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女装で共同生活

「気の合う女装男子で共同生活してみたい」
というツイートを見かける。どのくらいの頻度かと言うと、そんなツイートがあったことを忘れかけた頃にまた似たようなツイートを見かけるくらいだ。
ただ私はこの件に関しては、「そうだね!それいいね!」と言えない。

おそらく、お互い女装に興味があるから趣味や生活がしやすい、日中は仕事をしていて別行動、女装は家庭的な人が多いので家事ができればお互いwin-winと言うところだろう。

しかしこの手の生活スタイルは、だいたいくだらないことで揉めることが多くなるのだ。だいたい集団生活や共同生活において問題になるのは、他人が聞くと八割方くだらないものである。
食べ物・風呂に入る順番・シャンプーなどの好み・共同スペースの使い方、掃除の仕方など枚挙にいとまがない。もはや、パンツを履くのは右足か左足かで揉めるレベルのことだってあり得る勢いだ。

「僕たちはそんなことありませんよ。仲もいいし女装という共通点で結ばれてるし。旅行とかも行ったことあるし。」
と言っても、盲点は多い。
自分が思う以上に他人の人生のバックグラウンドは広いものなのだ。予想だにしない感覚を相手もそして自分自身ももっていることになかなか気づかない。

女装をとっても、メイクの方法、服のたたみ方、ムダ毛の処理方法、メイクオフまでの手順など細かなことで違いがでてくるはずだ。
一緒に生活をする中で、お互い知らない間に自分の神経質さやずぼらさが露になってくる。
育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない、と山崎まさよしはうまくいったもんだなと思う。

共同生活の揉め事というのは傍から見るととてつもなくくだらないことが多い(本人たちにとっては重大)

私も長年他人と同居しているが、当初は「揉めることなんてないよね」などと言っていたものの、やはり細々したところでお互いモヤモヤを経験してきた。
価値観の違いなどもあるため双方悩んだ部分もあるが、結果「気になったら言うけどそれ以上干渉しない」というのが妥協点に思えてきた。

共同生活に必要なのは、お互いが「合わせること」ではなく、「吸収すること」「それもその人の一部なのだからと思うこと」だと思う。

だからこそ、女装男子で共同生活してきゃぴきゃぴした毎日が待っていることを想像するのは、ちょっと待った方がいいと思うのだ。
そしてそんなやり取りに「そんな生活のぞいてみたいです」などというリプを送るやつも、何を幻想しているんだと思う。男の想像する女子校レベルの陳腐な妄想しか浮かんでいないだろうと疑ってしまう。

女装同士が一緒に暮らすことで、安住の花園や楽園ができるわけではない。
男二人が一つ屋根の下で共同生活をするにすぎない、ただそれだけのことなのだ。

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