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ロリータファッションクロニクル 【1】

ロリータファッションが好きだ。


私がロリータファッションを知ったのは、10代になったばかりの頃(2000年代初頭)、インターネットでロリータの女の子たちのホームページに辿り着いたことが直接のきっかけだった。
「あの人たち子ども服みたいなの着て、おかしいよ」
と大人や友達が言えば言うほど、まるで禁じられた扉を開けるかのように、ロリータのことをますます知りたくなった。
ふわふわに膨らませたスカートとフリフリのヘッドドレスは、やっぱり自分で着るにはハードルが高く感じた。
でも、そこまで本格的でなくても、レースやリボンでデザインされたかわいい色の甘いお洋服 (Emily Temple cuteやMILKの)は、10代の自分の心にとてもしっくりきた。
王冠やプードル、音符やピアノ、お菓子やフルーツ……
見ているだけで現実を忘れて、好きな世界に連れて行ってくれるようなモチーフたち。


私はそんなお洋服をあくまでも自己流でずっと着てきたので、ロリータを自称していいのかどうなのか、という葛藤がずっとあった。
そして、私自身あまりロリータ文化に“深入り”してはいけないような気持ちも抱えていた。
でも、ずっと変わらない好きなお洋服を着続けながら、エッセイやイラストの発信を続けているうちに、「好きな服を着る勇気がほしい」とか、「周りの人に好きなファッションをわかってもらえない」などといった声も多く届くようになった。

きっと好きなファッションのことを知れば知るほど、好きという気持ちはもっと強くなるはずだ。
そして「好き」はいつか誇りに変わる。
共感し合える相手にも、理解のない相手にも、ロリータファッションの複雑な魅力を伝えていけたらいい。
そのためにはどこまでも深入りしよう、という覚悟みたいなものが、ここへきて湧いてきたのだ。
だからまずはあらためて、ロリータファッションの歴史を振り返ってみることにした。

ところで、日本で初めてロリータファッションを着ていた世代は、いま何歳くらいになっているのだろう?

最近、ロリータモデルの青木美沙子さんの新聞記事が話題になっていた。
30代後半となったいまもロリータファッションを貫き続ける美沙子さんは、「年相応じゃない」とか「普通じゃない」などと否定的な意見を浴びるシーンも多かったと語る。

でも、ロリータファッションを身に纏うことで、「自分が自分でいられる」。
ロリータファッションは、自分を肯定するために着るもの。
世の中の「普通」という呪縛に苦しむ人の励みになれたら——そう美沙子さんは締めくくっている。

きっと美沙子さんと同世代の女性の中には、昔はロリータだったけれどいろいろな事情や年齢を理由にもうやめてしまった、という人もたくさんいるはずだ。

そういえば、歌手のaikoが、Twitterでフリフリのヘッドドレスをつけた写真とともに「10代の頃はロリータやってん」とつぶやいていたのがとても印象的だったことがある (さかのぼったらもう5年前のことだった)。
aikoは1975年生まれで、青木美沙子さんのさらに10歳ほど上の世代になる。
そんなaikoは、「ロリータファッション」というカテゴリがはっきりしてきた頃に、真っ先にそのファッションを取り入れた層だったのだろう。

さらに、もっと早くにロリータの源流となるファッションを身に纏っていた層、それはつまり、ブランド創設当時からMILKPINK HOUSEなどを着ていた女性たちは、いまでは60代を迎えているのではないかと思う。

そんなロリータファッションが、日本独自のファッションの流れとして芽を出し始めたのは、1970年代にまでさかのぼると言われている。
ここでその流れを振り返ってみたい。

ロリータファッション年表 :1970 〜 2020年代


[1970〜80年代] ロリータファッションの芽生え-ロマンティック・ファッションの潮流とMILK誕生

1970年代〜80年代は、ブランドやデザイナーの個性を全面的に表現するDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドブームの時代だった。
その流れで、ロマンティック・ファッションを掲げる数々のブランドが生まれた。

