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【目印を見つけるノート】510. コピーしてホチキスどめでも

太陽の光は少しだけ柔らかくなりましたが、たまらない暑さですね。寝付けなかったので、高千穂峡の動画を見て心を涼しくしていました。

きのうは1日ぼんやりしていました。
本当にぼんやり。
時間の感覚がどこかに飛んでしまうエア・ポケットに入ったようでした。そのような感覚は何度も経験したことがありますが、適切な過ごし方はなかなか習得できません。
きのうは小説の更新が遅れてしまいましたが、何とか未明で😅
詩もひとつ投稿してみましたが、
書くことに向かうというのは自分の場合有効なようです。

詩を書くのは、いいですね。
ネットに書いたものを出すようになって以降再開したのですが、前より書くのが楽です。楽しいという意味も含めて。

前に止めたのはいつでしたか、えーと、90年代の後半でした。ライブ見に行かなくなったのと詩の同人を離れたのが2大要因だったと思います。同人誌ではシュルレアリズムの専門家やディラン・トマスの訳を手がけた方もいっしゃって、知的な刺激をたいそう受けたのですけれど、残念ながら数年で離れました。
そのまま、2018年ぐらいまで詩はほぼ書きませんでした。どうして再開したのでしょう。書いたものを公開するようになったのと、ライブにまた行くようになったからでしょうか。その二つはきっとセットなのですね。詩のスイッチを入れる力というか。

前より使うことばと内容はシンプルになりました。どこにでもある、ありふれたことば。
そして、前より広い意味でレトリック(修辞)を意識するようになったようにも思います。そうは見えないでしょうけれど、意識です。
喩えはむちゃくちゃ使いますね。

これまで、
ミルトンやギンズバーグの長大な詩も拾いつつ読みましたし、金子みすゞの短い詩も好きです。『失楽園』と『吠える』は長編詩の代表格でしょう。全部はとてもとても。
エリュアール、エリオット、ロルカが私の御三家なのは前にも書いたと思いますが、そのような趣味は高校生のときと変わらないですね。あ、ワーズワースも好きです。今はシェイクスピアを自主的に再履修中です。なぜなら、劇作の数々にも詩がいっぱいあふれていることに気がついたからです。

noteでポツポツ出しているものもそこそこたまってきたので、じきにまとめられたらいいなあ。コピーのホチキス留めかもしれませんが😅
タイトル?『地球用説教集』かな。『家庭用説教集』(ブレヒト)のもじりです。あるいは『震える魚』かな。『溶ける魚』(ブルトン)のもじりです。もう、このようなもじりなら延々とできますが、じきにボロが出るのでやめておきましょう。

ネットでバズっていいねが1万ぐらいになるのも、想像すらおこがましい感じで、いいなって思うのですけれど、私は自分の好きな人がきちんと読んでくれていることをとても幸せに感じます。たとえばコピーのホチキスどめだったとしても、そんな風に読んでもらえるのなら、書いた甲斐があったと思うのです。

ネットにはネットのいいところがあります。
ちょっと前にも書きましたが、雲の上のような人にもアプローチできたりするでしょう。それはすごいなと思います。

でも、ネットだけが世界ではないのですよね。自分の周りの箱庭のような現実の場所も、ひとつの世界だと思います。
そのような見方をすれば、コピーのホチキスどめも立派な世界なのかなと。

創るってもっとプリミティブなものなように、私は思います。
さすがに、ロゼッタストーンはしませんけれど。

ちなみに、手書きコピーの冊子でも資料的価値があれば国会図書館に置かれるようです。私は岡山のことを調べているときに見つけました。児島の豪族の誰それさんがいつ庄屋さんになったかという内容でしたが、役に立ちました。

ここのところ寝不足が続いたので、
今夜はすぐに寝てしまいそうです。

Zzzzz……今日もストーンズで。
THE ROLLING STONES『Brown Sugar』

この曲、好きなんだ。
すいません、最初寝ぼけていて、『ダイスを転がせ』を持ってきてしまいました。

おばかさん😓

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽






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