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E96:「焼け野原」みたいな教室で2

今日は11日目です

あんなことがなければ、
先日の「その1」の記事だけで終わる話だった。

この先生のことを、今こうしてnoteに書くこともなかったと思う。

あの頃、僕は現実から逃げたくて
そのための「理由」を探していただけかもしれない。


現代文の授業を受けながら、
ずっと疑問に思っていた。

このおじいちゃん先生のこと。

おじいちゃん先生、なんて失礼なので、そろそろ名前で呼ぶことにする。

中村先生(仮名)とする。

中村先生は、おそらく
この年で定年退職を迎える年齢だったように思う。

今の60歳は、かなり若々しいが
当時の先生は、仙人みたいな、師匠みたいな、つまり「おじいちゃん」という言い方が何よりしっくりくる感じだった。

いや、年齢的なことだけではない。
なんだかずっと心の「距離」があったのである。

先生のお話は今(50代)なら、ものすごく興味ある内容なんだけどな、と思う。

ただ…残念ながら、当時は10代。
古い時代のしきたりとか、人生観とか…。
先生のお話は、小僧の僕らには、難しすぎた。

新学期早々、大多数の生徒が脱落していき、
あっという間に、一昨日の記事のような「焼け野原状態」になってしまった。


僕は、気になっていた。

僕には中村先生が
「何かを諦めてしまった」ように思えて仕方がなかったから。

先生は、ほとんどの生徒が聞いていない教室で、いつも遠い目をしながら、淡々と授業をしていた。

教壇からは、どんなふうに見えているのだろう。
先生が、本当はどんなことを考えているのか、ちょっと知りたかった。基本的には穏やかな先生だったが、心の奥底では何を考えてるか、よくわからない人でもあった。


聞くところによると、この先生
若い頃はものすごく怖かった…らしい。
昭和40年代は竹刀片手に、生徒を追いかけ回していた……らしい。 

全部、昔を知る他の先生からの「伝聞」である。 
だから、何を聞いてもピンと来ない。
へえ、この先生が竹刀をねえ…



実は、
一度だけ先生が感情をあらわにした時がある。何の話の流れだったかは覚えていないが、再現するとこんな感じだった。


「学校でも、職場でも、面接ってやるでしょう?みんな短い時間に、少しでも自分をよく見せるんですよね。自分を偽ってでもね! でもねぇ、だいたいあんな短時間で人間性なんてわかりゃしませんよ」

「君たちの入試の時、面接ではそれはそれはすごくいい子でしたよ。それがどうです? ほら、見てごらんなさいこの教室を! しょせん、このザマですよ!!」

「しょせん、このザマ❗️」そこに、最大限の怒りが込められていた。起きている奴自体少なかったが、その起きている奴らだけが大爆笑だった。

この先生がはっきりと感情をあらわにしたのは、この時が最初で最後だった。
あ、腹立ってたんだ! その時初めてわかった。


昔の話が事実だとしたら…
どうしてこの先生は変わってしまったのだろう?

そもそも
人はどういう瞬間に変わるのだろう?
人はどういう瞬間に何を諦めるのだろう?

一向に、縮まらない先生と生徒の距離。
それでも授業は延々と続いた。


あーあ、なんだろうこの授業は…。
僕は国語歴12年目にして
初めて「つまらない!」と思った。

僕はひたすら「読書」に励み
疲れると、窓の外を眺めた。
やることがないから、教科書をほとんど「読破」
してしまった。


さて、これからどうしようか?

よし、決めた、

寝よう! 

僕はちょーやんから伝授された「タオルセット」で
寝床をつくり、ボサボサ頭をそこに沈めた…。


この時、高校3年である。

おい、なんで、そうなる?

今の僕ならそうツッコミを入れるが、
もう寝ることしか頭になかった。

こうして僕は、高3の2学期という大事な時期、
あんなに好きだった国語から「降りた」のである。

ただ、1つだけ気になっていた。
いつも僕が寝ようとすると、一瞬
先生と目が合うような気がした…。

ん?なんだろう?
ま、気のせいかな…
この時は、僕自身
まだ大して気にもしていなかった…

お読みいただき、ありがとうございました。
【66日の11日目】


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