクルエッシャー展であるが、美術館には珍しく入場待ちが発生する企画展だ。いや、最近の展覧会は入場待ちもそんなに珍しくなくなってきただろうか。数年前、東京都美術館でやっていた若冲展で入場300分待ちになっていたのが、私が見た一番の待ち時間だが、ディズニーも真っ青の長時間に炎天下のダブルパンチで医療スタッフまで動員されていたのが印象的だった。
エッシャー展も週末にもなれば、時間帯にもよるが60分を超える入場待ち(チケット購入待機も併せるとさらに)が発生する、大人気企画展だ。上野の森美術館といえば、普段は現代作家の個展や公募展が多いが、昨年は「怖い絵展」みたいな連日入場待ちを叩き出すヒットメーカーになりつつある印象。次に予定しているフェルメール展も恐らくものすごい動員数になるだろう。フェルメールだし。(それを見越してチケットは日時指定制になっている)

豪雨を抜けながら高速を走り、上野の森美術館の真下にあるコインパーキングに到着したのが15時頃。首都高デビューの恋人、なんだかんだ言って問題なく目的地へ到着した。ナビ係のわたし、あの複雑な首都高を案内しきる自信が全くなかったが、なんとか間違えることなく案内できた。もうこれだけで満足しかけたが、目的はエッシャーである。
幸いチケット待機列はそんなにではなかったが(10分程度)、入場待機列は30分だった。おっ短い、と思ったが台風が来てるっていうのに屋根のない外に30分並んでも展覧会を見たいというある意味酔狂な人たちがこれだけいるのか、と思った。時折強くなる雨足に何とか耐えながらまさしく30分ほど待つ。体感的にはもう少し早かった。何とか中に入場するが、展示室への入り口の時点で既に人があふれている。エッシャー作品は小さなものが多く、しかもかなり緻密な画風も相まってかなり作品の前に人が集中してしまう。前に行くのは諦めて、少し遠巻きに見るが、序盤の作品は「これがエッシャー?」と思うものが多かった。

というのも、エッシャーと言えば冒頭でも言った通り、やはりだまし絵的な、どこまで行っても登り続ける階段だとか、そういうもののイメージが強い。8つに分けられた展示室のその最初、エッシャーと「科学」というテーマのそこは、静物画に非日常を紛れ込ませたような作品ばかり。既に錯視の兆候は出ているが、元々はこういう絵を書く人だったんだね、という感想が出てきた。

思った以上に、エッシャーの作風及び画題のバリエーションは広い。
一番驚いたのが宗教画。聖書というセクションに10点あまり展示されていた作品は、「天地創造」や「ノアの箱舟」など旧約聖書に基づいたテーマのものが多かった。生き物が好きな人だったのだろう、ほとんどの作品に何かしらの生き物が登場する。そして「男女」もまた彼にとってのテーマの一つだったのか、楽園追放や天地創造、ノアの箱舟、どれも印象的な男女ペアが登場する。彼は人付き合いが苦手な人であったというが、本当は人間が好きな人だったのではないだろうか、……といろいろ考えてしまうけれど、当の本人は自分の作品にあれこれ解釈をされるのが嫌いな人だったという。(オディロン・ルドンと一緒!そういえば白黒の画面、版画を用いる点、宗教に対する姿勢、生き物や化学を愛した所など、生きた時代は僅かにずれるが実は共通点が多い二人だった。書いてて気づいた)

生き物や風景の緻密なデッサンにも驚いた。彼のあの不思議なトロンプルイユたちの原点は、ああした日々の観察・デッサン力の賜物だろう。また緻密さとは少し離れた、ざっくりしているけれどもどこか温かさを感じるような人物画も意外に感じた作品だった。特に妻を描いたという、女性が百合を持っている作品は強く印象に残った。熱心なキリスト教徒の彼だから、恐らくは百合の花にもマリアと通じる意味合いを込めているのだろう、……と思ったけれどこれも野暮だろうか。個人的に一番好きなのは、白い猫を抱いたどこか不機嫌そうな顔をした男性がソファーに座っている小さな作品で、あの作品のポストカード絶対欲しいと思ったけれどなかった。
錯視やメタモルフォーゼ系のポストカードばかりで、折角の彼の意外な一面ともいえる宗教画や人物画のポストカードがなかったのが悲しい。今回いろいろコラボが多くてグッズはすごく充実しているように見えたのだけど、私にクリーンヒットするものが少なくて少し寂しかった。だけどSABONコラボだとかおもしろだまし絵グッズみたいなものは楽しそうでいいと思う。

もちろん、有名な「だまし絵」達や、正則分割を用いて複雑な形を組み合わせ延々と続いていく「メタモルフォーゼ」もとても見ごたえがあった。彼を一言で表すなら、デッサン力と創造力の化け物だと思う。目で見た物をそのまま恐ろしいほどに描き出す緻密な表現力と、頭の中で思い描いたモノをそのまま二次元へ映し出す"表現力"。化け物だ。ルドンもある意味では表現力の化け物なのだけれども、緻密さにはいまいちステータス振ってない(写実的でないという意味合いで)ので、ルドンが好きな身としては色々面白いな、と思う。同じ奇想の画家としてまとめられそうな二人だけど、共通点も多いけど、やっぱり追い求める表現は変わってくる。

どのセクションも大混雑でなかなか体力を削られたが、とても面白い展示だった。台風の中30分待った甲斐がある。
物販のあと、「ミラクルデジタルフュージョン」という体験型の映像コンテンツがあったが(動画を撮るとエッシャーの絵の中で動いている自分の動画が出来上がる)それも30分待ちの混雑だった。待ったけど。やったけど。最近こういうデジタルコンテンツを出してる展示多いけど(前は国立西洋美術館のアルチンボルド展の時に見た。あれもなかなか面白かった)SNS映えが流行を作る今、美術館ができる集客としてすごく興味深いと思う。混雑緩和が目標かな……。アートって、難しいものだと思い込んでしまって遠ざけてしまう人たちが多くて、特にそういう習慣や経験がないまま過ごした大人が多いのだろうか、と思うのだけど(本当に根拠のない推論だけど)なのでそういう映えとかなんとかでも若い世代を集客できる装置があって、「美術館へ行く」「アートに触れる」という経験ができるのは未来の来館者を増やしていくという意味で大切だと思う。もちろん、美術館にいかなくなってしまった習慣・経験のない大人を呼べるようなモノっていうのもあったら面白いと思うけど、難しいと思うしな。

上野からまた豪雨の中を抜けて帰宅……と思いきや、途中で雨はすっかりやんで、家に帰った頃は降ってさえいなかった。恋びともなんだかんだ始終楽しそうに見ていて、非常に満足度の高い鑑賞体験だった。ミラクルエッシャー展、巡回展なので、次は11月から大阪で開催予定とのこと。そのあと四国と九州もまわるので、是非西日本の皆さんはこれから見に行って欲しい。
あと全く触れなかったけど、この展示って音声ガイドにバカリズム起用したりアイドルやバンドも含む各界著名人からコメントもらったり、あと公式テーマソングがサカナクションだったり、サブカル層ガンガン取り込みたい感を感じてそれも個人的には面白かったです。

ミラクルエッシャー展:http://www.escher.jp/

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