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-自分が出来うる最大の浸透力で街や景色に溶けむ踊りを考える-

メンバーシップの皆様、さぁ11月も終わりが見えてきました。
時間や季節はしっかりと廻りますが、自分の思考の成長や身体の進化は自然界の時間に追いつくのか、追いつかないのか、そもそも「時間」や「思考」は人間の都合の良い観点での出来事ですから、人が創った時間に人が持つ思考が追いつかないのは本末転倒。時間も思考も成長も切り離して、自分の自分の為の自分による時間軸で生きてみようと思っているわけです。

先日とあるリハーサルで久しぶりに側転をしまして、僕自身は毎日動き、自分の身体と思考を進めているのですが、そこにこの数年側転が出てこなかったんです。外から見ると側転より手の込んだ動きをしているように見られているかもしれませんが、難しいとか簡単とか、腕力が必要だとかいらないとか、そういう他人が他人を判断するために用いる「項目」ではないものが自分の中に出来ている事に気が付いたんです。これはそれぞれ身体を動かす事でなくとも、なんらかの自分の「ものさし」みたいなものがある分野と照らし合わせながら読んで頂けたら幸い。

僕の中にこの数年(特にこの1年)構築されてきた身体を動かすという物事への思考や癖や流れの中に「側転」が出てこなかったんでしょう。
踊りを習い始めた頃は自分の出来る事を増やしたくて先生に教えを乞うわけですが、それと同時に今までの知識や常識が覆されたり、必要ではないと勘違いをしたりと、とにかく出来る事や考えられる事が増えるのではなく、自分という枠の容量を変えずに移行していく作業に過ぎない。
これは始めた時の目的を果たしたとは言えない事になる。自分がそれで良いのならそれで良し。でも僕はやっぱり忘れたくないですね、ダンスを習う前に考えていた事や、身体を動かしていた感覚は覚えておく必要が僕にはある。そうでないと「ダンス」に興味がなかったり、なかには嫌悪感すらある人達が普通に存在するこの世界で、僕が「踊る」事を許してもらう環境を自分で広げていくためには、ダンスと出会う前の自分の感覚が必要です。

12歳あたりで踊る事に出会ってしまった僕は、出会う前の時間があまりにも短すぎて不安になる時がある。
そこで大切なのは極力「踊る」を隠して人と接する時間を意識的に創ってみる事で、これはわりと簡単に出来る、そして楽しむ事が出来る。

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