ロマンティック・ファッションとは、フリルやレースやリボンをあしらったドレスやワンピースなど、少女のようなファッションのこと。
フランスの公立学校(リセ)、ヨーロッパの田園、おとぎ話の世界…そんな風景をイメージさせ、大人向け・大人サイズでありながら、少女時代のままの心で着られるようなお洋服のことだ。
花柄、水玉、テディベア、アリスモチーフなど、いまのロリータファッションに受け継がれるような柄も、この頃からすでに使われている。

まず1970年に、大川ひとみ氏によるMILKが設立。
現在までつづくガーリーの流れの先駆的存在だ。

つづいて1973年には金子功氏によるPINK HOUSEが設立。
高級感あるプリントと、レースやフリルを幾重にも重ねたカントリー感が特徴で、今も根強いファンやコレクターをもっている。

まもなく、1974年にはMILKから独立したデザイナー柳川れい氏による子ども服ブランドShirley Templeが生まれた。

80年代に入ると、1983年に大西厚樹氏によるATSUKI ONISHIが設立された。

そして1985年には、同じくMILKから独立した村野めぐみ氏によるJane Marpleが誕生
ラフォーレ原宿
に現在に至るまで館内に店舗を構えているブランドだ。




そしてこのようなロマンティック・ファッションを「少女服」としてフィーチャーしたのが、1982年に創刊した雑誌『Olive(オリーブ)』だった。

さらに、ATSUKI ONISHIから独立した礒部昭徳によるBABY, THE STARS SHINE BRIGHT も1988年ごろ産声をあげた。

これらのブランドが、現在まで脈々と続くロリータファッションの元祖といえる。


一方海外でも、ロリータファッションと親和性の高いVivienne Westwoodが、1980年ロンドンのチェルシーにショップを改装オープンし、本格始動した。
やがて日本のストリートにパンクファッションがカジュアルに取り入れられるようになり、Vivienne WestwoodをMILKなど日本のブランドと組み合わせ独自に発展したヴィヴィ子というスタイルもちょっとしたブームになった。

このようにして生まれたブランドの数々は、80年代のバンドレーベル「ナゴムレコード」のファン(ナゴムギャル)や、ヴィジュアル系バンドのファン(バンギャル)など、さまざまなカルチャーを通じたコミュニティの中で愛好され、広がりをみせるようになった。

[1990年代〜 ] 広がりはじめるロリータ/ 媚びない「フレンチ・ロリータ」像

さて、90年代のロリータファッションの広がりを振り返るには、「ロリータ」という定義のあいまいさにも、慎重についていく必要がある。

そもそも、ロリータファッションという名称の由来は、映画にもなったナボコフの小説『ロリータ』に登場する少女の愛称だ。
でも、この小説のストーリーに引っ張られ、ロリータを「中年男性から見た妖艶な少女の魅力」とか、さらには「幼女を愛する性的嗜好」いう意味に捉えてしまうと、「ロリータファッション」と「ロリータコンプレックス」を混同するという、ロリータの女性がもっとも忌み嫌う事態に陥ってしまう。
「ロリータ」というキーワードが纏う、「性的魅力」「少女性」というふたつの要素は混ぜるな危険だ。
あくまでもファッション用語として差別化するため、「ロリィタ」を自称する女性も多い(この文章では「ロリータ」「ロリータファッション」に統一する)。

ただ、ロリータが「性の匂い」を否定し、「モテ」を無視している、と決めつけるのは、私は違うと思っている。
90年代、ストリートファッションの中で「ロリータ」という用語が使われるようになった頃、そのイメージは映画の中のコケティッシュな「フレンチ・ロリータ」像とほぼ同義だったようだ。
『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』のヒロイン・ベアトリス・ダル、セルジュ・ゲンズブールの娘であるシャルロット・ゲンズブールなどがその代表。
1994年、『Zipper』の中での「“ロリータ”って何?」という特集には、こんな記述があった。

語源がナボコフの小説なのは有名だけど日本じゃ変態ジジイの性愛の対象、程度の解釈がまかり通ってるでしょ。“ロリータ”の解釈を最も多角的に捉えてきたのは映画のフレンチ・ロリータ。その最大にして最初のロリータ女優と言えばブリジット・バルドー(以下、B・B)。
(中略)映画のヒロインは快活なエネルギーに満ちた“自由な女性”のイメージそのものだったから。M・モンローはアメリカ的マッチョイズムのが生んだ“男に尽くす”女性像だったし、O・ヘップバーン(原文ママ)はひたすら上品でファニーだった。フレンチ・ロリータは、男の幻想や願望が具現化したヒロイン像に反旗を翻したわけだ。

