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地方暮らしと進路選択

つい先日のこと。
とある地方の町における高校にまつわる話を聞いた。

何年も前、その町の高校は廃校の危機にさらされたそうだ。
過疎化の進む町にとって、高校の存在は希望であり、最後の砦。高校がなくなってしまうと、加速度的に過疎化が進むのは明白で、それだけは避けなければと対策が打たれた。
その対策は、野球部を強くするというものだった。いかにも野球大国ニッポンのオヤジたちが考えそうな発想である。しかし、その策は見事に実を結ぶ。
数年(詳しく聞いていないから十数年かもしれない)の時を経て、県大会決勝まで勝ち進んだのだ。相手は、県外からの進学者も多い甲子園常連の強豪校。一方、一時は風前の灯火となった雑草魂チームは県出身者だけからなる「純国産」チーム。当然、決勝は追い風のなかで戦ったという。

だが、そこは百戦錬磨の強豪校。一歩及ばずの敗戦となった。それでも、そのインパクトは大きく、高校は今に続いているというのだから、大したものだ。

偉いもので、地域のオッサンたちはそこで満足しなかったらしい。スポーツだけじゃいけないということで、勉強にもテコ入れをと考え始めたのだ。成績上位3人を東大へ入れよう!と盛り上がったという。短絡的な発想が一周回って愛おしく思えてくる。その計画のためには、まずは中学生が問題になる。

地元の小中学校は統合されており、中学校から地元の高校への進学を選ぶか、県内の他の高校への進学を選ぶのかという話になってくる。それまでは、成績上位10人程度はほぼ地元外の高校(進学校?)に進学することが多かったそうだ。そのまま地元には戻ってこないことも多かったのだろう。それでは地元にとってはよくないということでの、東大発言というわけだ。

そこで、現状を確かめ、東大受験を現実のものにするべく仲介役に任ぜられた外部の人間(教師でもなんでもない)が、中学校の成績が上位の生徒に進学希望を聞くことになった。するとどうか。皆、成績上は県内有数の進学校も狙えるというのに、皆が口をそろえて地元の高校進学がいいと話したという。高校卒業後はどう考えているのかと問われると、県内の大学に行くとの返事。首都圏の大学に行きたいとは思わないのかと聞かれても、むしろ地元に戻りたいんだとの答えだったそうだ。なかには、卒業後は地元に戻って看護師になって親の面倒を見るんだと、健気に話した女子生徒までいるというではないか。
この話を聞かされた、勝手に「東大へ行け!」と息巻いていたオヤジたちは、皆大号泣。「そういうことなら東大なんざ行かなくてもいい!」となったのだとか。とりあえず、「おいっ!」と突っ込みたくなるが、まあ、なんともまとまりの良い美しい物語ではある。

結局その子たちは、地元の高校に進学し、積極的に県を出ることはなかったようだ。高校の進学強化も頓挫したものと思われる。まぁ、これだけ聞くと、ドラゴン桜が頭をよぎるような「オモシロいい話」に聞こえるわけなのだが…。

ただ、この話を聞いていた私は、個人的にかなり内臓をえぐられるような思いをし、また、問題点をはらんでいるように思った。以下、それらについて語っていきたい。

地方での成績上位者のリアル

なぜ、「内臓をえぐられるような思い」をしたのか。
それは、話に出てきた中学生たちと、自分自身の中学生時代とを重ね合わせてしまったからだ。もっと言えば、かつて、成績上位の子たちが地元の高校に進まないで地元を離れるという選択をしたということに、自分を重ね合わせた。

私は中学校生活を北海道留萌(るもい)市でスタートさせた。数の子の生産量日本一!、黄金岬から見る夕陽は自称日本一!というような漁師町だ。今は人口2万人弱だったかと思うが、10年ほど前は2.5万人はいたと思う。そんな田舎町に越してきたのは小6の4月のこと。晴れて小学校を卒業して、おとなしく校区に従って公立の中学校に入学したのだった。

