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お葬式を語る

⚠️エピソードに関しては不謹慎極まりないです
⚠️不快に思われる方、共感できない方たくさんいると思われます、後半のおすすめ寺コンテンツまでぶっ飛ばしてください
⚠️はじまりのはじまりだけ一丁前です

エンタメとして温かい目で見ていただけると幸いです🙇






はじめに


大学1年の夏、祖父が亡くなった。

祖父は定年退職してから急激に小さくなってしまった。
仕事が趣味の様な人だった。
さらに唯一の趣味である「詩吟」もコロナ禍で思うようにできなくなっていた。
彼は彼にとっての楽しみを奪われどうにもできなくなっていた様に見えた。

私はあまり祖父と仲が良くなく、会うたびに割と喧嘩していた。
その割には知り合いに私の大学入学について自慢し、都合の良いところだけ切り取って見栄をはるところが苦手だった。

最後に喋った時も「早く帰れ!」みたいな感じだったし。まあ会話のすれ違いだったんだけど。

祖父(耳が遠い滑舌が悪い)VS私(耳が遠い滑舌が悪い)だったため、友達を家に呼んだ際、
祖父「何人来るだあ?」
私「5時に来るよ!」
祖父「5人も来れないだろ!!!」
私「(なんで怒るん?)???」
みたいなことが多々あった。

別に嫌いなわけではなく相性が悪かっただけだと思う。きちんとしている祖父といい加減な孫だったからそりゃあお互いに気に食わないだろう。

しかし、だらしない私にとって祖父は尊敬の対象でもあった。祖父の几帳面にまとめられた仕事の資料や様々な書類を見ては「すごいな…私には出来ない…」と思っていた。

正直、祖父が死んだときは悲しくなかった。

人が死んだらもっと悲しいと思っていた。

実際は「あ、いなくなってしまったんだ」という喪失感の方が大きかった。
まあ何より彼が最期苦しそうだったため、苦しいのから開放されたんじゃないかなと思った。

また、父を見ていて、身近な人が死んだら忙しくてそれどころじゃなくなるんだなと思った。
お通夜、お葬式の準備、各種行政手続き、相続関連手続き、次々とやることが降りかかってくる。
悲しむ暇もないのだ。

実際には、父が悲しんでいたか、手続きが大変だったのかはあまりわからなかった。
気づかなかっただけで、色々考えていたのかも知れないけど。
気になってみて調べてみて現状を知り、割といつも通りだった父はすごいなと思った。

話が暗くなってしまった。しょうがない。
お葬式がテーマだからな。


とても不謹慎だが、正直なところ、私にとってお葬式は楽しかった。

久しぶりにいとこやはとこに会ったり、祖父の知り合いが面白かったり、祖父について知らなかった話を聞けたりと、1つのイベントとしてお葬式が存在していた。
たぶん、これは幸せなことなんだと思う。
故人が割と人生を全うして亡くなられているためであると思われる。

私はお葬式というもの、お葬式という文化が好きだ。

古代ギリシャ人でさえも死者に花を贈っていたという。
人はなんのために死者を弔うのか。
それは「死者のため」にという建前に、生きている人がその人のことについて考え死んでしまったことを様々な形で受け入れるための儀式なんだろうなと思う。

その誰かが始めた儀式が定着して今があるのだろう。



そんな私は度々お葬式のたびに何かやらかしている。
というかやっぱりお葬式ってそれだけ印象に残るイベントである。

そんなお葬式に関するくだらないエピソードやそれをきっかけに見つけたものをこれからつらつら書いていくー。





お葬式やらかしエピソード


ベスト・オブ・不謹慎


小学6年生のとき、祖父の妹、つまり大叔母にあたる方が亡くなった。

彼女とはあまり話したことがなかった。
500円玉貯金が好きで、お年玉が500円玉で構成されていたことを覚えている。
遺品整理のときも部屋の色々なところから500円玉が出てきた。

そんな彼女のお葬式のため、小学校の終業式を休むことになり、春休みの人気のない職員室に休むことを伝えに行った覚えがある。

大叔母は出戻りだったこと、病気のためにあまり外部との交友関係が広くなかったことから、ほぼ家族葬だった。
祖父母と長男家である我々が喪主だったこともあり、兄と私はお茶出し等のお手伝いをしていた。あまり大叔母のことを考える時間はなかった様に思う。
エンドレスお茶出しと親戚のおじさんおばさんにひたすら撫でくりまわされていた記憶しかない。

通夜と準備で疲れ、お経の時間はひたすら眠たかった。
それは私だけでなく、周りの大人たちも同じだった。
あまりにも眠く、なんとか起きようと周りをキョロキョロしていたところ、目の前に座っている祖母がうつらうつらと船を漕いでいた。
人間、自分より眠そうにしている人を見ると目が覚めるらしい、急に目が覚めた。

