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おえかきのインスピレーションの箱。 ここは、記憶。 それとも、 痛み? つれづれと思…

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おえかきのインスピレーションの箱。 ここは、記憶。 それとも、 痛み? つれづれと思い出し想いかえす場所として。

最近の記事

きおく

母も父も絵がすきだった。 父は絵画教室をやっていたとき 母とであったらしい。母は父と結婚したことをずっと 『同情結婚だ』と言っていた。 たしかに、父は 裕福な母と違って大変な苦労を背負ってきた 生い立ちではある。 が、母よ。それを我が子に伝えるのもいかがなものか。私たち兄弟が生まれたのは 二人の寂しさを埋めるためでしかない。。。と 言葉そのものは意識してなかったけれど、心の隅では小さい頃から 存在してて、それと共に 育ってきた。

    • きおく。母の実家

      母の実家は深い山奥。 昔 お殿様が列をなして旅をしていた道だったようで、そんな山奥でも一部 石畳で道が開かれている。少し不思議な場所。 母の実家は集落の 一番奥にあり、ここで 行列の者たちは休憩していく事になっていたらしい。 その際に (手土産的なものを頂いてたりしたみたいよ。)と 母からは聞いてる。 それが家宝になってるのだとか。 祖父は神主だったりしたため、母は祝詞を真似て私に聞かせたりした。 おおかみよ かしこみ かしこみ もぉすぅ 手振り身ぶりしてみせる。

      • きおく。母さん

        そんな父と うって代わって 母は、 俗にいう《良いとこの出》というやつでした。 田舎ではあったものの、それなりの暮らしをしていたようで、現代になっても《腐っても鯛》という言葉を使って実家を表現してました。 母は、そんな家庭の中の末っ子。 甘えに甘やかされ、自分の母が亡くなる時でさえ兄弟からは祖母の病名を明かされなかった。 腸捻転で入院してる。高齢だから 入院が長引いてる。そういわれて 回復を待っていた母。 祖母は 末期の大腸がんを患ってたとも知らず。 ガンだったことを明ら

        • きおく。父の仕事

          父は絵描きであると同時に 看板をつくったり、器の絵柄を考えるデザインの仕事も個人でやっていました。 が、いかんせん 田舎での仕事。 家族を養っていけるだけの収入ではなかったと思います。8割揃える父なので 設備も資料も8割揃えます。当時はインターネットが普及する前。(してたのかもしれない,,,) ファックスやコピー機というのが オンボロの家にあったりする 不思議な空間でした。 っていっても それが当たり前で育ってるので、なんの違和感も持っていなかった。 学校の図工で『働くお

        きおく

          きおく。父のDNA

          孤独であることが、父の心のヨロイを固くする要因であったことに、間違いないとおもう。 父は きっと たくさん味方が欲しかったんだ。 仲間が欲しかったんだ。 そうして、生まれたのが 私たち兄弟なのだと 私は思ってる。 兄弟以外にも たくさんの 生き物を飼ってたりした。犬猫は常にいる環境でした。 それ以外にも 亀やら鳩やらインコやら、金魚にハマったり 貰ったカブトガニをかってみたり。猿がうちにいたらしいし、とかく、生き物は身近にいる環境でした。 この種類の多さ、父さんのヨロイの

          きおく。父のDNA

          きおく。祖母と祖父のこと

          祖母は祖父と再婚である。 祖父には愛する内縁の妻がいたが 病気で亡くし その後、祖母と出会い 結婚。 祖父としては、これが初婚だったはず。 一方、祖母は 祖父と出会う前 結婚前の娘さんを二人 置いて なかば 駆け落ちというドラマチックに 祖父と一緒なったらしく、 いわゆる 腹違いの兄弟である 私の父の事を恨んでいたという話しも聞いたことがある。 祖父と祖母は 年齢差があり、父が高校生になる頃には寝たきりで、大変 苦労したっていう話を 母からは聞かされている。 余談

          きおく。祖母と祖父のこと

          きおく。 祖母

          うちは 貧乏でした。 理由は明白で、 父が売れない絵描きのくせして 子だくさんだったからです。 兄弟は全員で9人。 連れ子でもなく しっかりと 二人のDNAを継いだ 男6人 女3人 が 古い長屋にひしめくように 暮らしていたのです。 父と母は駆け落ち同然だったらしく、 祖父母の協力や親戚の援助など無縁の所にいました。むしろ、父方の祖母など、今で言うところの《LD》学習障害だとか、発達障害の類いだったと思われます。計算や文字の読み書きも出来ずに、近所の同級生の方からは『お宅の

          きおく。 祖母

          きおく

          私は 絵を描いています 最初に影響を受けたのは 父だったかもしれません。 父親が売れない絵描きだった過去があり、幼い私はそれを見て過ごしました。 その為、《絵を描く》という行為が私のなかでは、さほど不自然ではなかったのです。 父さんは 色んな種類の絵柄を描きました。 仕上げる度に私を呼びつけ 『これ、どうや?』と咥えタバコで尋ねます。 当時 まだ、小学生の低学年の私にです。 父はいわゆる ジャイアン気質で 昔からの頑固で厳格ですぐ手を上げるタイプの人間でしたから、父の

          きおく

          まほん の 描く根源。

          言葉を繋げてくことで 思い出せること。 記憶の奥深く 隠してしまった気持ち 口には出せなくて 文字にしたら中途半端になってしまうから、絵をつけるしかなかった。 絵を 描くしかできなかった。 まほんが こうなるまで、どう辿ってきたか 少しだけ、ここに置いていけたらと思う。

          まほん の 描く根源。