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E71:8月15日に思い出す会話

その当時、こはる(仮名)は20歳そこそこだった。
 
この数年後に、こはるは娘を産み、 
さらに四半世紀を経て、その娘が、息子を産む。
その息子が、私、源太である。

こはるは、ある運送会社の事務員を務めていた。 
その日、出勤すると、上司がこはるを呼び止めた。

「今日は12時少し前に、午前の業務を終わらせて」
「12時…え? 少し前ですか?」
そんなことを言われたのは、初めてだった。

「そう、みんなにもお昼ご飯を食べないで、と伝えて」
戸惑うこはるだったが、上司は構わず続けた。

「みんなで、前の庭に集まって、ラジオを聴くから」

…こはるは思い出した。

今朝新聞を読んだ人が、今日のお昼に重大な放送があると言っていたが、それがどのような重大放送なのか、若いこはるには、まだよくわかっていなかった。

(またどこかで大きな空襲でも起きたんやろか?)

正午前
会社前に全員で整列すると、頭を垂れて、静粛に、ラジオを聴くよう指示された。

(何やろ?)

疑問だらけだったが、とても周りに聞けるような雰囲気ではなかった。

暑いが、張り詰めた空気が漂っていた。

こはるはとてつもない集中力で、ラジオに耳を傾けたが、
かなりの雑音と言葉の難しさで、
その内容をしっかり理解することはできなかった。

放送が終わっても、みんなは静かだった。
思い思いに天を仰いだり、ため息をついたり。

若い事務員仲間は、みな困ったような顔して首をかしげるばかり。

こはるは、たまらず初老の同僚にそっと尋ねた。
こはると同年代の男性たちは、皆、戦地へ赴き、
同僚と言えば初老の男性しかいなかった。

「今のは、どういうお話なんですか?」

「ああ、難しかったやろ? 日本はな、戦争に負けたんや。戦争が終わったんやで」

彼は静かに言った。

(え?負けたの?日本が?)
(え?終わったの?戦争が?)
(これから日本はどうなるんやろ?)
(もう空襲ないの?防空壕に逃げんでもええの?)

言い表わせぬ恐怖と、
寂しさに似た感情と、
少しの怒りと、少しの安堵と、

なんだかよくわからない感情が
こはるを包んだ。

今日、戦争が終わった。
とりあえず、それだけはわかった……。

…………………………

祖母は
近所のニチイ(現イオン)に行くたびに
小学生の私に、こう言ったものだ。

「源ちゃん、今、こないどっさり食べもの売ってるやろ?でもこれは当たり前やないんやで」

「戦争の時は、配給、言うねんな。学校で習ったで」

「よう、知ってるやんか」

そう言って、僕に笑かけると、少し遠い目をして続けた。

「ばあちゃん思うんやけど、こんな飽食の時代がいつまで続くんやろ? またどこかで戦争しでかす人が出るんちゃうやろか? 戦争って絶対したらアカンのやで。でもそれをわかってへん人が、またどこかで出てくるんやろか?」

……………………

78年前の今日のこと
もっともっと聞いておけばよかった。
もし祖母が生きていたら、
今の世界を、どう感じるだろう?

関西を直撃した台風の最中、
頭の中に広がった祖母の声と対話した…。

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