「年越し派遣村」から10年 年末年始の支援について そして、「ふとんで年越しプロジェクト」を今年もやるのか、について

さて、12月も下旬にさしかかってきました。寒さが身に沁みますね。久しぶりにnoteを更新したいと思います。

(はじめましての方に軽く自己紹介をすると、大西連と申します。ふだんはNPOや市民活動といったフィールドで日本の貧困問題、生活困窮者支援と呼ばれる分野に携わっています。認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいで理事長をしているほか、いくつかの非営利組織等に関わっています。政府のSDGs推進円卓会議の委員などもしています。よろしくお願いします)

秋口から平成も最後だということで、「平成を振り返る」みたいな企画をメディアなどでやることも多かったようで、僕のところにも「貧困問題」に関連して取材がよくきていました。あらためて振り返ると今年は「年越し派遣村」の活動からちょうど10年経つのだな、と感慨深いものがあります。

少し、雑感に近くなってしまうかもしれませんが、年末年始の支援について、また、僕がここ数年この時期に取り組んできた「ふとんで年越しプロジェクト」について書きたいと思います。

■「年越し派遣村」から10年

これは僕もさまざまな場面で書いたり話したりしていますが、日本の「貧困」の問題は、もちろんそれ以前からあるし問題になっていたのですが、特に近年、政策としての重要性が増していたり、メディアでの取り上げも増えるようになったのは、やはり平成にはいってからだと思います。

「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などは2000年代のはじめから半ばにかけて社会問題化してきました。
今からちょうど10年前の2009年秋に「リーマンショック」が起きると、その後、「派遣切り」と呼ばれる出来事に発展し、非正規労働の問題、生活困窮者の存在がクローズアップされました。

そして、2008年~2009年の年末年始に東京の日比谷公園でおこなわれた「年越し派遣村」の活動は、労働組合や法律家などを中心に、官庁街にある日比谷公園にテントを張って、炊き出しや医療相談などをセットで提供し、主に派遣切りになった人や住まいを失った人を支援するものでした。500人ほどの人が支援を求めて集まったと言います。

NHKの紅白歌合戦の合間にニュースで取り上げられたこともあり、このアクションは瞬く間に全国に日本の「貧困」という問題を提起したのではないかと思います。年明けに厚労省が講堂を寝泊まりできる場所として開放するなど、政府にも変化を促す動きとなりました。
(その後、制度ができたりできなかったり、支援団体がうまれたりなくなったり、この10年でいろいろなことがある(あった)のですが、それは長くなるのでまたの機会に)

少なくとも、「年越し派遣村」の活動は日本の「貧困」の可視化を進め、政策での対応というフェーズへの移行に大きな影響を与えた出来事であった、ということは間違いがないと思います。

僕個人としても、10年前はNPO・NGOの活動に特にかかわっていませんでした。「年越し派遣村」も携わるどころか、テレビのニュースで初めて見た、くらいのものでした。そこから10年経って、今、自分が日本の「貧困」に取り組む活動をしていることには純粋に驚きますし、当時の僕にそれを言っても信じないと思います。
(少し話は違うかもしれませんが、NPO・NGOで働くという選択肢自体もこの10年ほどでリアリティーのあるものになってのかもしれません。今年はNPO法ができて20年ということもありそのテーマでも話す機会がいくつかありました)

■年末年始に「支援活動」をおこなう理由

さて、話を戻すと、なぜ年末年始に「年越し派遣村」の活動がおこなわれたかというと、年末年始は公的な支援が「不在」になるということがあるからです。
一般に、生活に困った際は「生活保護制度」をはじめとした公的な支援により生活を立て直す選択肢がありますが、公的な支援は当然、公的機関に赴いて制度を申請しないといけません。(これは生活保護のみならず失業給付や福祉資金貸付なども大体同様です)

なので、公的機関の窓口が「閉庁」と言って長期の休業にはいってしまう年末年始の期間は、生活に困った際に救急搬送等を除いて、公的な支援を利用できなくなってしまう、という問題があります。
ですので、野宿者支援やホームレス支援などの文脈では年末年始を「越年越冬」などと呼び、民間のレベルでの支援に取り組んできた歴史があります。

