E98:アメリカンドッグと小さな手
コンビニで売っているアメリカンドッグを見ると、
懐かしさ半分、切なさ半分…。
僕が4歳の時の写真がある。
父のお気に入り写真だ。
ちなみに、僕自身はその写真が
全くお気に入りではない。
なぜなら、写真の中の僕は「号泣」しているからだ。
僕がアメリカンドッグの「棒」だけを持ち
天を仰ぎ、大泣きしている。
父曰く、「この世が終わるような泣き顔」
父によると、わずかひと口半食べたところで、泥だらけの地面に落としてしまった直後の写真だそうだ。
背後には、ベビーカーが写っていて
なぜか、
眉間にしわを寄せた弟が、号泣する兄を注視している。
弟は当時、まだ1歳にもなっていないはずだ。
眉間にシワを寄せ、大人みたいな気難しい顔なので、
これはこれで傑作である。
そのベビーカーの横で微笑む、若き母がいる。
大号泣の兄
気難しい顔の弟
ベビーカーの横で笑みを浮かべる母
そして、大笑いしながら、シャッターを押した父
思春期の頃に、この写真の話を持ち出されると、
僕は途端に不機嫌になった。
(いつまで同じ話するねん……)と。
あの時
ベビーカーの中で眉間にシワを寄せていた弟も、
今や父となり、その息子たちも成人した。
2人の息子を育てあげた弟が、
先日こんなことを言った。
「今は今でもちろん幸せやねんけど、なんでかなぁ
最近息子たちが幼かった頃の夢ばかり見るねん」
息子たち(私にとっては、甥っ子たち)は
成人した今も、私にとても優しい。
もちろんそれは幸せである。
なのに、その私も、また
私の顔を見るなり、走ってまとわりついてきてくれたあの頃のかわいい笑顔を思い出す…。
大泣きする僕の写真を、何度も何度も
懐かしそうに見ていた父の気持ちが
今やっと、わかる気がする…。
お読みいただき、ありがとうございました。
【66日の13日目】
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