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当事者として~75年目の夏~

「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」

井上ひさしの戯曲『父と暮らせば』に登場する美津江の台詞。

広島の上空500Mで爆発した原子爆弾。生き残ってしまった自分は幸せを選んではいけない。自分が幸せになってしまったら、犠牲になった人たちに申し訳が立たない。

原爆は、それによって命を落とした人だけではなく、生き残った被爆者をも苦しめる。そんな現実を日本人だからではなく、人間として考える。当事者として考える。

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15年前、小学生だった私は長崎で被爆者の話を聞く機会があった。

原爆が落とされたとき、目の前が真っ白な光に覆われたこと。気づいたときには、あたりは火の海になっていたこと。流れる河川に次々と人が飛び込んでいったこと。目の前で起きた出来事を包み隠さず話してくれた。被爆の後遺症で、皮膚がただれないように患部に薬を塗り続けているとも聞いた。

広島と長崎に原爆が落とされて75年。被爆者たちは思い出したくもない悲惨な体験を、いまなお継承し続けている。今年、被爆者の平均年齢は83歳となった。こうした話も聞く機会がなくなりつつある。

人間が人間を殺すためのもの。そんなものが、いまなお世界中に13,000発以上もある。核爆弾を保有すること。それを落とすこと。それらが何を引き起こすのか、まったくわかっていない。

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昨年、ハワイ島でタクシーに乗ったとき、少しだけ運転手と話をした。

彼は私が日本人だと知ると、「私たちの国が日本に、広島、長崎に酷いことをしてしまった。本当にごめんなさい」と言った。

彼が戦争を引き起こしたわけではない。彼が原爆を落としたわけではない。謝る彼にどう返事をするべきか、わからなかった。ただ、そのときの彼は当事者として謝っていた。

戦争の当事者はいつだって人間。原爆も人間によって落とされた。だから、すべての人が当事者だ。被爆体験を聞く機会が減っている今だからこそ、二度と悲惨な出来事を繰り返さないために、当事者であることを決して忘れてはいけない。


2020/08/10

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