目が覚めども退屈だった私はしばらくどうでも良いことを考えていた。

和尚さんが唱えていたお経が一瞬静まった。
次のお経に入るのだろうか。

「かあああああつっっっ!!!」

本当にビビった。
突然大声でなんか和尚さんが叫んでいる。

しかし、それ以上に目の前の祖母が文字通り飛び起きたのが面白すぎた
本当に面白い、祖母めっちゃ起きたじゃんwwwww

「ぐふっ」

気付いたら吹き出していた。
すると隣の兄、いとこに伝染し、ほぼ1列(子供の列)はみんな肩を震わせ声を殺してしばらく笑っていた。

葬式終了後、私は周りに「お前が笑うから笑っちまったじゃないか!!!」と言われ続けた。
まあ、しょうがない。
面白いものは面白かったのだ。
それから十年近く経った今でも「あのときあんたお経中に笑ったよね」と言われる。

ちなみにこの和尚さんの叫びは「喝」であり、日本三大禅宗の1つの臨済宗における1つの特徴らしい。

葬儀の後半におこなわれる引導法語(いんどうほうご)という儀式の中で、お経を読んでいる途中に僧侶が「喝」と叫ぶのも、臨済宗の葬儀における大きな特徴です。
これは、故人の現世への未練を断ち切り、正しい道へ進ませるため。
つまり僧侶の「喝」には、仏の道へ故人を正しく歩ませる、という意味が込められているのです。

出典「臨済宗とは?葬儀マナーとお経をあげる時に「喝」と叫ぶ意味」

そのため、お経中に「喝!」と聞いてぴんと来ない人はたぶんお家が臨済宗ではない宗派であると思われる。
また、和尚さんと自然と書いていたがこれも浄土宗、臨済宗、曹洞宗での呼び方だとか。
仏教徒でも違いあって面白いね。
勉強になった。

それにしてもまじでやってしまった。
祟られるかと思った。


祖父のお葬式

盛大なお経

祖父のお葬式のときのこと。

御焼香が終わり、お経が続いていた。
今回も例の「喝!!」があることはわかっていたため、身構えていたため笑わずに済んだ。

しかし、祖父のお葬式の規模が大きかった。

途中からシンバル、ミニ鐘、手持ちミニ木魚を手にしたお坊さんが6人追加で登場したのだ。

さらにリズムに合わせて
チーン!ドーン!シャーン!!
チーン!ドーン!シャーン!!
チーン!ドーン!シャーン!!
と演奏会が始まった。

今回は流石に笑わなかった。
面白いと言うよりも驚きが勝った。びびった。

葬式終了後、たしか火葬場への移動中に祖母から聞いたのだが規模が大きくなると和尚さんを何人か呼び大がかりで演奏会・・・じゃない、弔ってくれるらしい。

それにしてもなんだか大層なお経だった。
祖父の仏様となってからの名前(戒名(かいみょう)と言うらしい)も立派だったから、祖父ってやっぱすごい人だったんだなあ(小並感)と思った。


詩吟の会、大合唱

祖父は趣味で詩吟を嗜んでおり、結構強い(?)人だったらしい。師匠的な。
そのため、詩吟の会御一行様がお葬式に来て下さった。

ちょうどこの御一行様がいらした時、私ははとことくだらない話で盛り上がっていた。そんなくだらない話をしている時にいきなり会場の方から大合唱が聞こえてくるではないか。
はとこと二人会場に戻ると、よくわからないおじいちゃんおばあちゃんの集団が何かを唱えている。

何事だ。ちょっとよくわかんない。(突如脳内に現れるサンドウィッチマン)

どうやら弔いの歌をみんなで詠ってくれたらしい。
まあしかしコロナ禍で親族への確認なしに大合唱し始めたらしいからこれにはみんな驚いたしどうしようか困ったらしい。(両親・祖母の困惑ぶりが容易に想像できる)

結局途中で止める訳にもいかず、最後まで彼・彼女らは気持ちよく詠いきり、ぞろぞろと帰っていった。まるでトムとジェリーに出てきた蟻の行列を見ていたようだった。

そんな詩吟の会の方々がこぞって来て歌を詠んで行くほどに祖父は慕われてたのだなあと思った。


祖父が赤ちゃんの頃の話

火葬の待ち時間、弁当を食べながら祖父の姉に当たる方が祖父の小さい頃の話をしてくれた。

「〇〇君はね、お歌と踊りが上手でね、よく自転車の籠に乗せて友達らに見せにいったのよお」
「あの時〇〇君はほんとにかわいくて…」

祖父の幼少期について本人以外から聞く機会なんてなかった(大体の人はないと思うが)ためとても新鮮だった。

しかし、「これ本人絶対恥ずかしいやつじゃん」というエピソードばかりだったため、孫一同はずっと笑いを堪えながら(堪えられてなかったか)話を聞いていた。

親や祖母に「あんたたち相手してくれて本当に良かったよ…」と言われたが、めちゃくちゃ面白かったのでこちらこそありがとうである。
祖父は死後こんな形で孫たちに恥をさらされるとは思いもしなかっただろう。ごめんよ祖父。
それにしても自分だったら嫌すぎる。その点末っ子で良かったなんて思ったりした。()


