日の名残り第36話

「葛藤」~カズオ・イシグロ『日の名残り』徹底解剖・第36話



~~~ 三日目・午前 長崎 ~~~


さあ、壁に書かれた文字「BEMN」の謎は解けたかな?

なぜエスターは「あの四文字」を見て、もう一度ステージに立つ決心をしたのだろうか?

「BEMN」」がノーマンからエスターへのメッセージやと?

どうゆうこっちゃ?

ビるな…スター…

いちど…ッコリ…

おい、カヅオ…

お前ホンマに諜報員か?

ふざけるのもたいがいにせえ!こいつめ!

痛てててて…

頼むから耳をつねるのだけはやめてくれよ…

お前らのアホさ加減はマジげなパネェ。

全く何やってんだか…

前回をまだ未読の方はコチラをどうぞ…


ついでに久しぶりに俺たちの自己紹介もしておくか。

もうすぐ最終幕だしな。

じゃあそろそろタネ明かしをしよう。

お願いしま~す!

あの4文字「BEMN」とは…

(;゚д゚)ゴクリ…

「人々を導く星となれ」

という意味だったんだ。

え?

ジュディ演じるエスターは、あの4文字のメッセージを理解して初めて「スタア」になったんだよ。

あの4文字は、言わば「預言」なんだ。

あの「預言」が成就されて、ようやく『A Star Is Born(スタア誕生)』の物語が完成するというわけなんだね。

ハァ!?

どゆこと!?

もっと詳しく教えて!

「BE」は簡単だよね。

「be ~」つまり「~となれ」という意味だ。

なるほどね…

でも何で「MN」が「星」になるんだ?

しかも「人々を導く星」なんでしょ?

「MN」って「北極星」のことなんだ。

北極星!?

古今東西、人類は「北極星」を、正しき道へと導いてくれる「天の中心点」として崇めてきた。

特に航海やキャラバンなど、過酷な長旅をする人たちにとって「北極星」は、自分の命を守ってくれる、何よりも大切な存在だったんだよね。

もちろん「伝道師」にとっても…

それは知っている…

だがなぜ「MN」が「北極星」になるんだ?

ミネソタ州だよ。

ミネソタ?

当時の一般的なアメリカ人が「ジュディ・ガーランドがMNの二文字を指でなぞる」シーンを見たら、ほぼ誰もが「ミネソタ州」をイメージするんだよ…

なんでやねん?

ジュディ・ガーランドは「ミネソタ州」の出身だし、ミネソタ州って「MN」と表記されるからね。

アメリカの地図や住所は、州名をアルファベット二文字で表すんだ。

ニューヨークなら「NY」、カリフォルニアなら「CA」、テキサスなら「TX」、フロリダなら「FL」って感じで。

いちいち長いスペルを全部書いていたら面倒だし、アメリカってフランス語やインディアン由来の地名も多いから、アメリカ人でも州名を全部正しく書ける人って少ないんだ。

確かにアメリカの住所って「番地・通り、市、○○、郵便番号」ってなってるよね…

○○のところにアルファベット二文字の州名が入るんだ…

それはわかった。

せやけど、なんで「北極星」で「ミネソタ州」やねん。

「ミネソタ州」の愛称は「North Star State(北極星の州)」なんだよ。

そして州のモットーが、そのものズバリ「L'étoile du Nord(北極星)」なんだ。

ミネソタ州の州旗を見てごらん。ちゃんと書いてあるでしょ?

よく見えませ~ん!

じゃあ真ん中にある州章を…

槍を持ったインディアンが畑に侵入してきてる…

切り株に立てかけてある銃をどう解釈するかやな…

今の論点はそこじゃない。

「L'ETOILE DU NORD」って書いてあるでしょ?

フランス語で「北極星」という意味なんだ。

欧米の州や都市って「愛称」とか「モットー」があるんだよね。

郷土愛や自治意識が高いから、そういうものを大切にするんだよ。

「うどん県」とか「みかん県」みたいな感じ?

そういう「とってつけた」みたいなやつじゃない。

もっと由来が歴史に根差してて、意味にも重みがあるやつだ。

住民は愛称やモットーにとっても愛着を持っているから、それらが書かれたナンバープレートを車に付けてたりするんだ。

ああ、それ見たことある!

日本でもアメリカ~ンな店に飾ってあるよね!

日本の「県」というのは、文化の違う「藩」を無理矢理くっつけたものだから、残念ながら県単位での「文化」は醸造されにくい。

かつての「藩」には、それぞれ特色があったよね。いわゆる「藩訓」なんて、実にキャラが立ってて面白い。