留萌に越してくる前は大阪府豊中市に住んでいた。これまた普通の公立の小学校に通っていた。でも、そこはやはり大都会大阪。クラスの1/3ほどはレベルの差こそあれ、中学受験に向けて塾通いをしていた。小5ともなると、中には週6日塾へ行っているという猛者もいた。私の場合は、両親も当の本人も中学受験をする気はなく、せいぜい公文式に通っていたくらいだった。とはいえ、勉強はそれなりに真面目にやっていたので、成績で言えば上の下くらいの位置にはいたと思う。

そんな人間が留萌市に引っ越してくるとどうだろう。小学校では成績の順位というのはあまり可視化されないが、中学校に上がってからは拒否する余地もなくはっきりと可視化される。蓋を開ければ、普通に学年1位だった。ちなみに学年2クラスで65人程度。特別賢くもないのに、周囲の人間は賢い、頭いいと言ってきた。まあ、そんなことはどうだってよかった。上には上がいることを身をもって知っていたからだ。

成績上位者を顧みるに、自分と同じく転校生だったり、医者の家系の子だったり、教師の子どもだったりした。ちなみに、小学校時代の100メートル走や持久走のトップ3にも自分を含めた転校生が2人入っていた。勉強もスポーツも、その地域水準において高いレベルの子はよそ者であるという、偽りようのない現実がそこにあった。

そして父の異動が出されたのを契機として、中2の夏、私は高校進学のために札幌の中学校へと転校した。ちなみに、父の異動先は留萌と同規模レベルの地方都市だったため、単身赴任生活となった。はじめて、自分たちで選んで引っ越しをしたのだった。学校も公立だったとはいえ、選んだのだ。

その背景には、北海道立高校入試のルールがあった。北海道は広いため、振興局というのがあり、振興局ごとに〇〇管内と呼ばれることが多い。例えば、札幌市を含むのは石狩管内だし、留萌市なら留萌管内というわけだ。この各管内の管轄を越えての進学となると、入学試験の成績上位5%に入らなくてはいけないという厳しいルールがあった(今はどうなっているか知らない。札幌市だけの話かもしれない。詳細は各自調べてほしい)。漠然と自分が目指していたのは、東西南北と呼ばれる道内有数の昔からの公立進学校だった。ただでさえ高いハードルなのに、上位5%に入るというのは酷な話だった。

それもあって、札幌へと転校したのだった。

ただ、当時はあんまり真剣に考えていなかった。別に留萌高校や留萌千望高校(現在は留萌高校に統合)でも良かった。あまりそこに自分の意志はなかったように思う。なんなら千望高校の情報ビジネス科とかすごく面白そうだった。地元産品を使って商品化などを行っており、楽しそうだった。今ならそっちを選んでいたかもしれない。ただ、強い気持ちがあったわけじゃない。親に勧められるままに札幌を選んだというだけの話なのだ。なんなら先生方の方が熱は高かったかもしれない。「南目指せよ」と言われて札幌へ送り出されたのだから。

いざ、札幌に引っ越してみると、学校生活としては留萌時代の方が間違いなく楽しかったし、授業もクラス内の成績が都会ほど二極化しておらず、その場で学んでいる実感があった。塾でどんどん先取りしている奴がゴロゴロいるような教室では、なかなか感じられない雰囲気だ。先生と生徒の距離感も近くてその方が性に合っていた。

それに悔しさもあった。
中2の春、留萌の中学校にいわゆるスーパー転校生がやってきた。両親が教師だと聞いていた。結論から言うと、彼女は上位5パーセントの壁を突破して留萌から札幌南高校へ進学した。本当に賢い人だった。
彼女もまた例外ではなく、スポーツも万能な人だった。勉強では学年1位を取られ、取り返しという感じだった。いいライバル関係になりそうだった。このまま留萌にいても、いや、むしろいた方がいいんじゃないかと、そんな考えが一瞬頭をよぎらないでもなかった。