このあたりのことは5年前にYahoo!ニュース個人に書いたので参考までに。
「年越し派遣村」から5年 今年は?(大西連) - Y!ニュース

僕が最初にこのような「越年越冬」の活動に参加したのは2010年~2011年の年末年始でした。当時は新宿では新宿中央公園を拠点として、その期間中、ずっと毎日昼夜の炊き出しと、夕方からはさまざまなレクリエーション(バンドの演奏や演劇、餅つきなど)、そして、夜には集団野営と言って、公園内でストーブ等の暖を用意しつつ、ブルーシートや段ボール、寝袋を駆使して雑魚寝(野宿)するということをやっていました。24時間の医療テントには医療者がつめていて、体調が悪い人などはそこで保護していました。

最初に新宿の「越年越冬」に参加したときは、こんな寒さのなかでみんな寝ているのかと驚いたとともに、ストーブ等の暖はあるものの寒風が吹きすさぶなかでの雑魚寝はとても無理だと。自分自身は野宿の人たちと一緒に泊まることを断念して、深夜になると帰宅し、また朝になると新宿中央公園に行く、ということを年末年始期間中にやっていました。

こういった取り組みは、新宿だけではなく、都内では渋谷や山谷、また大阪の釜ヶ崎や横浜の寿町などでも、それぞれの内容の違いはあれど、古いところでは数十年前からおこなわれてきました。また、「集団野営」のような形ではなく、炊き出しや夜回り、相談会などを年末年始期間中におこなう団体や活動も各地域で存在します。

「年越し派遣村」はそういった野宿者支援、ホームレス支援として受け継がれてきた活動が、どちらかというと派遣などの非正規労働等の人や失職とともに住まいを失った人への支援のアプローチとしても機能したこと、重要な役割を担ったことを示しました。それはある意味「画期的」だったのではないかと思います。(非正規労働者支援という活動と野宿者支援・ホームレス支援の活動が結果的に結合したという意味において)

2008年~2009年に日比谷公園でおこなわれた「年越し派遣村」は先述したように、民間での取り組みでした。そして、2009年~2010年の年末年始には東京都が「公設派遣村」を代々木のオリンピックセンターを拠点に開設しました。
年末年始という「閉庁」という緊急事態についての対応が、民間での取り組みをこえて、公的におこなわれるようになっていくのか、との期待はありましたが、「公設派遣村」はその一回きりの実施となりました。基本的に政府や自治体のスタンスは、年末年始前に相談に来てほしい、というものだからです。

■「ふとんで年越しプロジェクト」の構想

年末年始の支援活動を公的な枠組みにすることができなかったこと、そして、いわゆる野宿の人を中心とした民間での支援活動だけではなかなか支えられない人がいるだろう、という問題意識から、新宿での越年越冬に参加しつつも、どういう支援のプロジェクトを組んだらいいのかなと考えていました。
年末年始に生活、住まい、医療の緊急的な支援が必要になることは分かっていましたが、基本的に各地でおこなっている活動は野宿の人が事実上の対象であり、また、彼ら・彼女らを中心とした活動であり、そこだけでは難しい部分があるだろうと。

たとえば、「集団野営」と呼ばれる、いわゆるみんなで野宿をする、ということも、プライバシーが必ずしも守られていないなかで寝るのがしんどい人もいるよね、と。また、食事にしても塩分や血糖など、病状によって細かい対応を必要としている人もいるよね、とか、音に敏感だったり人がたくさんいるとつらくなってしまう人もいるよね、などなど。(こういった活動の重要性、価値というものは明確です)

もちろん、これらの個別のしんどさやニーズについて、各団体ができる範囲でなんとか対応はしているものの、一つの団体では、資金的な限界やマンパワー、専門性の問題でやりきれないこともあるよなぁ、と感じていました。どういう人たちのグループが対象になるかによってニーズも活動の内容も変わるのはある種当然のことですが、そのすべてに一つの団体やグループではなかなか対応できないのも自然で。

これらの懸念について、何人かのいろいろな地域で活動している人たちに聞いてみたところ、おおむね共感を得たので、これは、都内で年末年始の緊急対応として、それぞれの団体の取り組みをベースにしつつも、何か横断的なプロジェクトはできないのかな、と準備を進め、「ふとんで年越しプロジェクト」を構想しました