「常在戦場」とか「ならぬことはならぬものです」とかみたいな…

そんなのがナンバープレートに書いてあったら怖いんですけど…

しかしなんで「ミネソタ州」が「北極星」やねん?

しかも、モットーにフランス語なんか使いおってからに。

シャレオツか?

モットーがフランス語なのは、最初にあのエリアにやって来たのが、五大湖周辺で毛皮を獲っていたフランス人だからだよ。

そしてアメリカの州になった時にも、そのままフランス語のモットーが採用された。

「北極星」を州のシンボルにしたのは、1959年にアラスカ州が出来るまでは「ミネソタ州」がアメリカ最北の地だったからなんだ。

ちょっと待てよ…

「アメリカ最北の地」っていうけど、アメリカとカナダとの国境線は「北緯49度線」だから「最北」も何もないだろう。

そんなことはないんです。よく見てください…

ああ!

何か小っちゃいのが北に突き出てる!

実はミネソタ州にだけ、北緯49度線を超えた「飛び地」が存在するんだよ…

アメリカ・カナダ国境の湖「ウッズ湖」のカナダ側にある土地…

通称「ノースウエスト・アングル」…

飛び地!?

この「飛び地」があるんで、ミネソタ州は「アメリカ本土最北の地」と呼ばれているんだ。

しかし、なぜあんな「飛び地」が?

国境が定められた19世紀初頭、ミネソタにはほとんど人が住んでいなかったんだ。インディアンはいたけど、定住している白人は少なかったんだね。

ミネソタ州は日本の本州とほぼ同じくらいの面積なんだけど、当時は人口が数百人くらいしかいなかったそうだ。

特に北部なんて誰も住んでなかったもんだから、線決めも適当だったんだね。国境条約が締結されたあとに、よくよく調べてみたら「ウッズ湖の位置」を間違っていることに気づいたんだ。

だけどなぜかそのままにされて、それが今に至る。

そういうわけか…

そして、ウッズ湖の北に「浮かんで見える」飛び地を「アメリカの北極星」に見立てたわけだな…

北緯49度線が「水平線」だな。

ちなみに、この「飛び地」を舞台にした小説『In the Lake of the Woods』(邦題『失踪』)が1994年にヒットして、当時かなり話題にもなった。

書いたのはミネソタ出身のティム・オブライエンという作家だね。

どっかで聞いたことあるな。

村上春樹が推してる作家だ。

『本当の戦争の話をしよう』
ティム・オブライエン (著),‎村上 春樹 (翻訳)

そして、アメリカ人にとって「北極星」とは非常に重要な意味をもっている…

遠い欧州の地から、迫害を逃れ、新天地を求めて海を渡った人々にとって、「北極星」とは希望の星でもあったんだ…

だからNYの自由の女神は、こんな冠を被っている…

あれって北極星だったの?

7つのトゲトゲが「7つの海」を象徴してるって聞いたことあるけど…

その通りだよ。

あの王冠には「安全な航海」を祈願する意味が込められている。「自由の女神」って「灯台」でもあるからね。

そもそも「自由の女神」って、二人の女性モデルがいるんだ。

ひとりはドラクロワの絵で有名な『民衆を率いる自由の女神』だね。

Eugène Delacroix『La liberté guidant le peuple』

そしてもうひとりが「海・航海の守護者」であるこの女性。

彼女のトゲトゲの冠が「自由の女神」の冠になった。

Stella Maris

ステラ・マリス?

誰や?

イエスの母マリアだよ。

「マリア」というのはラテン語の呼び方であって、そもそもヘブライ語では「ミリアム」っていうんだ。モーセのお姉さんと同じ名前だね。

ちなみにヘブライ語での「ミリアム」とは「海のしずく」って意味だ。

でもそれをラテン語に翻訳する時に、誰かが「ミリアム=海の星(Stella Maris)」と間違って紹介してしまった。

そしてラテン語で「海の星」というのは「北極星」のことだった。

だから「マリア=北極星」となってしまったんだ。

誤訳がそのまま定着しちゃったのか!

そうらしいんだ。

でも「天球の中心」である「北極星」は、多くの人々、特に「旅する人々」にとって崇拝対象だったので、マリアにぴったりだったんだよね。僻地へ赴きキリスト教を伝道する神父の「守護者」としても最適だ。

そうして「マリア=北極星」は、すべての「旅する者」の母となった。

「MN」から「ミネソタ」となり、そこから「北極星・聖母」に辿り着くわけか…

