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呼吸する社会を目指して。

2月4日より二週間、名古屋のダンスハウス黄金4422が主宰する、
アーティスト育成事業の一環として、こちらに滞在しながら、名古屋在住の3名のダンサーと作品を創っています。
今日はこの期間中に行われた、制作講座から僕が感じた事、
これからへの不思議な希望のお話です。

助成金申請に改めて触れてみた。

講座の前半は、舞台を行う上での【制作】のポジションの仕事内容や、
それにまつわる話を聞いた。
僕自身も、自分の公演の制作をやる事が多く、改めて、こんなに仕事多いのかと、しっかりとくたびれた。
それらをやりながら作品を創っていると、確かに脳みそが完全に制作脳になる事があり、創作しながら、告知方法が頭に浮かんだり、チケットの数字がチラチラしたり。僕はそれらすべての思考や行為が、創作と切っても切れない関係になっていた時期が長い。

昨年の夏の自主公演「yasuraka.」以来、キャストの方と、スタッフの方に大々的にご協力頂く公演をしていないが、あの時までは、まさに先に述べたような状態で創作をしていた。そしてそれが嫌ではなかったし、やはり作品のプロデュースや告知に関しては自分で行う方が好きだと言う事も、この講座を通して再確認出来た。

これ関しては色々な意見もあると思う。
やはりそこは信頼できるプロデューサーに出会うべきだとか、
作者は創作だけに集中すべきだとか。
僕も頭ではそう思ったりするが、今のところ、心が自分でやりたがるので、
世の中のロジックとかけ離れたとしても、自分に従う事にしている。

そして講座の後半のメイン。実際にグループに分かれて、助成金申請のフォームに自分の作品【僕はリーダーだったため、僕の過去作を題材に】の内容、予算、資料などを書き込んでいく。

あくまでも制作講座なので、作者的目線ではなく、制作プロデュースとしての目線で、作品の社会的意義、作品が文化芸術にどのような波及効果をもたらすかを考えて行くのだが、この作業が僕に、色々な意味での勉強と再確認を与えてくれた。
 
まず自分の作品と、社会の接点を考える文章を、申請書を読む人に向けると、その言葉遣いが、僕には冷たく感じたり、もどかしく感じる箇所が出てくる。
もともと文章が長くなってしまう癖はあり、そこは端的に伝えられるようにしたいと思っているが、しかし、端的に伝えられる事ならば、最初から、自分の身体や、観客の時間を使ってまでやることなのか・・・という疑問が出てくる。だから作者自身が助成金を申請する事は、性質的に難しい。という論には激しく同意する。しかし、これを僕の知らない所で、言葉にすることが得意な人間が、僕の作品の事を端的に、そして、この申請書を読む人に伝わりやすく書く事を想像すると、それはそれで、気持ちが悪い(笑)
ここではっきりする事は、今の自分には、不向きであると言う事だ。

しかしこの講座の素晴らしかったのは、あくまでも自分の作品と社会の接点について思考する時間を与えてくれている所であったため、僕は落ちこぼれずに、次へと思考を進める事が出来た。

自分にとっての社会とは。

自分の作品と社会が結びつけば、それはとても豊かな事です。
自分の創りたいものを、喜んでくれる人がいる、
自分の作品を喜んでくれた人を、今度はどう喜ばせたいのか。

吸って吐いて、吐いて吸っての呼吸のように創作活動が出来たら、
自分にはそれが向いているのだろうと思えたんです。
今までも、その構図はできつつあったんですが、意外と近くの人たちの反応を、感じ切れていなかったせいか、吐いて、吐いて、吐きまくり、過呼吸の状態で、作品を創り続けて来たようです。

社会が見えていなかった。そういう事ですね。

で、自分にとっての社会とは?になります。
今、僕が思う社会は、顔がわかる人たち。ですね。
傍にいる人、遠くにいても出会ったことのある人、
作品を観てもらったことがある人、WORKSHOPに来てくれる人、
良く行くコーヒー屋さんで出会う街の人々、
良く飲みに行くお店の店主、お客さん、
近所を歩けば会釈をする人。
我が町の交番には、ほぼ必ずお巡りさんがいらっしゃって、
必ず誰かが困って駆け込んでいる。
そんな景色など。

顔がわかる人や、景色が想像できる人に届けるなら、
わざわざ体温の感じられない言葉を使う必要もなく、その後の呼吸のつながりもしやすい。
ほら、書いているだけで、想像が膨らみます。

作品の内容や、踊りの自分の好みを変えることはないですが、
届け方、場所、企画、などがどんどん湧いてきて、今年のうちにも、いくつか発表できますので、お楽しみに。こちらでもよくお知らせさせて頂きます。

規模の力、数の力


助成金のおはなしから始まったので、少し立ち戻ると、やはり予算がしっかりしてくると、ある程度のインパクトのある事も出来るだろうし、
作品に関わる人の数や、上演出来る場所、ツアーの回数などなど、
可能になるものは増えてくるだろう。
しかし、そこに以前の僕のように、自分勝手な夢や希望で思考を向けるのはすこし怖い。
自分の活動でビックになってやろう、とか、有名な場所で公演がしたいとか言ってると、作品と活動とそれを取り巻く顔が見えるはずの社会との、呼吸が上手くいかない。
ここは冷静に、規模が広がると何が出来て、それは自分と社会の関係で、どんな喜びが生まれるのかを考えて行かなくてはならない。
そこの思考をしっかり持っている人が、さらに助成金をもらう事で、もしくは申請する事で、未来が見えてくる場合は、とても素敵なシステムだと言う事は、僕が言うまでもない。

そうした上で、僕は自分が昨年の公演後、どうしても費用の支払いが難しくなって始めた、活動資金サポート【sukisu-Kifu】の事を考え直してみた。
開始当初、多くの方がサポートして下さり、本当に助かった。
自分でも必死だったので、とにかく恥ずかしいやら、嬉しいやら、心が忙しかった。

現在の【sukisu-Kifu】ビジュアル

このシステムは今でも動いているが、これを呼吸するための一つのツールとして感謝をして使い続けようと思ったんです。
大変だから助けて下さい!
ではなく、作品やWORKSHOPを、皆さんと僕が喜べる形で続けて生きていので、お願いします。の精神ですね。
申請書に書く文章ではなく、僕の活動を普段から見て下っている方々が、それぞれの判断と、気持ちで、サポートして下されば、僕も他触りのある、責任と喜びの中で呼吸が出来る。
この活動の仕方自体も広がれば、また誰かの周りに、良い呼吸の出来る社会が出来る可能性は充分にあると思っています。

過去の呼吸

今回参加した講座で、過去の自分の公演の収支表を、公演前と仮定して、
書いてみる時間があったのだが、ここからも、自分が少し迷子になっていたこ事がよく分かった。

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