ふとんPは、以下の4つを活動の目的としていました。

1.年末年始の「前」に制度利用につながるための活動
新宿・渋谷・池袋・山谷地域でそれぞれ活動するメンバーで、閉庁期間に入る前に支援につながれるように路上でのビラまき等の協力をするほか、医療相談・生活相談にも参加する。

2.年末年始期間「中」の共同シェルターの開設と運営
年末年始の閉庁期間に、新宿・渋谷・池袋・山谷地域での「越年・越冬」の活動と連携し、生活相談・医療相談のメンバーを手配・派遣すると同時に、共同のシェルターを開設し、必要な方を保護する。

3.年末年始期間、および年明け「後」のアフターフォロー
年末年始期間中、および年明け後に、シェルター入所者等へのアフターフォローをおこなうほか、新宿・渋谷・池袋・山谷地域の各団体と協力しながら、同行支援等もおこなう。

4.各地域でのネットワーク作り
新宿・渋谷・池袋・山谷地域の各団体・個人で協力してボランティアセミナーをおこなうなど、相談体制だけでなく、さまざまな連携をおこない、生活にお困りの方がどこに相談にきても対応できるような「ワンストップ」のネットワークつくりを目指す。

特にこの「共同シェルター」について、が活動の中心で、年末年始に個室で、いわゆる「ふとんで年越し」ができるための支援を考えました。

■「ふとんで年越しプロジェクト」の4回の実践

2013年~2014年の年末年始にスタートした「ふとんで年越しプロジェクト」は、2016年~2017年の年末年始まで、合わせて4回実施しました。厳密にいえば、小規模(特に関係者以外に告知しなかった)ですが2017年~2018年の年末年始にもおこなっていたので5回と言えるかもしれません。

毎年、12月に入るとクラウドファンディングを実施し資金を調達、年末年始期間中に支援を実施し、年明け後には必要な人にアフターフォローをしてきました。

・2013年~2014年の「ふとんで年越しプロジェクト」

以下は、報告記事です。
ふとんで年越しプロジェクト報告(2013~2014年) ~路上支援の新しい在り方を模索して~

・2014年~2015年の「ふとんで年越しプロジェクト」

2015年末に現代ビジネスに寄稿した記事です。
「ふとんで年を越したい…」 急増する「見えない貧困」、恐怖の年末年始がやってきた

・2015年~2016年の「ふとんで年越しプロジェクト」

活動の様子のまとめ。
【Twitterまとめ】誰もが暖かい年越しを! 『ふとんで年越しプロジェクト2015』8日間の活動まとめ

・2016年~2017年の「ふとんで年越しプロジェクト」

この4度目の「ふとんで年越しプロジェクト」が実は一番資金が集まりました。
駒崎さんの記事の反響が大きかったのだと思います。(感謝!)

僕らがコタツで紅白見て過ごす年末に、路上で過ごす人がいること | 親子の課題を解決する社会起業家│駒崎弘樹公式サイト

【SNSまとめ】誰もが暖かい年越しを! 『ふとんで年越しプロジェクト2016』活動まとめ

2013年からの全4回の「ふとんで年越しプロジェクト」で、のべ877名の方から合計で750万円ほどのご寄付をいただき、約100名弱の人を支援することができました。
参加した支援者側のメンバーも全員がボランティアにも関わらず、のべで約140名。多くの有志に支えられたプロジェクトとなりました。

750万円で約100名の支援をした、というのがコストとしてどうなのか、というのは難しいところです。例えばですが、その750万円で食料品等を購入してそれを届ける、という支援だとすると、100名どころではない膨大な人数の人を支えられるかもしれません。

確かに、コストはかかっていますが、個室で衛生的で安全な(安価な)ビジネスホテルをフロアごと借り切り、それぞれの人の健康状態や状況に合わせた食品や生活用品等の提供、医療者等による専門的な支援など、質・量ともに、自画自賛で恐縮ですが、かなり丁寧な支援を構築できていたのではないかと思います。