「BEMN」が「人々を導く星となれ」という意味になることを、これでわかってもらえたかな…

ちなみに、現在ミネソタ州に住む人々の三分の一は「スカンジナビア系」だ。昔はもっと割合が多かっただろう。

そして、もう三分の一はドイツ系。

ミネソタ州は、北欧バルト海沿岸からやって来た移民たちによって作られた州だと言ってもいい。

ミネソタの英雄ボブ・ディランの母方の祖父母もリトアニアからの移民だったな。

しかしよく「MN」が「ミネソタ」だって気付いたよね。

ホントだよな。

だって他にも「州ネタ」が出てくるからね。

『Born in a Trunk』の歌詞に出てくる「アイダホ」は、インディアンの言葉で「太陽(神)が山頂から降りてくる」って意味だったし…

あと、ノーマンの芸名「Norman Maine」の「メイン」とか…

ノーマンの苗字も!?

メイン州の州コードは「МE」だ。

そしてメイン州のモットーは「Dirigo」

ラテン語で「我は導く」という意味だね。

偉そうやな。

「ME」と「我は導く」というキーワードから、自分勝手な「俺様主義」のノーマンが作られたんじゃないかな。

ミーイズムか…

ノーマンは落ち目になって、はじめて周りの人たちが自分をどう考えていたのかを知る。

これまで「俺様」が通用したのは、単純に「売れてい」からだった。皆が渋々ノーマンの傍若無人さを我慢していたんだ。だけど、仕事を失ったノーマンの言うことなんか誰も聞かない。

「これ以上お前のために犠牲になるのは真っ平だ」って、スタジオ関係者から面と向かって言われてしまったんだね。

ノーマンは大ショックを受けた。

「旧約の神」が「新約」の時代になり「仕事」を失ってしまったことに重ねられているわけだな。

そしてかつて泥酔して書いた落書きが、偶然「預言」となってしまう。

ノーマンは最初にエスターの前に現れた時に、自分とエスターのイニシャルを「大きなハート」で囲んだ。

これには「ノーマンとエスターがひとつのチーム」つまり「父と子」が「同一体」であることが暗示されていた。

しかしエスターは予想外の成長を見せ、一瞬にしてノーマンの人気を抜き去ってしまう。

そして『IT'S A NEW WORLD』が世界各地で大ヒット。

この歌は「世界が旧約から新約のフェーズに移ったこと」を歌ったものだった。

これでノーマンは自分の役目が終わったことを悟る。そして入水自殺…

ノーマンの死後、エスターは久しぶりに「壁の落書き」を見た。

かつてノーマンが泥酔して書いた4文字「BEMN」に、エスターは「啓示」を受ける。

「人々を導く星となれ」

そしてエスターは、再びステージに立つことを決意し、大観衆の前に現れる…

ノーマンは「二人で一人」という意味で書いたのに、「お前が主役だ」とか「あとは任せた」みたいな意味に変わってもうたわけか…

切ないな。

大観衆の前でエスターは、こう自分を紹介する…

Hello, everybody.
This is Mrs. Norman Maine.

「こんにちは皆さん。私は、ミセス・ノーマン・メインです」

ここで「イエスの物語」が完結し、映画もこのセリフを最後にして『IT'S A NEW WORLD』でエンディングとなる…

実に完璧な脚本だよね。

なんでこれが完璧なの?

映画の中で、ジュディ・ガーランド演じる女優の名前は「三段階」で変わってゆく。

最初は売れない女優「エスター・ブロジェット」

次は人気女優「ヴィッキー・レスター」

そして最後は「ミセス・ノーマン・メイン」

名前にはそれぞれ「星」が入っている。

「エスター」「レスター」そして最後が「人々を導く星、北極星

この三段階進化を経て、ようやく「スタア誕生」となるわけだ。

だから最後のセリフの最後の単語が「Maine」なんだな。

あれが「オチ」ってわけだ。

ひゃ~!なるほど!

しかし、なぜこんな仕掛けを施したんだ?

制作陣には何か意図があったんだろうか…

ちなみにどんな人たちが、この映画を作ったの?

この映画はね…


おっと!

トンネルを抜けたぞ!

雨?

長崎っちゅうたら、今日も雨だったと相場は決まっとる…

『長崎は今日も雨だった』
(映画『フィッシュストーリー』より)

でも通り雨っぽいな。

西側の空は晴れてるし…

虹のフラグだ。実に安直だな。

じゃあ、続きは港で…

受付してから出航まで時間がたっぷりあるからね…



