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毒親と呼ばれる親たち_2

私が子どもの頃の親へのイメージは
『大人はすごい』『大人はなんでもできる』
『大人は正しい』のような感じでした。

そう、コントロールされていたんでしょうね。
言うことを聞くように。
いい子でいるように。
そう、刷り込まれていたのでしょう。

『大人はすごい⇆私はダメ』
『大人はなんでもできる⇆私はなにもできない』
『大人は正しい⇆私は間違っている』

自分に対してはこんな感じだったと思います。


大人になった私から見て、親という人物は
どのような人間に見えているのかというと。。

『子どものような人』です。

自分の思い通りにならないだけでヒステリックになったり
罵ったり、イライラを爆発させたり
私はこう考えててこうしたいと意見を言えば
そうやって責める気?なんて怒鳴りながら泣き出す時もあります。
そこまでして、『言うことを聞かせないと不安』な状態が見えます。

愛着をしっかりと形成できてない大人というのは
愛着障害に悩む私のような人だけでなく、
加害を行なってしまう、相手も持っているものだと心のどこかで考えられると
冷静に『自分』と『相手』を切り離して考えた上で、
相手の言いたいこと、
自分の思いを伝えることと
頭の中で少し整理ができて落ち着いてくると思います。


全てを許せるかと言ったら。。
わかりません。
私の時間は戻りませんし
私が育ち直すこともできませんし。

傷が消えることはないでしょう。
でも、消えない傷も癒すことは可能だと
私は考えています


傷は。。付けた本人、加害者からの歩み寄りが
本来なら傷を消す道なんだと思うんですけど
残念なことに、加害者は加害をしてる自覚がないのでほとんどは見込めません。。

ならどうする??
ってなった時、私は私の話を聞いてくれる友人に頼りました。
ただひたすらに否定せずにうんうんと私の話を聞いてもらって
共感してもらいました
加害者に訴えかけることを手放して
自分で自分を癒す道を選んだんです。

その事柄が正しいのか間違ってるかではなくて
自分がどう感じているのか、
どう思っているのかを共感して、尊重してもらうことで、傷を消せなくても癒せるようになって来た気がします。。


それでも時折、急に悲しくなったり不安になったりする時もありますが
その度に『共感』と『尊重』の心を思い出すようにしています。


毒親のサイクルは伝統のように受け継がれていくので、私はこのサイクルを自分で止めたいと願っています。

私には3人の娘がいるのですが
一人一人が自分の人生に遠慮なく生きれるように
私が彼女たちの足を引っ張る人間にならないように自分の心を自分で育てていきたいと
日々過ごしてます。


読んでくれてありがとございます。


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