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古代ギリシャを学んで江戸後期地方史に取り組むわけ


古代ギリシャ

ギリシャ神話・古代ギリシャへの興味・関心は長い事持ってきたが、この10年ほど、NHKカルチャーセンターで藤村シシン先生の各種講座を受講して、改めて歴史を学ぶ面白さを感じるようになった。

学生時代までの「西洋史の源」という一元的な解釈から、より複雑で驚くほど魅力的、そして時に容赦のない残酷さにも目を向ける現代の解釈へと、古代ギリシャを見る眼がどんどん深まり広がっていく面白さ。
いつも次の講座が楽しみで仕方がない。

「受容史」という新たな視点

その中で、今年は「受容史」という最新の分野がテーマとなった。古代から現代に至るまで、神話はどのように解釈され、変容してきたのか。
私たちの知っているあの神、あの英雄は、かつてどのように受容されてきたのか。そもそも今私たちが知っているのは、どの時代の解釈なのか。

時代の流れ、地域性によって、全く別物として語られる星座や英雄たち。
私たちの時代のイメージが、次の時代の「正史」になるかもしれないという高揚感と怖さ。
今までのテーマもそれぞれ魅力的だったが、また一味違う視野を得た今年の講座だった。

伝えることの大切さ

特に考えさせられたのが、記録して「伝える」ということの大切さだった。古代ギリシャでは膨大な物語が語られたのに、残っているものはわずかしかない。
まずはアルファベットが作られ、それがパピルス紙の巻物に書かれ、図書館に収集され、書写される。
だが、パピルス紙はもろい。常に新しい紙に書き写していかなければ、簡単に失われる。時代が移って多くの書物が失われた。

「この物語の続きが残っていれば」「この人の著作が現存していれば」と残念に思うにつけ、現代も決して安心してはいられないことに気づく。絶版のなんと多い事か。デジタルデータでも、ハードウェアがなくなればそのためのソフトは走らせることもできない。

『本家日記』との出会い

そんな中、今年出会ったのが「中条唯七郎『本家日記』」だった。
繁栄と飢饉が表裏をなす江戸時代後期、近隣の村で名主を務めた中条唯七郎という人物が40年にわたって書いた日記である。
毎日細かいことまで書き留められたこの日記を、中条家は大切に保管し、その翻刻(活字本)が今年発行された。
当時の「候(そうろう)文」で書かれたこの日記を現代語に訳すサークルに参加しないかと誘われて、強い興味を抱いた。

20人ほどのメンバーで、月1回、一人1-2ページを現代語訳していく活動は、日本史をろくに学んでこなかった私には簡単ではない。
しかし、その分何もかもが新鮮で面白い。江戸時代のことも、この地域のことも、知らなかったことばかりで毎回とても楽しい。

そして、この活動を通して、私自身が「伝える」という大事な仕事に関わっているのだと、古代ギリシャ講座での学びが教えてくれる。この嬉しい充実感とともに、できるかぎりこの活動に参加し続けたいと思っている。

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