~~~ 三日目・昼前 長崎港 ~~~



わお!レストランがあるよ!

『南蛮亭』?

ベタやな。

入ろうぜ。

出航まで、まだ2時間以上ある。

さっきの続きも、ゆっくり聞けるしな。

じゃあ、ちょっと早いけどお昼ご飯でも食べながら、話をするとしましょうか…




おでんも美味しそうだなあ…

だけど「まくら」って何だろう?

おでんの中に「枕」が入ってるの?

ワイは「五色うどん」や!

これも虹のフラグか?

何言うとんねんボケ!

虹は七色や!

ボケはお前だ。

日本でもヨーロッパでも、昔は「五色」とされていたんだ。

しかしユニテリアン神学者でもあったニュートンが「七色」と主張した。「7」は「聖なる数」だからな。

ユニテリアン?

「神は唯一の存在であり、イエスは神ではない」と考えた人々だ。

「三位一体」や「処女懐胎」を真っ向から否定したんで、当時は異端視されていた。

ニュートンが『スタア誕生』を観とったら、激怒してたかもしれんな…

「なんでノーマンがエスターのために自殺せなあかんのや!しかも入水自殺?あてつけか!」って…

ニュートンってリンゴだけじゃなかったんだね…

ところで、そもそもどんな人たちが『スタア誕生』を作ったのさ?

まず1937年にオリジナル版『スタア誕生』が作られた。

『A STAR IS BORN』1937

エスター、歌わんのか?

こっちのエスターは歌わない。ジュディ版と違い、田舎で女優になることを漠然と夢見てた「ただの素人娘」だったからね。

オリジナル『スタア誕生』は、特に才能もない「普通の娘」が、ノーマンの手によって大スターになる「シンデレラストーリー」なんだよ。

ただ、映画の「基本ストーリー」はジュディ版と一緒だ。

ノーマンが入水自殺するのも一緒だし、エスターの名前が「三段階進化」するのも一緒。もちろん最後のセリフも一緒だ。

ノーマンを「旧約の神」に、そしてエスターを「イエス」に見立てるプロットは、オリジナル版からのものなんだね。

そしてこのオリジナル版は、アカデミー賞7部門(作品賞・監督賞・主演女優賞・主演男優賞・ストーリー賞・脚色賞・助監督賞)でノミネートされ、結果としてストーリー賞を受賞した。

無冠に終わったジュディ版とは違って、受賞したんだ!

しかもストーリーが評価されたんだね!

物語を書いたのは誰なの?

『スタア誕生』の創作者は、ウィリアム・A・ウェルマンという人物だ。ウェルマンは原案のみならず監督もしている。

William A. Wellman(1896-1975)

彼はサイレント時代からの映画監督でね、記念すべき第1回アカデミー賞の作品賞は、彼の監督作『WINGS』(邦題:つばさ)なんだ。

すごい!

そしてダンディー!

カッコいいとは、こういうことさ。

ウェルマンは異色の経歴の持ち主だ。

飛行機が好きだったウェルマンは、第一次世界大戦が始まるとフランスへ渡り、有志アメリカ人で結成された外人部隊に所属し、エースパイロットとしてドイツ空軍と戦った。

怪我で帰国した後は、サンディエゴの米軍基地で教官としてパイロット養成に携わる。そして週末は映画撮影の監修でハリウッドへ飛んだ。そしてそのルックスを買われ、俳優としてスカウトされる。

オリジナル『キングコング』の監督メリアン・C・クーパーみたいや。

クーパーのほうは大戦後もヨーロッパに残り、ポーランド空軍に参加してソ連と戦った。ヒトラーはクーパーの映画の隠れファンやったそうやな。

Merian Caldwell Cooper (1893–1973)

さて、ハリウッドで俳優になったウェルマンだったが、カメラの前で演技することに馴染めず、監督に転身。エースパイロットだった経験を活かし、数々の飛行機映画を作り始める。

そして『WINGS』で第1回アカデミー賞の作品賞を受賞した。

この映画の大迫力の空中戦シーンは、当時の人々の度肝を抜いたらしい。そして後世、多くの映画人に影響を与えることになる。

サイレント映画なので、BGM付きでどうぞ…

『WINGS』(1927)

デンジャゾ~ン!

違和感ないな。

それぐらい臨場感ある映像や…

CGも無い時代に、よくここまで作れたよね。

かつての戦友たちがパイロットとして参加してくれたから、実戦さながらの空中戦が可能になった。

実際、死傷者もずいぶん出たらしいけど…

なんだか宮崎駿の『紅の豚』を彷彿させる…

ウェルマンってポルコに似てね?

