顔なきロビン・フッド
《前編》 ボニー&クライド/なぜふたりの顔は映らないのか
成田空港に到着したガーシーこと東谷義和容疑者が、そのはめられた黒い手錠とモザイク処理さえなければ一見どこにでもいるガラの悪い中年男があたかもバカンスに訪れた南国の宿泊先のプールに泳ぎにきたと見紛うようなリラックスした様子で、警察に連行されていったニュース映像は記憶にあたらしい。
彼は義賊だった。義賊とは、体制側から犯罪者とされながらも大衆から支持される個人や集団のことです。権力者に向こうを張り、やたらとクリーンを人に求める現代に逆行するような一種の”汚さ”が”カッコええわ”と映ったのか、国民全員ではないにしろ彼には熱狂的な支持者が数多くいたのは確か、日本の政治家なり企業経営者なりから目をつけられていたのも確かでしょう。
今作に登場する実在のアメリカ人強盗カップル、ボニーとクライドもまさしく義賊。銀行強盗を働き殺人すら厭わない彼らがもてはやされたのは、1929年の大恐慌以降、仕事や家を奪うだけ奪い、ろくすっぽ景気を回復させる施策を考えつかない「えらい人たち」に堂々とケンカを売るふたりを”カッコええわ”と皆が感じたからである。
実話を基にした映画『ザ・テキサス・レンジャーズ』の舞台は、アメリカ全土が不況に陥っていた1934年。テキサス州を中心に強盗や警官殺しをくりかえすボニーとクライドに手を焼いていた州政府は、すでに引退していた元捜査官フランク・ハマーに助けを求めます。しぶしぶ依頼を引き受けるハマーでしたが、相棒のメイリーと捜査を進める中、彼らを崇拝する人々を目の当たりにし新時代への違和感を覚え始めます...
作中、ボニーとクライドの顔はなぜか映らない。カメラに背を向けていたり肩から下しか見えなかったりフォーカスが外れていたりする。これはボニーとクライドが大衆の怨念の擬人化だからであろう。”誰か分からない”とは”誰でもない”ということであり”誰でもない”ということは”誰でもある”ということ。不況のせいで永く怒りを煮詰めてきた大衆の腹いせを代行しているのがふたりだから、もし特定の顔をもつ”誰か”にすれば、すなわち個人が立ってしまう。今作のヒールを演じているのは個人ではなく大衆であり時代だ。
主人公の名はフランク・ハマー。ガーシー逮捕劇でいえばシナリオライターにあたる権力者です。目立ちたがり屋の悪に対し権力というのは見えずらい。見えない彼らにはさらに見えない葛藤があり、それでも事を実行せねばならない苦悩があることを今作はハマーを生贄に描いている。そしてこの苦しみの源にはキリスト教の労働観というのが深くかかわっていた。
※以下ネタバレあり
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