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自称オタクがまかり通る

「俺ってオタクだから」
「私ってオタクなんです」
なんて言葉を聞くと、「オタク」という単語がすっかり一般化したなと思う。

従来「オタク」というのは、自分自身で使う言葉ではなかったような気がする。

「あいつ〇〇オタクだからな」

などと、他人を評する際に使う言葉だと認識していた。そして「何かにとてつもなく精通している人」を揶揄するような意味合いも含まれているものではなかったかと思う。

確かに現在もそういった要素が含まれているのは確かだ。

「あいつオタクだからな」

と陰口をたたく輩がいるもの変わらないとも思う。

しかし以前と異なるのは、「オタクなんです」と自ら言うことで、自虐的な要素として使われるようになったのではなかろうか。

「私ってオタクだから」
と自虐的に、ときには少しとぼけて、少し謙虚に自称することで、
「私ってこういう一面もあるんですよ。大それたものではないんですよ。」
という思いが、隠れているようなそんな気がする。


 とはいえ、オタクというのはもともと揶揄の意味合いが含まれていることが変わらないのも事実だ。オタクというと、どうしても根暗で身なりも気にせず、好きなもの以外については無頓着でモテないといったイメージが付きまといがちだ。そのため、オタクを自虐の意味合いで自称する場合、発言者のビジュアルイメージが大きく左右するのではなかろうか。身なりをきっちりと整えている人がそういうと、
「え?そうなの?意外!」
といった反応をされるだろうが、反対の場合は
「そりゃそうでしょうね(見りゃわかるよ)」
と思われるよりほかないだろう。そもそも容姿に無頓着なオタクは、そういったニュアンスでオタクを自称で使うことはないだろうが。

 さらに最近では、前述のようなステレオタイプなビジュアルイメージのオタクを見かけることは少なくなった。特に10代20代の子なんかは、そのバランスをうまくとっている子たちが多いように思える。これは特に、ここ十数年で、オタクという言葉が一般的に浸透してきたことによることもあるだろう。

アニメをはじめ、これまで「サブカルチャー」「アングラ」と言われていたジャンルのものが、もはやサブではなくなっている状態にあるからかもしれない。同時に従来のメインカルチャーを自然と融合させながら楽しむ術を、彼らは自然と身に着けているように思う。子どもの頃から、ネット社会に触れ、様々な動画サイトやSNSに触れることで、培われたというのもあるだろう。


 現在30代前半の私の頃でさえ、10代後半から20代前半だった2000年代後半に、その前兆はあったと思う。これまで一部の(従来の)オタクたちだけが限定的に楽しんでいたカルチャーが、動画サイトなどがネットを通じて台頭してきたことで、少しずつそれ以外の層に広まってきたのではないかというと印象がある。SNSで簡単に自分の好きなものを伝えられるということも要因の一つだろう。


 しかし、オタクが一般大衆の言葉として浸透されてきたなと思う反面、最近では、その界隈で有名な作品をチェックしていないとマウントをとられるという現象もあるらしい。オタクは自分の好きな世界を大切にしているからオタクなのであって、そのジャンルの流行や人気に必ずしも精通しているわけではないぞと思ってならない。だがこのような状況を考えると、私の主張が化石のようにになってしまうのも時間の問題なのかもしれない。

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