(太字筆者、『Zipper』祥伝社、1994年10月号)

つまり、フレンチ・ロリータは性的な要素を否定しているわけではない。
フレンチ・ロリータがもつ無邪気なセクシャルさというのは、男性目線を意識しそれに自分を合わせていくという類のものではなく、あくまでも女性主体の、自由の象徴だったのだ。

同じ特集には、90年代のロリータ女優の代名詞とされたヴァネッサ・パラディに触れた上で、こんなふうにも書かれている。

ロリータと形容される女のコ達の心にあるのは、“理論武装された女性”ではなくて、天真爛漫なある種の童女性といったもの。周囲も本人すらも計算してない(できない)、無垢やセクシャリティーや無秩序といった要素が混濁したもの。だから、一言でロリータといっても正確な定義なんてない。(中略)ロリータは年齢でもファッションの形でもなくて、女の子そのものの、ひとつの形態のようだ。

(太字筆者、『Zipper』祥伝社、1994年10月号)

男性目線を基準とした美しさ、性的魅力のランク付けから解放され、少女のように自分に正直に生きる。そして、自分が好きな自分になる。
そこに難癖をつける男なんて、こっちから願い下げなのだという勢い。
男性に「選ばれる」という価値観から解放され、自ら「選ぶ」というスタンスで常にいること。たとえ生きづらさやカオスを招いたとしても……。
それがロリータの生き様で、フリルやレース、子ども服のようなファッションは、その精神性とぴったり合致したのだろう。

この特集の中で、同時代のロリータを代表するブランドとして挙げられていたのは、MILKだった。

MILKは正確には、一貫して「ロリータファッション」というキーワードを自ら掲げてきたブランドではない。
でも、「少女の夢」をコンセプトとし、まさに少女の頃の夢のクローゼットを開けたようなお洋服で溢れるMILKは、自由で天真爛漫なロリータの精神をずっと支えてきたブランドだと思う。

ロリータファッションを日本中に広めるきっかけとなった映画『下妻物語』の原作者・嶽本野ばら氏による最初の小説『ミシン』の中では、MILKについてこう語られている。

「MILKの好(よ)さ? うーん。難しいけど、ストリート・ファッションの先頭を常に走りながらも、流行に左右されない頑固さというか、いい意味でのマンネリさがいいんじゃない。ロリータ・ファッションとパンク・ファッションを融合させて極めて、普通ならそれに飽きて次のステップにブランドとしては行かなければならないんだろうけど、MILKは行かない。いい意味で時間を停止させている。だから信用出来る。

(嶽本野ばら『ミシン』小学館、2000年)

ロリータといえばお嬢様・お姫様、といったイメージを持たれることが多いかもしれないけれど、MILKはそれと同時に、「いい子ちゃん」を求めてくる大人や男性たちに中指を立てるようなパンキッシュさを兼ね備えているのが特徴だ。


ランジェリーのような、丈が短く露出度の高いデザインの服も多いし、トラッドなスクールガールやリセエンヌのようなアイテムも、またふんわりしたフリルのジャンパースカートのような甘いお洋服もある。
MILKとその後のロリータブランドとの大きな違いは、幅広いテイストのアイテムを使って、自由度の高い着こなしができるところだ。
ガーリーなトップスにパンツを合わせたり、ランジェリーの上にカーディガンを羽織ったり、「着崩し」や「ハズし」の美学がある。


そのどれもが、コスプレ用やパーティールックのようにではなく、リアル・クローズとして作られたデザインであることも重要な点だ。
似合わないとされるお客さんは、店員から門前払いを食らったという90年代以前の噂もよく聞く話だけれど……。

90年代は、「ロリータとはかくあるべき」というスタイルが完全には確立されていなくて、女の子たちが「かわいい」と思う憧れのブランドのお洋服を自分なりに工夫しながら身に纏っていくなかで、次第に原宿などのストリート上でロリータな女の子たちが目立つようになってきた時代だったのだと思う。