自分の葬式を想像する

偶然死んじまった!!!ってならない限り私は「あいつまだ生きてるよ!!!」と言われるくらいスーパー元気ヨボヨボおばあちゃんになって寝てる間にぽっくり死にたい。まじで。

死後の世界は知らないし、あってもなくてもどちらでも良いが、自分が死んだ後の世界を見れるものなら見てみたい。

お葬式してくれたらうれしいしお花を贈られたらうれしいし、お墓を掃除してくれたらめっちゃうれしい。

うれしいから「ご先祖様の御贔屓ボタン」とか「仏の御加護ボタン」があったら押しまくりたい。

死後の願望(?)として、強いて言うなら自分のお葬式が見たい。

お葬式は全然悲しんでほしくない。

はじめに言ったようにお葬式は死者のためと言うよりは残った人のためなんじゃあないかと書いたが、私は我儘なので自分の葬式は自分でプロデュースしたい。

私が作ったプレイリストを聴きながらみんなでご飯食べてくっちゃべる会にしてほしい。
麻婆豆腐と肉じゃがが好きだからメニューはそれかな。この組み合わせ合わないか笑
棺桶には私が買いすぎているアーティストグッズとCDと私のミントグリーンのベースとチョコレートをいっぱいに詰めてもらって、納骨の時に甘い匂いに包まれてほしい。そんで「まじあいつこんなお葬式考えるなんて死んだ後まで最高な奴だな」と思ってほしい。楽しいお葬式にしてほしい。

まあそんな事を考えたのはテレビで「終活」特集をやっていたのを見たためである。
「若くても終活ってやっといたほうがいいよなあ」と呟いたら母に「死期が早まるからやめなさい」と言われた。どうだかねえ。





余談:好きなお葬式関連コンテンツ

伊丹十三「お葬式」

祖父のお葬式の後、父に勧められて伊丹十三監督の映画「お葬式」を見た。
ジャンルはコメディドラマに当たると思う。
内容は簡単に言えばある故人のお葬式の様子を切り取っただけの映画である。

昭和の映画であるからか、少々衝撃的なシーン(家族で見ると気まずいやつ…、いやうちは家族で爆笑してたな?)もあった。
基本的には「お葬式ってこんなだよな~」という感じ。あんな大家族じゃないけど。

親戚間のやり取りがちょっとドライな感じがとてもリアル。

世にも奇妙な物語「燃えない親父」

世にも2020' 夏の特別編で放送された。
(見逃し配信あるのか知らないけど紹介)

この話愛に溢れてて好きです。
故人について考えさせられるとはまさにこのこと。
そのきっかけが火葬で親父が燃えないというのが独特だけど。

あと兄弟喧嘩がリアル。あんな感じだよな笑

ぶっちゃけ寺

いつ頃やっていたか、今もやっているのか覚えていないが、ゴールデンタイムにやっていたお寺に関する歴史やお坊さん達のぶっちゃけを中心としたバライティ番組。
お坊さん達のお話は説法慣れしているからかとてもユーモアに溢れていて面白い。ついでに歴史の勉強にもなる。

小学生の時親に「何が面白いのかわからない」と言われながら見ていた。その時からお葬式好きの素質があったらしい…(?)


沼!お寺コンテンツ


般若心経ビートボックス

父がすごく嬉しそうに教えてくれた。

耳が心地良い…。たしかにお坊さんってイケボだしリズム感や音感良くないとお経よめないよなとこれ見て思った。
自分の葬式これがいいなあ…てか自分の葬式、出たいなあ…

THE南無ズ

もうサムネから最高。
ヤバTとかキュウソとか好きな人絶対ハマる。
シンプルに曲かっこいい。ベースから始まる曲は大体神曲だからね(私調べ)

ナムナムTV

YouTubeのニュースで発掘。
これぞネオ仏教。
いつか行きたい、見たい。





つぶやき:途中マイケル・ジャクソンのスリラー聴きながら書いてました。背筋ひやひや。
良く考えたら日本基本的に火葬だからゾンビでないね、よかったよかった。



好き放題書きすぎてまとまりがない笑



参考資料:


まじでお葬式エピソード集めたすぎる。

というかここまでの記事の感じからいきなり何?って感じ。
並べられた時の違和感すごくて良いね。場違い感。
書いたらまだまだお葬式エピソードあって書ききれなくなったからまた書くかも。

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