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はじめまして。

皆さま、はじめまして。
知人の勧めでnoteを始めました。
何もわかっていませんが、時間を見ながら少しずつ更新していく予定です。
お付き合いいただけましたら幸いです。

まずは、内省的な日記のようなものから始めようと思います。なぜなら、死を基礎として世界を記述しなければならないからです。現代では、世界を、そして人生を、生きることに基づいて記述することが一般的です。多くの人が「わたしたちは生きている」と考えていて、「わたしたちは死んでいる」と考える人はあまりいません。基本的なことですが、二つの記述は、同じ世界について描写された二側面です。
しかし、死についての記述は、実際にはそれほど珍しいものではありません。なぜなら、わたしたちが「精神的なもの」と呼んでいる事柄がそれだからです。端的に言って、精神とは身体に穿たれた穴のようなものです。身体は、死にながら精神に還元されていきます(多くの宗教が、わたしたちの身体が完全な死とともに魂になると考えたのは、意味のない空想ではなかったわけです)。

宗教は、魂を扱うという意味で、身体性と対称的です。そこには、脱生的な指向があります。しかし、魂の実在論を体系的に示すためには、神が必要でした。今や神はいません。わたしたちの精神性は(すなわち、わたしたちの身体の死は)、危機的な状況にあると言えるでしょう。わたしたちは、現実の中に彼岸を見つけなければいけなくなりました。そうでなければ、わたしたちは死を、翻っては生きることを、受け入れることが出来ないからです。
そして、至るところに宗教的なナンセンスが見出されるようになりました。それがナンセンスなのは、異なる対象に彼岸を見出している者同士では、必ず相手のことが馬鹿らしく見える、という理由からです(例えば、あるミュージシャンのファンが、あるアイドルのファンを見下し、馬鹿にするなどといったことがあるかもしれません。もちろん、その逆も。そして、あらゆる宗教戦争は、それを原因としていました。わたしたちが物資を取り合うために戦争をするようになったのは、人間の歴史で見れば、ごく最近のことです)。

サルトルやバタイユなどには、まだ「神の代用品を知識人が示すべき」というような考えが見られますが、現代に近づくほど、それは人々が自分で見つけるべきもので、知識人の仕事はそれを擁護すること、と考えられるようになっていきます。
現代では、多くの哲学者が、「互いの"信仰"が決してナンセンスなものではない、ということをいかにして受け入れるか」について議論しています。たとえ、哲学者たちにその自覚がなかったとしてもそうなのです。例えば、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが精神分裂症を称揚したこと、ミシェル・フーコーが同性愛者としての生き方を積極的に作り上げようとしたこと、最近では、マウリツィオ・フェラーリスやマルクス・ガブリエルが「新実在論』の枠組みの中で、新しい認識の様式を実現させようとしていること、などがそれにあたります。もちろん、これは英米哲学や東洋思想にとっても重要な問題です(宗教的な実在論と現代的な実在論を綜合することには、世界が抱えている課題を解決する重要なヒントがあるように思えますが、話が逸れ過ぎてしまうので、また別の機会に)。
※こうした遡行的な考え方は、ヘーゲルを大いに喜ばせることでしょう。しかし、わたしは端的に言って、彼の観念論は間違えていると思っています。人間の精神現象は、弁証法と無縁であることがあり得るのです。

ここで大きな問題があります。「身体の死としての精神は、逆側から精神の生として、身体を殺すことが出来るのではないか」という疑問がそれです。
わたしが取り組んでいるのは、その問題についてです。
精神と身体の関係が、一人の人間の中の対立として描き切れるのであれば、それは大きな問題ではないかもしれません。
しかし恐らく、一人の人間がただ生きているだけであれば、そもそもこの対立自体が生まれ得ないと思います。
この対立は、現在生きている全ての人間に共有されていると考えるべきでしょう。
わたしは、そのことについて考えています。わたしたちが日常を過ごしいるこの「平坦な戦場」について。

ここで話を「内省的な日記」に戻しましょう。なぜ、わたしがそれを書こうと思っているのか、なんとなくわかってもらえたのではないかと思います。事故や災害などによる危機、あるいは横暴さや愚劣さを持ったグロテスクな権力などは、純粋に現象的なものではありません。要するに、完全に主体の外側にあるものとして定義することは不可能だということです。それらは、ある程度主体の内的な要請によって生まれています。
内省的な思考は、そういったものの動きを記述することが出来ます。

これは、本文ではありません。そのための序文のようなものだと思ってください。
たまに論説文や、普段の活動記録のようなもの(言うなれば、現象的な日記です)も書こうと思います。

それでは、これから宜しくお願いします。

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