■「ふとんで年越しプロジェクト」の相談者の状況

「ふとんで年越しプロジェクト」の相談者の概況については、上記の各回の報告などで詳細を書いています。
あえてここでシンプルに書くとすると、これまでの「野宿者支援」や「ホームレス支援」と呼ばれる文脈での活動のなかで支援をしてきた、いわゆる日雇い労働等をしてきた「おじさん」たち、というよりは(もちろん、そういった人たちも一定数はいるのですが)、若年非正規労働者や女性、知的障がいをもった人や重度の精神疾患がある人、高齢で身体的に重度の疾病を抱える人など、多様であった、ということです。

これは、「貧困」という問題が多様である(これはここでは論じません)のと同様に、住まいを失うという生活困窮のなかでも危機的な状況にいたっている人たちのなかでも、これまであまり「路上」に登場しなかった属性の人たちが見られた、ということでもあります。(もちろん、我々のところに「つながる」時点で一定のバイアスがかかっているのは言うまでもないですが)

これは、2013年の「ふとんで年越しプロジェクト」の構想時に何となく予想していたことではあったのですが、予想以上の結果として見えたことでもあると思います。
多様なニーズ、相談者の状況に合わせたハード・ソフトの双方の「支援の多様化」が明確に求められているということが、より明らかになったと言えるでしょう。

■緊急時の体制の限界と日常への移行の困難さ

「ふとんで年越しプロジェクト」は、あくまで年末年始の「閉庁」という緊急時の対応としてスタートしました。また、年末年始は支援を生業にしている人や、各地でボランティア等にてふだん支援に携わっている人が日程をあけやすく、専門的な支援チームを組織しやすいという要素もありました。

正直、20~30人の人を同時に支援する、というのは簡単ではありません。限られた時間のなかで、聞き取りをし、相談を聞き、日常生活で必要なものを揃え、提供し、都度、必要な情報やノウハウを持つ人とつなぎ、年明け後の行き先を一緒に考えていく作業は、丁寧にやればやろうと思うだけ、とても多くの人の参画が求められました。
また、いまのはソフト面ですが、ハード面での環境としても、良い環境の宿泊先を用意するのはそれ相応の費用が発生します。

これらを、「緊急時」には、みんなのマンパワーやいただいた寄付で対応できたとしても、いざ、年が明けると、そうもいかなくなります
ボランティアでコミットしていた支援者も、自分たちの団体の活動や、本業に戻っていきます。ですので、コアで関わっていた一部のメンバーに多大な負担が発生しました。

そして、残念ながら、年末年始の「支援」と、年明け後に公的な支援へ移行した場合、多くの場合で、住環境や生活支援等の面で、「支援」の質が下がってしまう、ということが起きてしまいました。いわゆる、お風呂やトイレ付きのホテルの一室から、個室であったとしても老朽化した民間施設の3畳間の居室に共同の風呂とトイレに移っていくのは、つらいことなのは容易に想像がつきます。これは、公的支援で用意されている宿泊施設等の環境の不十分さの問題ではあるのですが、公的支援の質の改善には時間がかかることが多く、やるせない想いもあります。(一方で、質が低いほうに合わせてプロジェクトの環境を「落とす」のには合意できません)

それから、さきほど、相談者の多様化、という話をしました。これもここに関連してくるのですが、「ふとんで年越しプロジェクト」は毎回、主に、野宿者支援やホームレス支援に携わる人たちや団体と連携しながら、活動を展開しました。
それは、ある種、適切な言い方ではないかもしれませんが、野宿者支援やホームレス支援の文脈ではなかなか対応しきれなかった人たちの受け皿として機能した、という面もあると思います。重なる部分は当然ありますが、ある意味での「すみわけ」があったと言っても良いと思います。

ただ、この「受け皿」を、年末年始後に維持することが難しい。質を落として維持するのは可能かもしれませんが、それはしたくない。一部、〈もやい〉の活動で引き継げた部分はあるものの、公的な支援の不十分さを資金的に脆弱な民間の支援団体で代替することは限界があります。これらに悩まされたここ数年であった、と言えます。

