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深読み 米津玄師の『BOOTLEG』最終章『灰色と青』③


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『枕草子』も『LET IT BE』も『福音書』も、GET BACK(元に戻すこと)が目的だった。


イエス・キリストの物語『福音書』の「GET BACK」とは、アダムとイブの堕落によって人に科せられた原罪を取り除き、人が再び生まれ故郷の楽園(神の国)へ戻ること。

ビートルズのアルバム『LET IT BE』の「GET BACK」とは、バラバラになった4人を再び1つにして、ビートルズが誕生した頃のようなロックバンドの原点へ帰ること。


では、清少納言『枕草子』の「GET BACK」とは?


清少納言『枕草子』の「GET BACK」とは…

自分が仕えた中宮定子(一条天皇の后)の名誉を回復し、崩壊の危機にあった定子の実家 中関白家に再び栄華を取り戻すこと…


その通り。

清少納言が女官として仕えた中宮定子は、中関白家の棟梁 藤原道隆の娘。

道隆やその嫡男 伊周(これちか)らが政府の重職を占めて栄華を誇れたのは、すべて一条天皇の寵愛を一身に受けた定子のおかげだった。

だから道隆は、定子が天皇の寵愛を失わないよう、切れ者で知恵と教養に優れた清少納言を側近として仕えさせたのだな。


清少納言
(966頃 - 1025頃)


しかし中関白家の権力独占は、道隆の異母弟 道長の恨みを買い、ついには政治抗争へと発展してしまう…

そして道隆の死後、栄華を誇った中関白家はスキャンダルやトラブルが続き、定子の若すぎる死によって道長の娘彰子が一条天皇の后になると、一気に崩壊の危機を迎える…



父 道隆と兄 道頼の死後、叔父 道長との権力争いに敗れた伊周は大宰府へ配流され、隆家は出雲へ配流され、中関白家はバラバラになってしまった。

そして定子は罪人の兄たちを屋敷に匿ったという疑いをかけられ、動揺から出家騒ぎを起こしてしまい、皇后不適格者の烙印を押されてしまう。

定子に仕えていた清少納言も、道長に内通しているという噂を流され、自宅謹慎の身に。

そんな状況の中で清少納言は『枕草子』を書き始めた。

いかに定子が教養や機知にあふれ皇后にふさわしい人物であるかを示し、バラバラになってしまった中関白家を再び政治の舞台へ引き戻すために…


だから『枕草子』は、ただの随筆・エッセイ集ではない…

明らかに何らかの意図をもって書かれている…

それは『枕草子』という題名の由来にもなった、巻末の端書 跋文(ばつぶん)を見ればよくわかります…


この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどにかき集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ。


この草子は、わたしが目に見たこと、心に思ったことを、「どうせ誰も見ないんだし」と思いながら、暇を持て余していた時期に書きつづったものです。だから他の人が聞いたら失礼にあたるような内容もあり、わたしとしては表に出したくなかったのですが、思わぬ形で世間に知られてしまいました。


『枕草子』の所々に置かれた、皮肉たっぷりなジョークのことですね。

フィル・スペクターによってアルバム『LET IT BE』の所々に置かれたジョン・レノンのジョークのように。


そう。すべては計算されたもの。

『枕草子』の中の皮肉やジョークも、アルバム『LET IT BE』の中の皮肉やジョークも、すべて明確な意図があった。


そして跋文はこう続く。


 宮の御前に内の大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。上の御前には史記といふ書をなむ書かせ給へる」などのたまはせしを、「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて賜はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、尽きせず多かる紙を書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや。


かつて、一条天皇と中宮定子のもとへ定子の兄で内大臣の藤原伊周がやって来て、とても美しく上質な紙を献上したことがあった。

定子「帝は司馬遷の『史記』を書かせるというの。私は何を書いたらいいかしら?」

清少納言「枕がいいでしょう」

定子「なるほど。それならそなたに書いてもらいましょう」

こうして賜った膨大な紙に、あれも入れなきゃ、これも入れなきゃと一生懸命に書いたので、自分でも何だかよくわからない部分が多くなってしまいました。


書いた本人なのに「自分でもよくわからない部分がある」って、白々しいとしか思えません。

まるで映画『君たちはどう生きるか』完成試写後の宮崎駿のコメントみたいです。


隠された本当の意味は、わかる人にだけ伝わればいい…

それ以外の人は「よくわからないところもあったけど、おもしろかった」と思ってくれればいい…

そういうことだな。


ちなみに清少納言が「枕」と答えて中宮定子が「なるほど」と納得した部分には様々な解釈があります。

その中でも有力なのが、洒落・ジョーク説…


帝が言ったという「史記」と、和歌の枕詞「しきたへの」の「しき」を掛けたというもの…

「しきたへ」とは「敷布団」のことであり、その後には「床(とこ)」や「枕(まくら)」という言葉がくる…


そしてもう1つは「史記」と「四季」の駄洒落…

「四季」だから「春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」で始まる…


まあ、この「枕」が何か問題は、跋文の本質ではない。

重要なのは、『枕草子』を書こうと思ったキッカケも、出来あがって世に出るまでの経緯も、『枕草子』という題名になった理由も、すべてが嘘、作り話だということ。


跋文の後半部分で清少納言はこう言っています。



 おほかた、これは世の中にをかしきこと、人のめでたしなど思ふべき、なほ選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも言ひ出だしたらばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり」とそしられめ、ただ心一つにおのづから思ふことを戯れに書きつけたれば、ものに立ち交じり、人並み並みなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ見る人はし給ふなれば、いとあやしうぞあるや。げに、そもことわり、人のにくむをよしと言ひ、ほむるをも悪しと言ふ人は、心のほどこそおしはからるれ。ただ、人に見えけむぞねたき。


