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おじいちゃんが作ったチラシのゴミ箱

とても優しくて、控えめなおじいちゃん。というのが私のなかのイメージだ。遠くに住んでいる母方のおじいちゃんとおばあちゃんに会いに、夏休みを利用しての大移動。これが小学生時代の私の思い出。ファミコンで一緒にゲームをしたのも懐かしい。おじいちゃんがゲームをしている横で私がやりたそうに見ていると、「血が騒ぐんでしょ」と言われたことも未だに覚えている。

おじいちゃん達が家に遊びに来た時は、一緒に近くのコンビニまで歩いて行って10円ガムを何個も買ってもらった。アタリ付きのガムだからアタリの紙を持って行けばもう一つもらえるのだけど、恥ずかしがり屋の私は自分で店員さんに持って行くことが出来ずに毎回おじいちゃんにお願いして、その様子を遠くの方で見ていた。

家に帰り、夕陽が差し込むリビングでおじいちゃんがチラシのゴミ箱を作り始めた。私のおじいちゃんはとても器用な人で、その上几帳面。端と端を合わせてきっちりと折り、丁寧に作っていたそのゴミ箱は、ゴミを入れるのはもったいないほどの仕上がりだった。どうせ捨てるんだからもっと適当でいいのに、と私を含めた家族全員が思ってはいたが、誰もなにも言わなかった。それはおじいちゃんがこの作業を楽しんでいたことをみんな知っているから。

コツコツと折り上げるおじいちゃんを中心として、私たち家族はおしゃべりをしたり、テレビを見たり、みかんを食べたりして過ごした。その風景が大好きで、私も安心しながら遊んでいた記憶がある。数日間泊まっていたおじいちゃん達が帰る日になると、一つのゴミ箱にびっしりと収まるほどチラシのゴミ箱が出来上がっていた。

おじいちゃんが帰ってから少しずつ使っていたが、なかなかなくならないゴミ箱。それでもみかんの皮を入れたり、お菓子の袋を入れたりしながら、リビングのテーブルにはいつもおじいちゃんのゴミ箱があった。

それから数年が経ち、おじいちゃんは亡くなった。あまりにも突然で、身近な人を初めて亡くした私は過呼吸になるほど泣いた。家に帰ってからもしばらくは悲しみから抜け出せずにいて、いつの間にかおじいちゃんのゴミ箱は物置の中にしまわれることとなった。

そしてまた数年後、物置の整理をしている時にそのゴミ箱を見つけた。母は「せっかくだから使おうか」と言ったが、父は「おじいちゃんが作ってくれたものだから取っておこう」と言った。それは、もうこれ以上は増えることのないゴミ箱だということを意味していた。

チラシで作られたゴミ箱をこんなに大切に取っているのはうちくらいなんじゃないかと思うけれど、それを見るだけでおじいちゃんが楽しそうに作業をし、その周りで家族がにぎやかに過ごしていた、あのあたたかい時間を思い出す。この風景は私たちの記憶にずっと残しておきたい。


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