そんな女の子たちが、雑誌とインターネットの普及によって、コミュニティ意識を強めていったのが2000年代だ。

[2000年代〜 ] 分化してゆくロリータファッション


00年代、ロリータファッションはさらに分化し、それぞれのスタイルと思想が明確に定義付けられていくことになる。

98年に『KERA』、00年に『ゴシック&ロリータ バイブル』という、ロリータのコミュニティを形成するような雑誌が創刊したことも重要だ。
このようなロリータを取り上げたストリート雑誌は、原宿などにいたリアルな女の子たちをスナップして全国に紹介する、さまざまなブランドの最新ファッションを提案する、そしてそれがまたストリートに影響を与える…という循環を活発化させた。

ロリータファッションのカテゴリとしてもっとも世の中に知られているのは、「スウィートロリータ (甘ロリ)」だろう。
2004年に嶽本野ばら氏原作の『下妻物語』が映画化し、主演の深田恭子さんのロリータ姿がお茶の間まで広く話題になったことの影響もとても大きい。
『下妻物語』にも衣装提供しているBABY, THE STARS SHINE BRIGHTを筆頭とする王道のスウィートロリータ(甘ロリ)は、西洋のバロック、ロココ、ヴィクトリアン時代の華やかな貴族のドレススタイルにインスパイアされたファッションだ。


それに対して、ダークな世界観を打ち出しているゴシックロリータ(ゴスロリ)も独自の発展を辿っている。
「ゴスロリ」と「ロリータ」は混同されることが多いが、「ロリータ」の中の一つのカテゴリが「ゴスロリ」で、他のカテゴリとはテイストがまったく違う。
「ゴスロリはロリータ」だが、「ロリータはゴスロリ」ではない。
簡単に言えば、ゴスロリはゴシック様式の退廃的で悪魔的な世界観を取り入れたロリータファッションで、80年代末以降のヴィジュアル系ロックバンドブームに乗って目立ち始めたスタイルだ。

その他にもロリータのカテゴリはかなり多岐にわたるため、また次の記事で詳しく語ることにしたい。

00年代は、インターネットの普及により、10代の女の子でも誰もが発信者になれるようになった時代だった。
ロリータたちはインターネット上でハンドルネームを使って個人ホームページを作り、お気に入りのお洋服の写真や、今で言う「自撮り」、出掛けたときの写真、お茶会の様子などを載せていった。
そして、インターネットで出会ったロリータ友達同士で互いのホームページにリンクを貼りあったり、好きなもので繋がる「同盟」を作ったりして、コミュニティ意識を強めていったのだ。
また、それはロリータを着たことがない層の興味もひきつけるきっかけとなった。その反面、誹謗中傷や好奇の目を浴びることも増えたと思われるけれど。
ロリータの女の子の中には、家族にロリータファッションを理解してもらえない、身近にロリータを一緒に楽しめる友達がいない、などといった日常生活での悩みを抱えている人も多かったと思う。
そんな女の子たちにとって、インターネットは唯一の、なりたい自分になれる、「自分が自分でいられる」場所だったのではないか。

ロリータブランドの店舗があまりない地域にいる女の子でもロリータ文化に触れられたのは、そんな個人による“女の子ホームページ”と、雑誌KERAゴシック&ロリータバイブルのおかげだったのだ。

2000年代は、ロリータの細分化がすすむにつれて、「私はこういうロリータ!」という女の子たちの帰属意識が高まる一方で、「こういうアイテムや着こなしはロリータとは呼ばない」「ロリータはこうでなくてはならない」といった細かい流儀も確立されて、ロリータファッションの特別感、ハードルの高さも印象づけられていった時代だったように思う。
しかし、少女の命は短い。
確固たるこだわりをもってロリータファッションに身を包んでいても、20代半ばを迎え、仕事や恋愛などの事情からその細かな美学を貫けなくなってしまえば、ロリータを卒業するしかなくなる。
着る人が減ったブランドは、存続も危うくなってしまう。