似てるかも。

注目して欲しいのは、動画の最後のシーン。

女性と子供が、墓地の御堂のイエス像の前で祈っていると、そこに空中戦をしながら戦闘機が突っ込んでくる…

けっこうな衝撃シーンやな…

そして引きのアングルになり、あたり一面の墓標が映る…

ウェルマンは実際に戦争で多くの敵兵を殺した。エースパイロットだったからね。

だから彼の作品には「神の存在を問う描写」が現れるんだ。「もし神がいるのなら、なぜ人の愚かさを放っておくのか?」って感じでね。

『スタア誕生』も彼の中の「葛藤」が投影されている。

彼にとって「戦争での葛藤」と「映画での葛藤」は、似たようなものだった。戦争は「平和」を勝ち取るために行う。そしてそのためには「人殺し」をしなければならない。

そして映画は「利益」が出なければいけない。映画というものは、芸術である以前に興行だからね。だから監督という仕事を続けていくためには「妥協」もしなければならない。そうしないと、本当にやりたい作品を撮るチャンスを得られないから。

1930年代、ドイツでヒトラーが政権を取り、スペインでは激しい内戦が起こった。ハリウッドは勧善懲悪の愛国メロドラマを量産し出す。

こうゆうやっちゃな。

でもウェルマンは、戦争の「本当の姿」を見てきた男だ。決して美談なんかじゃ済まされない世界をね。当然そんな「嘘」の映画なんか撮りたくない。『WINGS』でも、飛行機を「これでもか」ってくらいに惨めな姿でバンバン墜落させていたからね。

でも職業人としてはスタジオの指示に従わなければならない。悩んだウェルマンは「スタジオの望む映画を2本撮ったら、こちらの好きな作品を1本撮らせてもらう」という条件で自分を納得させていたそうだ。

映画監督というのも楽じゃないんだなあ…

『スタア誕生』のノーマンは、ウェルマン自身なんだよ、きっと…

ウェルマンは理想が高く、完璧主義者だった。戦場という究極の世界を生き抜いた男だ。だからスタジオや俳優と激しくぶつかった。若い頃は口だけではなく「手」も出たそうだ。

でも、それではやっていけない。不本意だけど自分を曲げなければいけない時もある。きっとそんな時に『スタア誕生』のシナリオを書いたんだろう。

心の奥底で妥協に納得していない自分をノーマンに重ねて、海の中へと消えさせたんだろうね。

ウェルマンさんの中の『The Man In Me』ってわけか…

どうでもいい国威発揚映画や低俗コメディを撮りながら、ウェルマンは本当に撮りたい作品もきっちり残した。

その代表作が1943年にヘンリー・フォンダ主演で撮った『The Ox-Bow Incident』(邦題:牛泥棒)だね。

牛泥棒?

「冤罪事件」のドラマだ。

ある時、ネバダの小さな田舎町に、ヘンリー・フォンダ演じる流れ者の主人公がやって来る。そして同じタイミングで町に知らせが入る。

「何者かに牧場主が殺されて、牛が盗まれた!」

大事件の知らせに熱くなった町の人たちは自警団を結成し、犯人探しを始める。流れ者の主人公も参加せざるを得ない状況に巻き込まれてしまう。断ったら自分が疑われてしまうからね。

そして三人のカウボーイが容疑者として捕縛される。多くの牛を引き連れていた彼らは、なぜか牛の登録書を持っていなかった。自警団は彼らが犯人だと決めつけ、面倒な裁判なんかせずに、この場で死刑にすべきだと騒ぎ出す。

主人公の他にも数人が「保安官の到着を待って裁判を行うべきだ」と主張したが、結局「即、死刑」派が数で圧倒する。こうして三人は自警団によって絞首刑にされた。

自警団は町に帰り、酒場で「うちあげ」を始める。そこに保安官がやって来て「あれは誤報だった。牧場主は生きてるし、牛も盗まれていない」と告げる…

げげぇ!

町の人たちは、なんとか自分を正当化しようとする。「あれは仕方のないことだった」と。自分が「人を殺した」という事実から目をそらそうとするんだ。

そして主人公は、三人の中のリーダー格の男から遺書として預かっていた手紙を読み始める。

ヘンリー・フォンダが「自身のキャリアでも最高のシーンのひとつ」と語った名シーンだよ。のちにフォンダが名作『十二人の怒れる男』を自らプロデュースしたのも、この映画がきっかけなんだ。

なんか凄いカッコいいシーン…

男からの手紙はどんな内容だったの?

まず「その男」は、処刑に反対してくれた人に感謝の意を述べていた。

そして「処刑を訴えた自警団メンバー」のことも「本当は彼らもいい人たちなんだ」と言い、「彼らに申し訳ないことをした」と述べる。

え!?

どういうことだ?

「その男」は自分の手落ちを認めているんだ。本来所持していなければならない書類を持っていなかったからね。そのせいでこんなことになったことを詫びているんだね。

そして、こんなふうに述べる。

「処刑される自分の苦しみは《一瞬》のことだけど、町の人たちは《一生》この記憶を背負うことになってしまう。それが申し訳ない…」

とね。

ええ!?