■「シェルター」より「アパート」がいいんじゃないか

4回の「ふとんで年越しプロジェクト」を実施して、環境のよいシェルターの意義というのは十分すぎるほど実感しました。でも、当然、いい環境のホテルなどの宿泊先を確保するには費用がかかります。(もちろん、それは、公的支援の拡充によっておいおい追いついていくとも思いますしそれを目指しています)

初期費用と契約主体という問題はあるものの、正直、ホテルを借り続けるよりはアパートを借りたほうが家賃だけを見れば金銭的にも住環境的にもいいだろう、と。これは、アパートを借りてシェルターにするということを意味するのではなく、ご本人がアパートを借りることができるようになったらいいな、という意味です。

一般的には、都市部では、住居がない人が生活に困窮して公的支援を利用すると、宿泊施設や簡易宿泊所などを紹介され、そこで一時的に滞在することを求められる運用になってしまっています。

例えば、生活保護制度にしても、本来は法律のなかで「居宅保護」というのを認めていて、アパートでの生活を保障しています。しかし、住まいがない生活困窮者に対しては、そういったアパートを契約するまでの一時的な宿泊先として、公的な施設で対応してきた、という歴史もあるのですが、近年は増加する住まいのない生活保護利用者への受け皿として民間の施設(無料低額宿泊所)や簡易宿泊所がその機能を担ってきました。(このあたりの話は重要なのですが、違う稿で書きます)

本来の、アパートでの生活が基本である、という原則が崩れてきていることには留意する必要があるでしょう。
社会運動的にも、劣悪な施設環境を何とかしなければならないという目の前の課題を重視して、民間の施設の質を上げよう、個室を原則にしよう、などの、いわゆる「貧困ビジネス」の規制という方向性でこの問題を語ってきた側面はあると思います。

なので、個室のシェルターを、いい環境のシェルターを、生活支援も丁寧におこなうことができるシェルターを、と考えてきた社会運動が多かったのですが(それはそれで重要ですが)、たしかに、そういった環境の良い「シェルター」の意義と価値はあるし、必要性は高いのは間違いがない。そして、公的支援の拡充は一般的に時間がかかるとはいえ、その方向性で徐々に語られることが増えてきた。それはいいことではある。
しかし、本質的には「アパート」で生活できるための方向性を考えたほうがいいよね、と僕は強く思うわけです。(〈もやい〉も基本的にそのスタンスであると思います)

ケアが必要だ、見守りが必要だ、と支援者側が心配したりすることはあるし、実際に当事者の人がそういったニーズを持っていることもある。でも、それは、シェルターで提供されるものじゃなくてもいいはずで、アパートで提供されるものであってもいいわけです。

■〈もやい〉でスタートした「住まい結び事業」

〈もやい〉でも、まさに今年、2018年から、そういった「住まいの貧困」への取り組みとして、誰でもアパートをすぐに借りられる世の中にしたいよね、ということで、不動産仲介免許を取得し、「住まい結び事業」をスタートしましたが、それは、こういった発想に拠ります。

NPOで不動産仲介免許をとった理由、想い、目指すもの そして、そもそものNPOの役割や運営についてを〈もやい〉から考える|大西連 

とはいえ、〈もやい〉で、アパート入居への直接的な支援をスタートしたものの、資金的な制約、ノウハウの蓄積をはじめたばかりであること等の理由で、すぐさま、必要な人にガシガシ物件紹介するぜ!というわけにはいきません。理解のある大家さんを探すのにも一苦労。一癖も二癖もある地元の不動産屋さんと交渉するのも大変です。(このあたりも別稿に書きたいですね)

ただ、地道にこの事業を育てていき、将来的には「シェルター」を経由しなくてもすぐさま「アパート」に入居できたり、生活支援が必要な人や見守りが必要な人には、施設等でそれをおこなうのではなく、アパート生活のなかでのさまざまな支援メニューを実現することによってやれるようになったらいいな、と思うわけです。

そういった意味でも、年末年始の緊急時に「シェルター」をつくり運営することの意味はあったと思いつつも、それを持続的に毎年おこなう、ということがいいことかはわからない、と思いました。(シェルターの設置や運営が「目的」ではないので)

