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雑用で得られる効用3選

雑用――取るに足らない仕事を指し、あまり好まれる種類のものではない。

わかりやすい例では職場での飲み会のセッティングだろう。部署の若手が役割を任されることが多い。一昔前は、会議資料のコピーやホチキス止めなどもあった。最近では、デジタル化やペーパーレスが進み、雑用自体がなくなりつつある。

昨今、カンタンかつ過小な仕事に従事させることは、パワーハラスメントに該当する場合もあるらしく、上司や先輩が誰かに雑用を振る、といった事象は減っているのかもしれない。

ムダな仕事が減るのはとても良いことだ。一方、雑用にもメリットや学びがあると個人的には思っていて、今回は雑用について述べてみたい。

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さいしょに言ってしまうと、「①マニュアルの無い仕事に対応するセンス」「②想定の範囲を超えた仕事への好評価」「③多様な人との関わりによる気づき」の3つが雑用の効用だと思っている。


①マニュアルの無い仕事に対応するセンス

会社員時代、20代の若手のころ「コイツに任せられる仕事が無い」と見抜かれていたのか、代わりに、ありとあらゆる雑用を振られていた。

雨の日に役員など偉い人たちの弁当を外に買いに行くとか、職場の休憩室に置いてあるお菓子の在庫管理とか、職場近くの有名なフレンチレストランでランチをするため午前11時から店前で並ぶとか。ほぼパシリの所業だった。偉い人が百円玉が溜まったときに、五百円玉に両替する謎の雑用もあった。

そんなパシリ全盛期のあるとき、地方の拠点長が定年退職を迎えるにあたって、その部下にあたる人から要望を受けた。拠点長の社会人生活を振り返るスライドをつくるため、材料を集めてほしいと。

具体的には、拠点長の入社から現在に至る経歴や、過去の社内報に掲載された写真がほしい、とのこと。経歴については、人事部門のシステムにデータが残っているので、所定の申請書を書いて人事部門に持参した。

人事の担当者にいきさつを説明して申請書を渡す。「なぜ縁もゆかりもないお前が申請書出すのか」と問われたらどうしよう、と思っていた。雑用のつらいところは、明確な担当部署が決まっていないことだ。「なぜお前がこの仕事をやっているの?」と聞かれても答えが無い。なにせ雑用なのだから。

予想に反して、意外にも人事の担当者の人はこうねぎらってくれた。

「大変だねぇ。こういうマニュアルの無い仕事は対応にセンスがいるよね」

センスがいる、ですって(キラーン)! その言葉に気を良くした単純なぼくは、過去の社内報に加えて社史の写真も調べて地方拠点の人へ提出した。写真データは、いつ撮影されたものかわかるように別でリストを作った。

「送別会でスライドを流すのだと聞いていましたんで、いつの写真なのか、わかるようにリストにしておきました」

おー。わかりやすくて助かった、と相手は褒めてくれた。

その後、定期的に同じ依頼がぼくに舞い込むことになった。それなりの地位の人が定年を迎えたり、拠点をまたいで部署異動のときなど。本来の業務とかかわりがない雑用だけど、上司もニヤニヤしながら見守ってくれていた。

②想定の範囲を超えた仕事への好評価

取引先が創業50周年を迎えるので、お祝いとして樽酒を送る、という雑用もあった。

営業上の取引先であれば営業部門が対応するのだけど、その取引先は営業上は関係性の薄い株主だったので、コーポレート部門側で対応した。

取引先が記念パーティーを開催するので、当時の社長や役員メンバーも参加を予定していた。そこで、パーティーの開会時に鏡開きのため、樽酒を発注することにした。

さいしょは百貨店の外商担当者に任せようとしたのだけど、異常に高い見積りが出てきたので、ぼくが業者を調べて直接手配することになった。当時からコスト抑制には厳しい会社なのだった。

ネットで調べてみると、樽酒専門の業者が見つかる。樽の種類、日本酒の量だけでなく、酒をつぐ柄杓や、酒をそそぐ升も同時に手配できる。升には自由に名入れや刻印できるサービスもあった。

上司と相談した結果、升の一辺に取引先の会社名、もう一辺に「祝50周年」と刻印を入れることにした。そして、記念パーティーの前日に届くように、取引先の担当者に確認の上、手配した。

後日、自分のボスである役員から「升の刻印、喜んでくれたわー」とお褒めのフィードバックがあった。

続いて、その取引先担当者から「社内であの升がほしいって声が多くて」と、同じ内容で升だけ追加発注したいので業者を教えてほしい、との依頼があった。

多様な人との関わりによる気づき

営業部からの依頼で、自社と長い取引関係のある顧客との歴史を振り返るため、OB役員にインタビュー取材をしてほしい、という雑用もあった。なんのこっちゃの話だけど、経緯は次のとおりである。

・顧客とは40年を超す、長くて濃い取引関係がある。
・このたび顧客との大型商談を控えている。
・営業部としては受注必死の案件、役員も注目している。
・プレゼン資料を作るにあたり、過去の取引関係を年表に整理したい。

以上の目的から、その顧客との取引に詳しいとされるOB役員の複数名にインタビューを行い、情報をまとめてほしい、と営業部長から依頼を受けた。

たしかに営業部の仕事ではないが、コーポレート部門がやる仕事でもない。これもまた雑用の範疇である。

(後年聞いたところ、その営業部長は、対象の役員たちがかつての上司だったので、対応するのがめんどくさいという気持ちが腹にあったらしい)

とはいえ、ぼくもそのOB役員とは面識が無いので、人事部長の同席の元、OBの自宅または近辺のカフェなどでインタビュー取材を行うことになった。

会社は今でこそ情報処理サービス業だが、OBが現役当時は外国から機器を輸入して据付・調整とメンテナンスを専業の時代、と思っていた。要は、右から左へ受け渡すだけ。機能面での自社の付加価値は無い時代と思っていた。

それが、OBの取材を通して聞くと、当時から機器メーカーに対して顧客の要望に基づく機能の追加開発の要望をガンガン出していたらしい。お客様のために40年前から付加価値を生もうとするマインドがあったと気づかされた。

雑用によって、普段はかかわらない人と交流すると、自分の手持ちの情報で作り上げた認識を改めることができる。そう感じたエピソードだった。

まとめ

以上、社会人時代のいくつかの経験から、雑用の効用を3つ挙げてみた。

雑用で得られる気づきや学びを実感する経験は、今でもぼくの記憶の中で、宝物のように大事な場所を占めて、保管されている。

とはいえ、職場で雑用で味わった屈辱感や羞恥心や自己否定感もあった。
諸手をあげて「雑用バンザイ!」と言いたいわけではない。

ただ、人生でうまくいかないことは往々にしてあるし、思い通りにならないことが普通なのだから、雑用を通過儀礼に、生きやすい考え方や耐性を身につけてみるのもアリだと思うのだ。

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