「自分が自分でいる」、少女のままの奔放な心でいるための自由なファッションだったはずのロリータが、いつのまにか自分や他人を縛るものになってはいなかったか。
2010年代は、そんなロリータの原点を問い直すような時代になったように思う。

[2010年代~] さらに多様化するロリータファッション-自由へ道連れ

2010年代になると、それまで切り離されてきた「性的魅力」と「少女性」というふたつの要素の境界があいまいになった印象がある。
雑誌『LARME』などが提案していたフェティッシュファッションや、ピンナップガール風ファッションの流行とあいまって、先に述べたような90年代のフレンチ・ロリータ的なロリータ像への回帰がみられたのだ。
コルセットやビスチェ、タイトなスカートなど、身体のラインを強調したり肌を見せたりしつつ、ガーリーさもふんだんに取り入れたようなスタイルも、「ロリータ」と呼ばれるようになった。

2012年に創刊された雑誌『LARME』は、「甘くて、かわいい 女の子のファッション絵本。」をコンセプトとし、ガーリー系のファッションを幅広く取り扱った。
青木美沙子さんをはじめ、ロリータモデルも多く登場し、ロリータブランドも紹介しているため、広く言えばロリータ雑誌に分類できると思う。
また、白石麻衣さん(乃木坂46)、渡辺美優紀さん(元NMB48/AKB48/SKE48)などアイドルもモデルとして積極的に起用しているのが特徴のひとつだ。

こうした雑誌の世界観には、創刊から4年間編集長をつとめた中郡暖菜氏のキャラクターが、大きく影響していたと考えられる。
26歳という若さで『LARME』の創刊編集長となった中郡氏は、それ以前には『小悪魔ageha』の編集に関わっていた。
『小悪魔ageha』といえば、キャバクラ嬢のバイブルと呼ばれ、2000年代にキャバクラ嬢=「夜の仕事」「age嬢」を読者モデルとして起用して、一躍表舞台に立たせた人気雑誌だった。
ふだん男性目線を常に意識し、それを生業としている彼女たちの、華やかなメイクやファッション、美容面だけでなく、「病み語り」と言われるネガティブな側面も積極的に見せ、同性の共感と憧れを集めた『小悪魔ageha』。
そんな「age嬢」の姿が、2010年代のアイドルブームに翻弄される人気アイドルグループの女の子と重なるのは、自然なことのように思う。

中郡氏は、自身が好むシュルレアリスムや頽廃的な美意識と、少女としての儚い商品価値に自覚的な女の子たちの姿を融合させ、「甘くて、かわいい 女の子のファッション絵本。」に昇華させたのだ。


やがて、ロリータブランド自身がコケティッシュなイメージ、素肌や身体のラインをみせることを厭わないようなスタイルを打ち出すこともあった。

やがて街にはロリータブランドでなくても「LOLITA」と文字の入ったアクセサリーやTシャツなどが増えた。
ここまでくるとロリータとはもう響きと字面の良いロゴくらいに思われていたのではないか?という気もする。

それと同時に、日本よりも海外でロリータファッションが流行し始めた。
これは冒頭でも触れたように、20年以上にわたって、雑誌『KERA』や『ゴシック&ロリータバイブル』など様々な媒体でロリータモデルとしての活動を続けてきた青木美沙子さんが、2009年に外務省から「ポップカルチャー発信使(通称:カワイイ大使)」に任命され、文化外交として世界各国でロリータファッションを広める活動をしてきたことの功績も大きい。

さまざまな国で解釈されたロリータファッションは、時代もブランドも自由自在に行き来して取り入れられる。
たとえるならば、それはYouTubeで昭和の音楽と最近の音楽へ同じようにアクセスできるように、海外のロリータたちは90年代的なロリータと最新のロリータ、そして自国の文化を自分なりに編集して独自のスタイルを作っていくのだ。