そして処刑を求めた人たちを責めてはいけないと語る。

「彼らは自分たちが何をしているのかわからないまま、やってしまったのだから」

とね…

これって、もしや…

ルカ福音書23章34節
「父よ、彼らをお赦し下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないのです」

イエスが磔の際に語った7つの言葉の最初のものだな。

あの三人って、この三人だったんだ!

この映画のタイトル『The Ox-Bow Incident』の中の「ox」とは「去勢され従順になった牛」のことだ。

怒りをコントロールできない自警団メンバーを「旧約の民」に見立て、自身の良心を信じて私的制裁を拒んだ少数の人たちを「新約の民」に見立てているんだね。

『牛泥棒』じゃ何のことかわからんな…

もしかしたら意図的にわけのわからない邦題を付けた可能性もあるね。

意図的に?

この映画、実はアメリカ公開時にもちょっと問題になり、興行的にも失敗した。

当時は第二次世界大戦の真っ只中。アメリカ社会は「自分たちこそ正義だ!」と盛り上がっていた。そんな時に「ちょっと待てよ。俺たちのやっていることは、本当に全て正しいことなのか?」なんてことを言う奴は「KY扱い」だからね。

ああ…

この映画がアメリカで大ヒットしてたら、広島にも長崎にも原爆は落とされなかったかもしれない…

そうだね。

さて終戦後、日本ではそれまで禁止されていたハリウッド映画が解禁され、戦時中の映画もどんどん公開された。

特に西部劇は大人気だった。だけどこの映画はなかなか公開されなかったんだ。しかも公開されたと思ったら『牛泥棒』なんてタイトルが付けられる始末。

噂によると、アメリカ側がこの映画をあまり日本人に見せたくなかったんだそうだ。極東軍事裁判もあったしね。

確かに「俺たち正義と民主主義のアメリカ人!」ってイメージとは正反対だからな…

ウェルマンは映画で「単純な正義」を描くことを避けた。自分が本当にやりたい作品ではね。だけどそれを貫くには、不本意な作品も撮らなければならない。その葛藤が『スタア誕生』を産んだんだ。

余計なことを考えずに映画を作りたい…

でもそれでは食っていけない…

彼の中のその「二面性」が、ノーマンとエスターというキャラクターに投影されているんだ。

そう考えると、予告編動画のあのシーンも意味深や…

葬儀に出席したエスターのヴェールを熱狂したファンが奪い、エスターが尋常ならざる叫び声をあげる…

意味深だよね…

あのシーンだけじゃなく、すべて意味深なんだけどね『スタア誕生』は。

そんな意味深映画に食指を伸ばしたのが、シドニー・ラフトとその妻ジュディ・ガーランド。シドニーがプロデューサーとなり、ジュディ主演でリメイクしようと考えたんだ。

Michael Sidney Luft (1915–2005)

シドニー・ラフトは、元軍人で退役後はボクサーをやっていた。やがてハリウッドスターのボディーガード兼秘書をするようになる。そしてジュディ・ガーランドと出会い、1952年に結婚した。

1950年前後のジュディは完全に落ち目で、かつてのスタアの輝きを失ってしまっていた。そこで二人は、世間に「復活」を印象付けるような映画を作ろうと考える。

そして白羽の矢を立てたのが『スタア誕生』だったというわけだ。

そういえば、ノーマンの本名は「Ernest Sidney Gubbins」やったな…

シドニーとジュディは『オズの魔法使い』で自分をスターにしてくれた恩人ジョージ・キューカーに監督を依頼する。

George Dewey Cukor(1899–1983)

ちょい待てェ。

『オズの魔法使い』の監督はヴィクター・フレミングやろ。

途中で交代したんだよね。

撮影中にジョージ・キューカーは『風と共に去りぬ』の監督として引き抜かれた。そのあとをヴィクター・フレミングが引き継いだんだよ。

ちなみに『風と共に去りぬ』でもキューカーは、演出を巡ってトラブルとなり途中降板し、そのあとをまたフレミングが引き継いだ。

結果として『オズの魔法使い』と『風と共に去りぬ』という映画史に残る大傑作は、両方ともヴィクター・フレミングの作品ということになった。

そうだったのか…

キューカーは、オズ降板後もジュディに演技指導を続けていたそうだ。

映画版ドロシーの「キャラ」を作り上げたのもキューカーなんだ。彼は原作通りのドロシーでは「映画映え」しないと判断し、「色」を変え、「性格」を少し変えた。それが功を奏し、映画の大ヒットにつながったわけだ。

だからジュディは、キューカーに絶大な信頼を寄せていた…

キューカーは「女優を撮らせたら右に出る者はいない」と業界内でも一目置かれていた。

女を美しく撮るプロフェッショナルだったのだ。

最初はリメイクに難色を示していたキューカーだったが、シドニー・ラフトとジュディの抱く「構想」に興味を持ち、これを引き受けた。

そしてブロードウェイの超売れっ子モス・ハートが脚本家としてチームに加わる。

Moss Hart (1904–1961)

彼は『紳士協定』や『マイ・フェア・レディ』の脚本家として有名だよね。

薬師丸ひろ子の?

