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「現実逃避」で読書をする、に違和感

私は読書が趣味で、Twitter(X)で読書アカウントを持っている。そこでよく目にする、「現実逃避」という言葉に違和感を覚える。この言葉を使う人に違和感があるのではなく、私自身、何かが引っかかる。

私は30歳までずっと、楽な方で鬱憤を晴らして問題を解決した気になっていた。誰かが時間と知恵をふりしぼった素敵な作品で、「現実逃避鬱憤を晴らす」するのが苦手。だから、この言葉に引っかかりを覚えるのかもしれない。

逃避、する場所は誰にでも必要だと思う。問題から「一旦」離れて・逃げて好きなものを食べる、本を読む、寝る、遊ぶは良いと思う。

ただ、現実逃避も習慣化すれば、惰性になるんだろうな。

私は嫌なことから目を背けては本を大量に買って積読したり、暴飲暴食で体調を崩したりした。それらを繰り返しても、常に満たされない気持ちでいっぱいだった。

読書で「現実逃避」という言葉を、「物語の世界に飛び込んでくる」と表現したい。

本は、私にとって友達や先生みたいなものだから大事にしたい。本を通して自分と「対話」するようになった。

問題を一旦脇に置いて、読書をすることで心に落ち着きを取り戻したり、反省点や問題の改善案も見えてきたりする。そして、物やお金が自分を満たすのではないと気がついた。

読書が好き、毎日noteを書く身としては、言葉の違和感を無視せず大切に扱っていきたいな。

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