こうしてロリータファッションは2010年代まで広がりをみせてきた。
しかし、ロリータの定義が曖昧になり、ロリータ的なお洋服が手軽に手に入るようになったことは、長年ハイクオリティな独自のスタイルを貫いてきたロリータ系ブランドを窮地に追い込むことにもなったようだ。
2010年代には、ロリータ・パンク系ブランドの倒産・閉店も相次いだのだ。
2013年には、ゴスロリ系ブランドを扱うピースナウが倒産。
2018年には、比較的安価でロリータ初心者にも親しまれていたPUTUMAYOが閉店。
2019年にはパンク系ブランドのALGONQUINSが閉店……
また、存続しながらも、店舗数を縮小するロリータブランドも増えた。
ほぼ時を同じくして、ロリータ御用達だった雑誌『KERA』『ゴシック&ロリータバイブル』も休刊。

しかし、それはロリータ文化の終焉を意味するのでは決してない。
2010年代以降の日本でも、個人で活動するロリータブランドも次々に生まれているし、そんなロリータブランドが集まるイベントやお茶会も定期開催されている。

2020年代からは、ロリータの長年の愛好家が、新しくロリータに出会う世代を大らかに歓迎しスピリットを受け継いでいくことが、ロリータ永遠不滅の鍵になると思うのだ。


《参考文献・関連書籍》

▲ロリータファッションの歴史や思想、関連キーワードについて網羅的にまとまった一冊。
ただし2007年刊。2010年代以降もロリータカルチャーは大きく変化している。

▲ギャルとロリータ(の系譜上にある女の子)を比較分析した一冊。違うところだけでなく共通点も発見できる。『小悪魔ageha』まわりの文化についても詳しい。2012年刊。

▲2014年、カワイイ大使・ロリータモデル青木美沙子監修のもとに編集された、ロリータファッションの入門書として実用的な一冊。
私もライターとして、ポエム的な部分やカルチャー紹介に少し関わった。

▲ロリータのカリスマ的作家、嶽本野ばら氏のデビュー作。
MILKを愛するパンクシンガー「ミシン」の物語。嶽本野ばら氏の小説は、服のディテールやそれを愛する女の子の心情が繊細に描かれている。

訂正 :挿絵年表中「 Jane Marple 設立 」が70年代となっている部分は、80年代の誤りです。(2020.2.15)

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[2020年〜 ] ロリータファッションはどこへ向かうのか? 

2020年代を迎え、ロリータファッション文化はどのように変化しているのだろうか。

SNSの発達に押されるように雑誌文化は衰退し、ロリータ雑誌というものも次第に減った一方、インターネットを通じてさらに簡単に、世界中のロリータファッション関連の情報へとアクセスできるようになった。
また、フリマアプリや通販サイトなどを通じて、ロリータ服は時代も場所も超えて広く届けられるようにもなった。

海外のロリータファッション愛好家のInstagram投稿を見てみると、さまざまな国で気鋭のロリータブランド( Violet Fane [Spain]、R.R. Memorandum [U.K.]等 ) が人気を得ていて、そのデザインは2000年代の日本のロリータブランドの影響を色濃く受けながら、独自のエッセンスと融合されていることがわかる。
そこに手作りのアイテムや往年のロリータ古着が組み合わされているコーディネートは、まるで画面上でコラージュするかのように、時も国も自由に超越しているのだ。
ロリータ文化への憧れを募らせた外国の人々が、コロナ終息後に日本を訪れる機会ができたときには、時代が変わってしまった、とがっかりするよりも、新たな発見があるような土壌ができていると良いなと思わずにはいられない。

さて、SNS上では、ロリータを主なスタイルとするインフルエンサーやモデルたちが多くのフォロワーを抱え、お茶会やイベント、コラボ商品の販売など、ファンに向けた活動を各自で展開している。
2022年には、ロリータモデルとして第一線で活躍中の青木美沙子さんがファッションセンターしまむらとのコラボでベレー帽やバッグなどのコラボアイテムを発売し、即完売するという盛り上がりを見せたのが記憶に新しい。
しまむらがロリータ層を取り込もうとしたことは新たな挑戦だと考えられるし、「ロリータブランドは高くて手が出せない」という既存のイメージにとらわれていた若年層にとっても、ロリータファッションへ気軽に足を踏み入れるきっかけとなったのではないだろうか。