なんてね。

こっちは「同盟」や。「協定」とちゃうで。

なんてね。

どこが違うのさ。

なんてね。

そりゃ「同盟」と「協定」の違いっちゅうたらな…

もう頭の天辺から足の先まで全然別モンや…

わかるやろ?字ィも全然違うしな…

知らないくせに知ったかぶりするな。

同盟とは「目的を達成するために同一の行動をとることを約束すること」

そして協定とは「特定の問題に関して同じような行動をする約束をすること」

つまり同盟は「どう行動するか」を明確に定めるんだな。

いっぽう協定は「行動は明示的ではなく、個々に任せる」感じだ。

なんてね。

なるほどね。

協定のほうは、ちょっと秘密っぽい部分もある。

話を戻すよ。

ミュージカルとなった1954年版『スタア誕生』には、ハロルド・アーレンとアイラ・ガーシュウィンという大御所が迎えられた。

ハロルド・アーレンは「チーム・ジュディ」の一員で、『虹の彼方に』の作曲家でもあったよね。

Harold Arlen(1905-1986)

アイラ・ガーシュウィンは言わずと知れた「ガーシュウィン兄弟」の兄のほう。アメリカの音楽史にとてつもない功績を記した偉大な作詞家だ。

Ira Gershwin (1896–1983)

なんちゅう豪華メンバー…

マジげなパネェよな。

さて、この「製作・監督・脚本・作曲・作詞」の5人からなる1954年版『スタア誕生』チームには「ある共通点」があった。

何だかわかるかな?

5人の共通点?

もしや…

執事スティーブンスやボブ・ディランと同じ…

その通り。

彼らは皆ユダヤ人なんだよ。

しかも19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカに大量移民してきたユダヤ人の2世たちなんだ。

あの当時アメリカでは、急増したユダヤ人に対し「アレルギー反応」が起き、「反ユダヤ主義」が広まったことを前に紹介したよね。ユダヤ人は大都市に固まって住んでいたため、ニューヨークなどではユダヤ人差別が深刻だったんだ。

だから多くのユダヤ人が、名前を捨て、改宗した。

だけどユダヤ人への差別感情は根強く、彼らは就職先も限られ、生活面で様々な苦労を強いられる。

そんなアメリカ社会の「ユダヤ人差別」を描いたのが、モス・ハート脚本の『紳士協定』だったわけだ。

そうゆう映画だったの?

ひろ子おねいさんの映画とは題名似てるけど全然違う…

『紳士協定』は、いわくつきの映画だ。

「ユダヤ人」だという理由でゴルフ場の会員になれなかった映画プロデューサーのダリル・F・ザナックは、アメリカ社会の見えない「ユダヤ人差別」に抗議するため、小説『紳士協定』を映画化することに決めた。だけどハリウッドの重鎮は、映画化をやめるように助言した。知っての通りMGMやワーナーなどメジャースタジオはユダヤ人たちによって作られた。ハリウッドで力をもつユダヤ人たちは「あえて波風を立てる必要はない」と考えたんだ。

だけどザナックは映画化を強行する。「そうやってタブーにするから、人々は間違った噂を信じ、ユダヤ人に偏見を抱き続けるんだ!」と訴えてね。きちんと社会の現実を描き、それに対し自分たちがどう思っているかを伝えるべきだと考えた。

ザナックは同じユダヤ人のモス・ハートに脚本を書かせ、トルコ生まれのギリシャ人移民だったエリア・カザンを監督に起用。そして映画は大成功し、アカデミー賞では作品賞・監督賞・助演女優賞を獲得した。

どんなお話しなの?

