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大森靖子『音楽を捨てよ、そして音楽へ』批評・加筆再録

大森靖子は、「音楽は魔法ではない」という絶望と向かい合う。
「現実」と呼ばれるものを、失われた神の代用品とする機械論的世界観には、この世のすべての解釈を目指す人間のファウスト的性質が根底にあり、自己意識から「生きる意味」を剥奪する。
それに立ち向かうのが現代の「ミュージシャン」の仕事なのだ。
従って、音を概念的対象として捉える音楽的知識(西洋の伝統的音楽知識)は、現代の「ミュージシャン」には求められない。
音楽が学問ならば、そこにはやはり絶望しかないのだ。
例えば、甲本ヒロトは、デビュー当時、ギターも弾けなかった。
「音楽の魔法」を信じているならば、知識などいらない。楽器など弾けなくて良い。音楽の魔法性を疑った結果としての技術、知識ならば、そんなものは不純物にすぎない。
「音楽が魔法ではない」ことが明白である「現実」を前にして、いかに「音楽の魔法」を信じさせられるか、がミュージシャンの唯一の勝負なのだ。

しかし、なぜ「音楽は魔法ではない」ことが絶望になってしまうのだろうか。
大森は、音楽に何を期待しているのだろう。あるいは、改めてこう問うてみても良い。果たして「音楽は魔法ではないのか?」と。
大森の歌詞を見てみよう。

"脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能 ダサい ダンス ダウンロード"

ここに歌われているのは、わたしたちが日常よく「現実」として耳にする言葉だ。
音楽は魔法。

"んなわけあるわけねーだろ"

ここに出てくる二重の"わけ"は、概念が概念によって、理論が理論によって説明される無限循環だ。

"下剤を呑んで軽くなって
ピョンピョン跳ねたらイジメにあった たのしそうなやつムカつくんやって"

という現実。

"隣のババアは 暇で風呂ばっかはいってるから 浴槽で死んだ"

という現実。

ここに示されているのは、必ずしも現実の典型例ではない(わたしたちは、日常的に浴槽で死ぬ老婆に遭遇するわけではない)。しかし、「死」「暴力」「疎外」という抽象的な要素は、その代表であるだろう。
我々の日常を、一分の隙もなく埋め尽くす現実。
大森の歌にはどこか、「わたしは音楽を魔法だと勘違いしている馬鹿」というシニカルが漂っている。
もし、現実がただ「現実的なるもの」の織物でしかないならば、わたしたちは次々と現れる残酷な事実を受け入れることが出来ず、一つの世界、一つの自己を統一的に捉える術を失うだろう。なぜなら、機械論的世界観において「現実」が「神」であるとして、その「神」は、何の理由もなく、どのような出来事をも起こし得るからだ。機械論的世界観は、「どのように(How)」を説明することが出来ても、「なぜ(Why)」にも「なに(What)」にも「だれ(Who)」にも答えるための言葉を持たない。わたしたちはだれで、なにであり、なぜここにいるのか?わたしたちに与えられている「存在」は、理論によってその「実在」を証明することが出来ない。
「存在」は、理論によって指し示すことの出来ない場所に住まっている。
わたしたちは、わたしたちの存在を信じ、一つの統一された世界の中に住むものとしての同一性を維持するために、魔法を必要としている。
しかし、神を失ったその代用として、大森は新たな神を求めているわけではない。大森は、リスナーと同じ世界に住む一人の人間として、バラバラの幾つもの事実の羅列として現実を、音楽という魔法によって、縫い合わせていく。その事実と事実の間に入り込んだその「魔法の糸」が、ミュージシャン大森靖子の存在であり、わたしたちリスナーの存在もまた、それによって保証される。
大森の「魔法」は、現実と現実の間に作用する。だから、大森は夢を歌わない。"音楽は魔法ではない"と歌いながら、「音楽の魔法」を信じ、その現実を受け入れられるものに換えていく。彼女が堂々と"音楽は魔法ではない"と歌い上げることは、逆説的に音楽が魔法であることの証左なのだ。

"でも、音楽は"

その魔法は、日常に作用する些細なものであるだろう。例えるならば、「眠気覚ましに飲む苦い珈琲」のようなものである(実際には、珈琲は苦いほどカフェイン含有量が低い。これもまた魔法の一種なのだ)。科学には反論できない、理論では証明できない。しかし、大森は、現実を音楽によって受け入れられるものに変えていく。仮に現実が絶望的なものであったとして、大森の歌はそれを希望に変えるわけではない。

"音楽を捨てよ、そして音楽へ"

大森が捨てる音楽とは、現実によって手垢にまみれたそれである。音楽を捨て、絶望感にまみれ、打ちひしがられるその心に、それでもまだ響く音楽。それを聴くために、大森は音楽を捨てるのである。

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