でも、結局転校した。留萌を「人住んでるの?あんなへき地」とバカにするクソな塾講師に習いもした。で、結局第一志望は落ちた。私立の高校へ入った。それでよかったと思っている。
そして、どうだ。
スーパー転校生の彼女もやはり札幌の高校へ進学したのだ。
医者の家系の子も札幌へ出てきた。
親が教師の子も札幌へとやってきた。

よそ者はよそ者らしく、裕福な家庭は順当に、フットワーク軽く他所へと進学した。紛れもない事実だ。

だから、だ。

だから、内臓をえぐられるような思いになったのだ。
自分は留萌出身者ではないという点が、冒頭のエピソードとの大きな違いだが、「地元」(最寄り)を離れて都市部へ出たという構図はなんら変わらない。大いに留萌の過疎化に貢献しているのだ。そして周りの子を見渡せば、そっくりそのまま当てはまる話なのだ。

そりゃ、賢い子の流出は、地元のオヤジたちからすれば手放しには喜べないのだろう。まして高校存続の危機を経験している状況では無理もない。確かにその通りなのだ。

(ただ、それでも転勤族の私は転々とすることが宿命なのだ、くらいに思っている。居住地を変えることになんのハードルもないのだ。そして、その土地にその時いるのはたまたまくらいに思っていた。だから、大学選びも北海道を出るのは絶対条件だった。きっと、九州にいたら九州を出るのは絶対と思ったことだろう)

だけど。
こうも思うのだ。

地元残留は本当に喜ばしいのか?

地元のオヤジたちが涙したという、成績上位の中学生たちの堂々たる地元残留宣言。これは手放しに喜んでいいことなのだろうか。

一つ言えるのは、昨今大学進学をする高校生に言われている地元志向が、高校進学をする中学生世代においても広がっている可能性である。それについてとやかく言うつもりはない。大いに結構なことだ。

ただ、オヤジたちは涙を流している場合ではない。
健気な子たちの地元で働きたいとの思いを汲むなら、相当な覚悟が必要だ。

特に気になったのは、冒頭の話の成績上位である中学生たちが皆女子だった点だ。田舎にはまだまだ古びた価値観でモノを言う人がごまんといる。そんな環境で育ち、それを疑うことすらなく進路選択や職業選択をしたとしたら?果たしてそれは喜ばしいことだろうか。時代の移り変わりによる産業構造の変化も意識したいところだ。非常に狭い、今目に見えている範囲から将来を決める。それはいかがなものか(もちろん、都市部では情報過多で選べないというリスクもあるにはある)。

それこそ地域にとって損失だろう。
だから、広い世界を見て来いという意味で、進学で地元の外を選ぶのは結構いいことだと思っている。転勤族の戯言だろうか。もちろん、帰ってきてもらうための工夫を施す必要はあるだろう。

もしくは、自分の地域の教育で外の世界に触れる機会まで面倒を見るかだ。単なる修学旅行とかではなく、他の世界(別にいきなり海外を見ろとも言わない)に触れる機会の創出。数だけでなく、質もそうだし、選択の余地があるような幅の広さも求めたい。完璧すぎるカリキュラム構成も考え物だ。少しはみ出せるくらいのゆとりが欲しい。その用意ができていないにもかかわらず、地元の高校に残ってほしいというのは大人たちの無責任な発言ではないだろうか。

そして、この道を選ぶのは相当な責任がいる。良くも悪くも、田舎や地方の小規模校では公教育に改革案を導入しやすい。大人の思惑を反映しやすい。中にはまったく変わらないという場合もあるけれど。いずれにしろ、影響がすぐに出る。都市部ならオルタナティブが豊富だ。でも、地方ではそうはいかない。
さらに、フッ軽層が残りたくなる(あるいは域外流入も)学校を目指したいところだ。他の地域を知る人から見て、選ばれたのだから。それは誇っていいだろう。

さぁ、地元残留宣言をどう受け止める。
覚悟は、あるか?


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