「反ユダヤ主義」の記事を書くために偽名を使ってユダヤ人になりすました主人公が、初めて目の当たりにする「社会のユダヤ人差別」を描いた物語だ。

それまで親切だった彼の周囲の人々が、ユダヤ人だと知った後は豹変するんだよね。まるで示し合わせたような「冷たい態度」をとるんだ。

それを皮肉を込めて「紳士協定」と呼んだんだね。「自由と平等の国」を標榜するアメリカ社会に蔓延してる「ユダヤ人差別協定」だ。

なるほど。

確かに「同盟」ではないな。

知らないところで示し合わせてるような感じだから「協定」なんだ…

薬師丸ひろ子の『紳士同盟』の歌詞も、元ネタである『紳士協定』を意識したものになっている。作詞は阿木煬子だ。

「神様の投げた輪が二人の額にゴツンとぶつかったみたい」

ここは「同じ神」を戴くユダヤ人とキリスト教徒のことにも聞こえる。

「他の人に感じないと約束するわ」

ここは、異教の神を認めないという「唯一神」信仰の姿勢だな。

「生まれてから一度だって嘘をついたことのない私が言うの」

この歌詞はナイスだな。「偽装ユダヤ人」になった主人公と、ユダヤ人であることを隠しながら生きていた当時のアメリカ在住ユダヤ人への皮肉になっている。

いちおう元ネタをリスペクトしてたんやな…

ユダヤ人って、アメリカでもいろいろ大変だったんだね…

奴隷から解放されたのに差別され続けた黒人みたいだ。

そうなんだよ。

だからユダヤ人と黒人は共感しあう関係になり、混血していった。

1920年代にニューヨークの黒人街ハーレムで花開いた「ハーレム・ルネサンス」で活躍した芸術家やミュージシャンには、ユダヤ人と黒人を両親にもつ人も多かったんだよ。

そういや『glee』の主人公レイチェルの「両親」も「ユダヤ人と黒人」のカップルやったな。「両親」の精子をミックスして、代理母に産んでもらったんや。

「ユダヤ人と黒人のゲイカップル」というのは、ショービジネス界「あるある」なんだよね。レイチェルというキャラクターは、まさにブロードウェイの申し子みたいな存在だったわけだ。

ちなみに1954年版『スタア誕生』の監督ジョージ・キューカーは、ハリウッドのユダヤ人コミュニティだけでなく「ゲイ・コミュニティ」の中心人物でもあった。

彼の豪邸には、夜な夜なハリウッドのLGBT著名人が集まり、パーティーをしたり語り合ったりして日頃のストレスを発散していた。まだ堂々とカミングアウト出来る時代じゃなかったからね。世間体のために偽装結婚をしている有名人も多かったんだ。

そうだったのか…

そういうわけで1954年版『スタア誕生』には、1937年版の主題「時代の変化と葛藤」の他にも、様々な要素が込められることになった。

「旧約の世界」から「新約の世界」への壮大な物語、そして同性愛者やユダヤ人など差別される少数者の問題。

ジュディを含め、チームは巧みにセリフや歌の中にメッセージを忍ばせた。

だからジュディは50年代以降、ゲイ・コミュニティの中で「ゲイ・アイコン」になったんだ。映画の中に「わかる人だけのサイン」がたくさんあったからね。

なるほどね…

ところで、ボブ・ディランがジュディ・ガーランドや『スタア誕生』に影響を受けたのはわかるんだけど、なんでカズオ・イシグロまでが影響を受けちゃって「改宗ユダヤ人問題」を描いた『日の名残り』を書いたんだろう?

カズオ・イシグロはユダヤ人でも何でもないでしょ?

やっぱり「疎外感」じゃないかな。

祖国である日本を遠く離れて、イギリス社会の中で「絶対的少数者」として生きなければならなくなり、自身のルーツ問題と向き合わざるを得なかったんだと思うよ。

ケルアックは「WASP社会」のアメリカの中で「フランス語で育てられたカトリック教徒」というマイノリティだった。

ディランはユダヤ人というマイノリティ。

そしてカズオ・イシグロは「英国社会の中の日本人」というだけでなく、「日本国籍を離脱した男性」というマイノリティでもあった。日本国籍を離脱する「女性」は結構いるけど「男性」は少ないからね。

1983年に28歳でイギリスに帰化するまで日本国籍でいたのも、彼の中で様々な思いがあったからに違いない。

人間っちゅうのは面倒な生きもんやな。

お前も少しは「人間社会に混入したツル」として疎外感を覚えたらどうだ?

余計なお世話や。

「改宗ユダヤ人」スティーブンスとは、「改宗日本人」であるイシグロ自身が投影されたキャラクターということなのか…

では『日の名残り』での旅の目的地「コーンウォール」は、「エルサレム」でもあると同時に、彼の故郷「長崎」のことでもあったんじゃないのか?

同じように「西に突き出た半島」だし…

そうなんですよ…

実は…

おっと。そろそろ乗船の時間だ。

乗り遅れるぞ。

やっほ~!

五島列島への船旅だ~い!

では、続きは船の上で…



――つづく――



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