だいたい、世の中の人が喜びそうなことや評判になっているものの名前を話の中に取り入れたり、他の人も歌いそうな木・草・鳥・虫について歌っているので、人々に「思ったほど大したことはない。迎合心が見え見えだ」と悪口を言われても仕方ないでしょう。最初からただの自己満足で書いたものですし、他の人から芸術作品みたいに扱われることなんて考えてもいなかったのに、「恐れ入りました!」と言う人もいるから何だかこっちが恥ずかしくなる。まあ世の中には、変なものを妙に褒めたり、褒めるべきものを貶したりする人もいるから、そういうレベルの人なんだと割り切ってしまえばいい。わたしとしては、ただ、これが世の人に知られてしまったことが残念なのです。


世の中の人が喜びそうなことや評判になっているものの名前を話の中に取り入れた…

まるでビートルズの『DIG IT』のようです。



そして米津玄師のアルバム『BOOTLEG』のことのようでもある。


『飛燕』では『風の谷のナウシカ』、『Moonlight』では『ハンター・ハンター』、『fogbound(+池田エライザ)』では BUNP OF CHICKEN と『ワンピース』、そして『灰色と青』では『キッズ・リターン』…


米津玄師は漫画や映画の名前を、歌詞の中に直接入れたりインタビューで口にした。

人々は、その名前に食いつき、馬鹿みたいに喜んだ。

すべてが撒き餌、誘導するためのカモフラージュだとも知らずに…


そして清少納言は『枕草子』には何一つ目新しいことなど書かれていないと言う…

これまで様々な人たちに使い古されてきたベタなネタを寄せ集めただけに過ぎないと…


米津玄師も同じことを言っていたな。

過剰なオリジナル信仰は、芸術というものに反すると。


そもそもゼロから何かを生み出せるのは神だけです。

人の知恵も、言葉も、仕事も、そして遺伝子も、すべて既存のものを組み合わせて作られる。


そして跋文はこんなオチで締めくくられる。


 左中将まだ伊勢の守と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさし出でしものは、この草子載りて出でにけり。惑ひ取り入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞ本に。


左中将 源経房がまだ伊勢守と呼ばれていた時のこと、わたしが引きこもっていた田舎の里へやって来て、用事を済ませて帰り支度をしていた際に、なぜか左中将の荷物の中にこの本が紛れ込んでしまいました。気付いて取り戻そうとしましたが、時すでに遅し。そのまま都へ持って行かれ、ようやく返してもらえたのは、かなりの月日が経ってからでした。そうしてこの枕草子は人々に知られるようになったというわけです… と本に書いてありました。


誰にも見せないつもりだった秘密の日記帳が、たまたま来たお客さんの荷物の中に紛れ込んでしまい、都へ持って行かれ大勢の人に読まれてしまった…

こんな誰でも嘘とわかるような作り話でも真に受ける人がいたというから驚かされる(笑)


しかも自分で書いてることなのに、最後は「と本に書いてあった」とか、ふざけ過ぎでしょう。


まるでアルバム『LET IT BE』の最後の曲『GET BACK』の最後、ジョン・レノンのジョーク「このチャンスを与えてくれた皆さんに僕からお礼を申し上げます。オーディションに受かるといいな」みたいだな(笑)

どちらも後から付け足されたものであることもよく似ている。



それにしても清少納言という人物はしたたかだ。

明確な意図をもって書き、世に出したものなのに、あんな作り話をするなんて…


中関白家の権力の拠り所であった定子が崩御し、世は完全に道長のものになっていたからな。

定子が産んだ三人の遺児も、道長と彰子の管理下に置かれてしまった。

こんな状況で定子と中関白家の栄華を懐かしむ作品を大々的に発表したら、道長に何をされるかわからない。

だから「事故」を装って「流出」という体にしたのだろう。


定子の崩御といえば、興味深いエピソードがあります。

あまりのショックに清少納言が「これから中関白家はどうなるの!?もうこれ以上こんなものを書いてもしょうがない!」と絶望していると、夢に定子が出て来てこう言った。

「なるがままにしなさい」


この言葉に救われた清少納言は、再び筆を取り、『枕草子』を書き上げたという…

貶められた定子の名誉を回復し、中関白家が再び政治の舞台へ戻ってこれるように…


米津玄師にも、何か取り戻したいものがあったのでしょうか?

清少納言やポール・マッカートニーのように…


どうだろうな。

あったかもしれんし、なかったかもしれん。


何でも知っているあなたでも、わからないことがあるんですね。


ふふふ。それでは『灰色と青(+菅田将暉)』の歌詞を見て行こうか…

いったい米津玄師は何を伝えようとしているのか…



つづく




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