■僕らが「リーチできる」対象者の問題

それから、あくまで僕の考えなのですが、貧困問題も、住まいのない生活困窮者の支援においても、その対象とする人の状況や背景、抱える課題や支援の隙間の問題などが多様化していて、私たちの民間のノウハウや受け皿が追い付けていないのではないか、と感じています。

たとえば、野宿をしている人と接点をもつことは、僕たちはノウハウとして比較的持っています。都内だと新宿や池袋、渋谷などで、路上に会いに行ったり、支援を届けることに歴史的にも蓄積がある。
しかし、「ネットカフェ難民」と呼ばれる人たちには、なかなか接点をもちにくい、という課題があります。彼ら彼女らが「相談してくれれば」接点を持つことはできますが、そうでないときに彼ら彼女らにアクセスすることが物理的にできないからです。

ネットで検索してもらうときにweb広告で支援団体の情報をだす、とか、個別の店舗等に相談先の案内をだしてもらう、とかの方法はあります。
しかし、そのすべてにおいて、「本人が相談したいと思い、そこにアクセスする」というプロセスを必要とします

もちろん、これは、「当事者主権」という考え方からは当然ではあるのですが、そもそもが支援を利用できる状況であることを知らない、そういう方法があること、決断ができると思えていない、などの人にとっては、自らの意思でアクセスをする、という行為がとても「遠い」ということがあります。
(その「遠さ」ゆえに、自らの意思でアクセスをしない、ということがありうるわけですが、それをもって「本人の意思だ」と言っていいのかという問いは残ります。このあたりも重要な話なのですが語りだすと長くなるので別稿にでも)

4回実施した「ふとんで年越しプロジェクト」でも、出会った相談者の約100名のほとんどは支援団体等の関係機関からの依頼で受け入れました。その関係機関は、いわゆる野宿者支援やホームレス支援と呼ばれる文脈での支援をしてきた団体やグループです。

むしろ、住まいのない生活困窮者と対象を考えたときには、僕たちが出会うことができた人たちは、そのなかのあくまで「一部」のグループの人たちだった、と考えたほうが冷静でしょう。

となると、まだ出会えていない住まいのない(住まいの不安定な)生活困窮者は、都内にも全国にもたくさんいて、そういう人たちに適切な支援を届けるためのリソースが民間の支援団体にも社会的にも圧倒的に足りていないな、と。

■今年の年末年始(2018年~2019年)は「ふとんで年越しプロジェクト」をやりません

さて、ここまで長くなりました。
結論から言うと、今年の年末年始(2018年~2019年)は「ふとんで年越しプロジェクト」をやりません。

というよりは、これは、ここ数年、僕自身もどのような「支援」を構想していくのが、いまの住まいのない生活困窮者を支援していくのに適しているのか、また、現実的な資金調達の可能性や持続的な組織基盤を考えていくなかで、実現可能なのかとかを総合的にとらえていったときに、まだ、自分のなかで「これだ!」と思えるアイデアがうかんでいない、ということもあります。

日常の支援のなかでは、〈もやい〉が取り組んでいる事業、特に2018年にスタートした「住まい結び事業」は少しずつでも力をつけてノウハウを蓄積し、住まいのない生活困窮者への支援としての一つの「解」にしたいと考えています。
そして、緊急時の支援としての年末年始のプロジェクトとしては、各地の野宿者支援や生活困窮者支援の取り組みをリスペクトし、個別に関わりを持って参加をしていくことに変わりないのですが、一方で、それだけではない「可能性」を模索していきたい、と強く感じています。

いまは僕も力不足、勉強不足で、良いアイデアが正直に言って思いつかないのですが、日常での〈もやい〉の活動をブーストすることで近づくと思うのでそこに注力しつつ、でもそれだけではなく、いままだ取り組まれていない方法、ツール、アイデアを考えていきたいと思っています。

「年越し派遣村」から10年。10年一昔、と言いますが、まさに変化していく社会のなかで、その時々の時代の要請をとらえていくこと(それはとても難しいのですが)、そのうえで必要な受け皿や支援の枠組みを構想していくことが求められているのかなと。

そうしたことを考える年末年始にしたいと思っています。

※この記事中の写真はすべて「ふとんで年越しプロジェクト」において撮影したものです。


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大西連

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