このようにSNSが主な発信源・活動圏となっているとはいえ、アナログな媒体としてのロリータ系同人誌やフリーペーパーなどは、現在も個人や小規模なコミュニティによって作られ続け、デザインフェスタやコミックマーケットなどの即売会で頒布されたり、オンラインで販売されたりもしている。

かつて雑誌媒体や大手ブランドが担っていた、ロリータファッションに関する情報源としての役割は、今では個人が担うところも大きいといえるのだ。

また情報だけでなく、アパレルアイテムそのものにおいても同様の変化が起こってきている。
2010年代後半から伝統的なロリータブランドの倒産や閉店が相次いだが、それに代わるように個人で活動する作家やデザイナーが台頭してきた。
各地で定期的に開催されているゴシック&ロリータマーケットアーティズムマーケットなどでは、個人作家によるロリータ服、ロリータに合わせるアクセサリーなどが多数取り扱われている。
「心を込めて作られた、私だけの特別な一着」を見つけ、選び、身に纏うことに喜びを感じるロリータの精神性と、作家もののアイテムとは親和性が高い。
アイテムの型数や数量が限られること、クォリティを一定に保つのが難しいこと、個人の拡散力や口コミに左右されることなど、個人ブランドの運営は不安定な面も多いが、SNSやイベントを通じて、より身近に作り手と受け手が相互にコミュニケーションを取ることができるのも魅力のひとつだろう。

コロナ禍となった世界では、特別な日の外出というイメージのあるロリータ文化は下火になってしまうのではないかと思われた。
しかし、「籠っている」間にインターネットを通じて情報を集め、コロナ禍にロリータ・デビューしたという10代、20代も多いようだ。
コロナ禍によって新たな文化の更新が途絶えたかに思われた間、ロリータに興味を持つ人々の意識は過去へと向かったようで、「懐古ロリータ」と呼ばれるスタイルが人気となってきた。
今まで述べてきたように、ロリータファッションにも時代時代の特徴があり、2000年前後に流行した無地のジャンパースカートにレースのヘッドドレス、などといったスタイルが、いま再び注目を集めているのだ。
ブランド自らが復刻アイテムを発売することもある。

これはファッション界全体に「Y2K=2000年代」ブームが起こっていることとも重なると思われる。
「平成ギャル」はわかりやすい例だが、Y2Kファッションが盛り上がっている理由のひとつは、「親が着ていたファッションを子どもがリバイバルする」という楽しみ方ができることだろう。
それがロリータファッションでもさらに盛り上がっていくといいな、と私は思う。
90〜00年代のロリータ全盛期を経験した層の中には、自分の子どもがティーンを迎えるという人も少なくない。
それならきっと、身近な大人の大切なクローゼットを開けてみた子ども世代が、新鮮な気持ちでロリータファッションに出会う、ということも想定できる。
そんな巡り合わせをもたらすのは、年齢を重ねてもロリータファッションを愛し続ける姿勢を貫く人々の存在だろう。
ロリータであると結婚しづらい(男性に選ばれにくい)とか、母になることや加齢によって少女性を失うとか、社会に合わせて好きなファッションも捨てねばならない―― といった前時代的な呪いを解いて、自分の人生を主体的に選び続ける、永遠の少女の生き様。
それが、2020年代にはさらに説得力を帯びてくるはずだ。

あとがきにかえて

冒頭で、私はロリータと自称することにずっと抵抗があった、と書いた。「このブランドのアイテムを、こんなコーディネートで着なければロリータとは呼べない」という空気を感じていた時期もあったから。
また、アイドルやアニメキャラがロリータを着ているイメージが強いためか、「“かわいい子”(何基準?)しかロリータにふさわしくない」といった男性の目線を感じることもある。
でも、そんな他人基準よりも大切なのは、「自分はロリータだ」「ロリータになりたい」と思う人が、それぞれの心に忠実なロリータでいられるということだと思う。
愛するものだけを身につけて、自分だけの聖域を守ろうとしていれば、少女の心は歳をとらない。
私たちにはそうやって、「かわいい」ものを選んで生きる自由があるのだ。

大石蘭


編集協力・年表作成:SUITE IMAGE
監修・イラスト:大石 蘭

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* 2022.11.21 :加筆・再編集
* 2023. 9.20 :年表資料 更新


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