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「丸投げ」は良くないことなのか

サラリーマンをやっていると「丸投げ」される機会は往々にしてある。

丸投げとは、Wikipediaによれば「本来なら担当すべき業務をそっくり他人に任せること」とされている。

それアンタの仕事でしょー、勘弁してよー。
そう言いたくなる仕事、それが丸投げとされている。

ただ、あるまじき行為のように言われる丸投げでも、ぼくは不快に思うパターンと、別にそうでもないパターンがあった。投げてくる人が権力者であるかどうかを問わない。

今、ぼくはフリーランスなのだけれど、会社員時代のさいごのころは、心地よい丸投げはむしろウェルカムだった。変態の極みであると思う。

快・不快を分けるのは何だったのか。考えた結果、3つに絞り込んだ。
「スキルの有無」「ポジティブか否か」「任せ切る度量」である。


丸投げのポイント①:スキルの有無

  • 本来、その人が担当すべき業務であっても、もし自分の方がスキルがある場合には、丸投げされることもそこまで不快ではなかった。

  • もちろん、楽をするためだけに仕事を振ってくるのは納得できない。その丸投げ側の人が別の仕事を頑張っていたり、重い責任を果たしていたり、といった条件付きでもある。

  • スキルがある人に仕事が回ってきて、それが会社全体として効率的であるならば、業務の専任担当者にする、という判断もありうる。

  • つまり、その時期において「丸投げ」であっても、実はそれは最適な業務分担に移行する過渡期である、という場合もありうる。

丸投げのポイント②:ポジティブか否か

  • 主観的な要素になるけれど、丸投げ側が仕事をポジティブに捉えているか否かによって、受ける側も変わる。誰しもぞんざいに扱われたくはない。

  • 「価値のある仕事なので、貴方に任せたい」と言われると、表面上の言葉だけかも知れないが、粋に感じて仕事を完遂しよう、と言う気になる。

  • もちろん、完遂したあとで「ありがとう」「助かった」「さすがだな」と感謝されると、次も受けてもいいな、と思うものである。

  • まれに厄介なパターンがある。丸投げ側の人が、自分でもコントロールできていない気分のムラで仕事を振る場合である。投げる側・投げられる側が両社ともに理由が不可解なので、しこりが残る。(その人の体調不良や別の不満の八つ当たりであったりする。これ以外と"あるある"である)

丸投げのポイント③:任せ切る度量

  • 丸投げした割に都度、細かな進捗報告を求めてくる。受ける側も、そんなに気になるなら自分でやってよー。という気になってしまう。自己コントロール感を奪う態度は、モチベーションを削ぐ。

  • 丸投げをしてきたタイミングが、もうニッチもサッチもいかないギリギリの時期である場合に、こうした細かく進捗確認が発生する。

  • 丸投げした成果を自分の手柄にする、という一見最悪のケースもある。これをやられると、二度と丸投げを受けたくなくなる。

  • ただし、上記の「自分の手柄にする」は、投げる側の複雑な心理が含まれている場合がある。すべて丸投げをした場合、受けた人に責任を負わせてしまうことになるため、それを申し訳ないと思ってしまうケースである。つまり、投げた以上は盾になる、という気持ちの顕れなのである。

  • しかしながら、受けた側が「成果に対する責任は自分が取るわ!」という気持ちだった場合、両者には決定的な、ほぼ修復不可能な亀裂が走る。


このように分析してみると、そもそも丸投げをする場合には、両者のあいだに前提条件が必要であるように思われる。

  • 受ける側が投げる側の人を「仕事をしている」「責任を果たしている人」だと評価している

  • 投げる側がその仕事に対してポジティブな価値を置いており、感謝のフィードバックをしている

  • 成果を提出した後のふるまいで誤解が無いように、両者に相互理解がある

総じてまとめると、両者のあいだに敬意や尊重、信頼関係があれば丸投げはそこまで不快を発生させないのではないか。両者の関係性の成熟度合いさえ間違えなければ、全体の効率化や生産性向上につながる、と思っている。

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