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美しい瞳に映るのは、死か仲間かスクランブルエッグか

もう食べ飽きたせいか、味つけが悪いせいか、この国がとうの昔に食文化なんて軽んじたせいか、おいしさの全く感じられないスクランブルエッグに、へたすればアメリカ国内どの飲食店のシェフよりも客の舌を満足させているであろうハインツのトマトケチャップをべったりとつけ、とにかく口に運んでいた私の前を、ひとりの青年が静かに通りすぎていった。兵士だった。

出典: IMDb 『トップガン マーヴェリック』(2022) / 以下省略。

時刻は朝の七時過ぎ。みれば彼のほかにも軍服に身をつつんだ数人の仲間たちが言葉少なに朝食をとっている。白人はもちろん、黒人もいれば、女性もいる。この時間帯のカフェテリアに来るからには朝早い授業を取っているか、軍の訓練がこの後あるかのどちらかだろう。彼らの風貌は見慣れているアメリカ人学生のそれとは違う。私が通っていたようなアメリカの田舎大学は、ファッションセンスやオシャレなんて概念は潔く捨ててしまった、キャンパスライフを謳歌するのにTシャツと短パンされあれば事足りてしまうような場所。そこへブーツの音をゴツゴツと響かせ、上から下まで迷彩色の制服でぬっと姿を表す者がいれば、それはやはり人目を引く。

天井から見えない糸で吊るされているかのようにしゃんと背筋を伸ばし、イスに落ち着けている身体はとても大きい。アメリカ人だから我々日本人とは基本の骨格がちがう。といっても、空調のよくきいた人工施設で、求められたわけでもないのにせっせと筋トレに励み、やけにこぎれいで温室野菜じみた筋肉を膨らませているトレーニーともまたちがう。兵士たちの体躯には、なにやら生々しい自然の力、いわば現実の威厳があった。そして威厳ある体躯は今、おいしさの全く感じられないあのスクランブルエッグを頬張っている。

そうこう私が考えていると彼らは朝食を切りあげ、どこかしら行く先の明快な、目的あるスピードでカフェテリアを去っていった。直接話す機会こそなかったが、それ以降も廊下ですれ違ったり、同じ授業を受けるクラスメイトとして教室の隅に座っているのを見かけたりし、その度、私は魅せられた。厳格な振るまいに徹しながらデカい顔をするわけでもなく、自己主張は無言の体躯と制服だけに任せていて、人に話しかけられれば上品にほほえみ、澄んだ瞳でモノを見、いつも慎ましくキャンパスを歩く彼らはどことなく神聖で犯すべからず存在だったように思う。そう、彼らは美しかった。しかし、彼らが幸福そうに見えたかと尋ねられれば、私はYesと言い切ることができない。

同じくトム・クルーズ主演の映画『アウトロー』の作中で、主人公ジャック・リーチャーはアメリカ人が軍隊に入る理由を四つあげている。「(1)軍人の家系だから(2)愛国主義者だから(3)職がないから(4)合法的に人を殺せるから」というもの。大半の戦争映画は、直接そうとは言わずとも、(2)の理由で入隊を決める人々を肯定的に描いている気配があるが、実のところそれ以外、特に(3)の理由でやむをえず兵士になる人はたくさんいる。彼らを釣るのは、金だ。大学卒業までの奨学金や生活費が保障される。もし年間数万ドルもかかる大学費用がチャラになるなら入隊するかとゆすられても、フツウの人にとって、死と隣り合わせの仕事を選ぶのはなかなかむずかしいだろう。金をとれば死がついてくるかもしれない。だからこそリクルーティングは、中間・低所得者層の多い、地方の貧しい若者をターゲティングする。売れ残りの品に手を伸ばすしかなかった若者たちは大学に入るために軍隊に入る。私が大学で見た兵士たちも、経済的困窮からあの制服を着せられていたのだろうか。妙に大人びて、妙に晴れやかでない彼らの顔つきはYesの返答だったのかもしれないと今では考えたりもする。

《映画のネタバレを含みます》

映画『トップガン マーヴェリック』に登場するエリートパイロットたちは自分の腕にゆるぎない自信をもつイケイケ野郎どもで、「この俺が一番に決まってるだろ!」と声高に叫ぶような口調や態度は、私のアメリカ兵士に対するイメージとは遠くかけはなれているものだ。兵役にまつわる「知られるとややこしそうなところ」にはしっかり蓋がされているし、劇中の敵国も一体どこの国だかわからないし、敵のパイロットは男なのか女なのか白人なのか黒人なのかさえ見当がまるでつかない。戦闘や戦争をテーマに扱いながらここまで政治的論争の火種がキレイさっぱり未然に消化されている作品は稀で、ここで「たぶんあの国はどこそこの国だろう」なんて憶測をはたらかせるのは無粋と言わずしてなんと言うか。むしろ今作は戦争映画ではあるものの、とある先生の指導のもと若い生徒らが励み、時にはケンカをし時には夕日の海辺でフットボールをし、最後は力をあわせて目標を成し遂げるというふうに切り取れば、「学園モノ」として鑑賞することも可能だ(先生が生徒を押しのけてカッコよすぎるのが減点対象)。どの大人の心にも残っている、もう二度と戻らない、でも忘れられない時代ときを、この上なく煌びやかな形で再現してくれた感動はその要素から生まれていて、社会現象ともいえた大ヒットを支えた人々の心情のひとつに、この映画に対する「感謝」があったように思えてならない。

ただ、兵士たちの生活の苦しさを気の毒がらせるような描写は流石にないにしても、私が大学に通う兵士たちにそれを感じたように、軍服につきまとう独特の影は本作にもありありと映っている。前作、不慮の事故によって亡くなってしまった父グースの息子ルースターは、他のパイロットたちに比べ、父の死が、彼における死に、よりくっきりとした輪郭と確たる重量をもたせており、エリートパイロットながら飛行中いざという時に力を出すことができない。グースの死、アイスマンの死、訓練中に起きたフェニックスらの墜落事故、幾度にもわたる任務中の敵襲など、死はキャラクターたちの眼前に不意に現れては消え、彼らの心にその残り香をなすりつけては追い込んでいく。そんな中、とりわけ奇妙な死の形、そしてほとんどの人が味わい逃しているであろう映画『トップガン マーヴェリック』最大の珍味、それがマーヴェリックの死だ。「彼は死んでないじゃないか」と思われるかもしれない。いやいや、彼が死んでいなければこの映画はそもそも成立しない。

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