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幸運の鍵 第1087話

《令和6年4月5日(金)》

人はよく「運が良い」とか「運が悪い」と言いますね。それは、結果を「たまたま」という捉え方をしているということです。「運が良い」と思うことは、とても素晴らしいことだと思います。何故なら人は少しの成功でも、自分の実力だと自惚れてしまいがちだからです。逆に「運が悪い」と思うことは避けなければいけません。それは原因究明を放棄し、謙虚に反省するという人間として必要な作業から逃げているからです。天台宗の尼僧、瀬戸内寂聴は次のように言っています。

「私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、これが『因』です。
起こった結果が『果』です。
因果応報というように、必ず結果は来るのです」

成功も失敗も、全ての結果には必ず原因があります。成功には成功するだけの努力や忍耐を必ず経ているはずです。しかしそれを、運良く皆が協力してくれた…、運良く先祖に守られた…等と、自分の努力を誇らない姿勢はとても素晴らしいことであり、その謙虚さは必ず次の幸運を引き寄せることでしょう。

逆に「運が悪い」という捉え方、例えば一時停止をしないで、警察にキップを切られた…等という時はアンラッキーと思う人が多いものです。たまたま捕まってしまったという捉え方ですね。しかし本来は、警察がいてもいなくても、交通ルールを守る習慣があれば、キップを切られることは無いのです。それを運が悪いと考える人は、いずれまた同じ違反を繰り返すことでしょう。「因果応報」と言う通り、自らの行動の結果は必ず自らに戻って来るからです。

今日も読んでくれてありがとう!今日も皆さんに、たくさんの幸運が訪れますように!

数多の若き英霊が海の藻屑となりました。感謝と鎮魂の誠を捧げます!合掌!