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「2091年」、あるいは2019年

2091年の世界。価値観になりたい。

 権力は世界を豊かにしない、というのが狼だぬきの基本的な姿勢である。ピケティだって言ってた。r>gだから、格差は拡大し続ける。rもgもなんなのかはわからないけれど、偉い経済学者が言うんだから、おそらくそうなんだろう。つまり人間は、時間の累積が無機質に不公平を増やし続けるシステムに生きている。「持たざるもの」の子孫は不幸になる運命なのだ。緩やかに、それでいて複利的に。統計的な証明。統計は、あんまり嘘はつかない。嘘をつくのは物書きの役割だ。

 今の世界における「権力」というのは、ほとんど資本を指す。潤沢な資本こそが影響力になり、影響力が資本になる。信用経済だなんて言ってフォロワーを増やして、結局金に買えるのかい。影響力をf(x)にぶち込んで資本を獲得するならば、それは信用経済じゃない。立派な「お金稼ぎ」だ。やっぱりr>gから出られないんだ、ピケティをギャフンと言わせることはしばらくできなさそうだ。

 権力の何が気にくわないのか。資産をつくり、ビジネスモデルを構築し、資本を投下し、膨らんだ富を再投資する。「過去の頑張り」つまり歴史的コストを価格に勘定する以上、歴史的積み上げには勝れない。つまり、権力もr>gで、格差は拡大の一途。rもgもよく知らないけど、たぶんそうだ。そういうところが気に入らない。

 facebookはすごい。世界に新たなプラットフォームをつくり、誰しも公平にソーシャルキャピタルを育めるネットワークをつくった。ように見えた。どこかの国が、facebookのフィードに政治意見を傾かせるような広告を流した。資本で「政治的意見」を買い取ったわけだ。国民に対して公平であるはずの国家の意思決定「政治」ですらも、r>gな不平等。rもgもよく知らないけど。なんども言わせるな。

 テクノロジーの台頭を通して、世界は中央集権から非中央集権への歴史的大移動を始めているように見える。その流れは、自然だとも語られる。物理法則ではエントロピーは増大するからだ。しかし現実は、言説と大きく異なる。いくら自律分散をつくろうと言ったって、言い出しっぺがマージンを取るんだ。マージンはそのまま格差へ。もう言わなくていいよね?r>gだ。意味は知らない。興味もない。

 自律分散的な世界を目指すのに、中心がいるのが面白い。大学生の大喜利みたいだ。官僚的な、中央集権を廃すると声を大にする「実態を持った営利組織」が主役として存在しようとする。ここにまた矛盾。人間は、エントロピー増大に反する。物理学世界の真理を、無視して生きる。細胞の核は、分散しないように薄いうすい膜をつくり、浸透圧だけ調整して真理から逃れている。だから、人間には必ず「死」が待っている。鋼の錬金術師で習ったろう、真理に歯向かうと対価を必要とするんだ。膨大で絶望的な対価を。矛盾には、対価が求められる。

 矛盾に取り組もうというのはそれほど、エネルギッシュでラディカルな作業なのだ。ちょっと頑張ったらどうにかなってしまうという規模の話ではない。しかしラディカルすぎてもいけない。不自然だ。自然なエネルギッシュ、しなやかなラディカルさが求められる。

 矛盾に取り組むというのは、実質的には「実態」を伴なえないビジョンなのかもしれない。「個」や「利己」が入り込んだ瞬間に、公平な世界は破綻する。自律分散的な世界に偏りが生じる。ひずみは、一気に大きくなる。解れた糸から、気がつけば着れないほど穴が広がるセーターのように。自然に、静謐に、それでいて順調かつ効率的に絶望は広がる。それが2019年の世界。

 ジョージオーウェルが1948年に「1984年」を書いた。2019年の今、物語を書くとしたら「2091年」だろうか。「1984年」は、1948年を揶揄する物語を、全体主義の悪と混沌さを、世界のシステムの脆さを描いた。今一度、まるで世界がテクノロジーによって公平な希望へと向かう表情を見せているからこそ、世界のシステムの脆さを書いた作品が必要だな、と思う。2091年に、2019年を投影させたような作品が。効果的な揶揄が。

 残念ながら、このアカウントにはジョージオーウェルほどの影響力はない。もちろん、狼だぬき本人にもない。何しろ、狼の着ぐるみを脱げない程度の、気の小さい人間だ。無名で、貧乏で、浅はかで、怠惰で、独善的で、醜悪な、自己肯定感が低いようで実は自己確信に満ちたどうしようもない、1人の無力な若者だ。能力も経験も資本も時間もなくて、「2091年」はとても書けそうにない。来世に期待しよう。高橋優が「明日はきっといい日になる」と歌った。高校で習った帰納法を使えば、来世はきっといい世になるはずだ。来世が明日の延長にあるのであれば。

 今の欲望を記す。個人的で暫定的な、世界への提案。不公平な世界への解決策。「苦肉の策」を広辞苑で引くと例文で出てきそうなそれ。ぼくは「価値観」になりたい。なるべく公平で、希望を与え、抽象的で、信仰可能で、人々を縛らず、つよすぎる影響力も持たず、かといって看過できない変化をもたらすような「価値観」になりたい。具体的で、それこそ資本を繰り返し投資するような具象性を破棄した、抽象的な概念。広く共有されたエピソードであり、しかし特定の誰かの物でもない物語。アンデルセンの童話くらい知られていて、日本昔話やギリシャ神話くらい所有者を持たないような。得られる教訓。倫理性。価値観。人々の世界が少しでも豊かに、公平に希望のある社会になるための、システムに作用する薄く平べったい価値観。特定の独善的な世界への引力を持たない美的感覚。正義感。彫刻のコンセプト。世界をリセットしリスタートさせる起き抜けの朝日。

 もし、「2091年」を書くことがあれば、「価値観」を主役にしてみよう。いや、それはもはや主役とは言えないか。ゆるく紐帯によってつながる価値観の上で、生きる複数の世界観。世界観は、否定はせず、干渉しすぎず、それでいて協力的に価値観の上でお互いを包摂し合う。それぞれの世界観が主役かもしれない。世界観のインクルージョン。インクルーシブ世界観。そのような世界は、デジタルではなくアナログで、離散的ではなく連続的で、0でも1でもない中間的なものにも公平に希望を希求する権利を与えているかもしれない。2091年の世界で、ぼくは価値観になりたい。主役にならない下地的存在。r>gを採用しない価値観に。rもgも、やっぱりよく知らないけれど。

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