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本に印をつけるか問題

皆さんは本を読むとき印をつけたり書き込んだりしますか。

私はページの角を折ることにはあまり抵抗がないんですが、書き込むとなると途端にハードルが上がります。畳に土足で上がろうとするくらい「やってはいけない」感が強い。

でも読書術には、感想や気づいたことをどんどん直接書き込む方法もありますよね。そのとき何を思ったか、鉛筆なりペンなりですぐに書いてしまえば発想を忘れずに済んで便利です。論理的に考えれば確かにそうだ。

頭では理解しても、どうしても感覚が「それをしたくない」。うーん。


その本を売る日が来るから?

一番大きな要因は、いつか古本屋に売る日が来るだろうと予想するからです。長く読むかもしれないけれど、一生持ち続けるのか分からず、たぶんどこかで手放したくなる。そのときお世話になるのはきっと古本屋なので、書き込みがあると値段がつきません。

値段がつかないと割り切ればいいか、というとそうでもなくて、自分の工夫次第でちょっとお金になるのであれば、きれいに読んできれいに譲りたい。差がほんの数百円、数十円だとしても気になるところです。

その本を売らないのであれば?

未だ実践していない書き込み法を考えるようになったのは、大学院に受かって「これから山ほど資料を読むんだろうな」と思ったからです。

今まで趣味で買って読んでいた本は読み終えて売るのが習慣でした。家の本棚には限りがあり、それでも読みたい本はどんどん出てくるので、やっぱり処分しながら読まないと家中が積ん読だらけになってしまいます。

でもこれからは本の購買サイクルが変わります。参考文献として使いたい本があれば売ることはなく、自分の手元に残すケースが増えるはずです。

ということは、書き込んでもいいかもしれない。むしろ書き込みまくって"自分の本"にしてしまうくらいがちょうどなのかもしれない。

でも(逆接ばかりだ)、少し奮発して買った貴重な古本に鉛筆書きでも自分の書き込みを入れるのはどうなんだろう。誰も止めないけれど、何かが咎めるこの気持ちは何だろう。

たぶん書き込んで使ったほうが便利で、調べものも楽になる予感はします。それでもまだ手が止まるんですよねえ。

『ガラスの仮面』の月影先生を思い出す

ああでもない、こうでもないと悩んでいて、思い出すのが『ガラスの仮面』の月影先生の言葉です。

『ガラスの仮面』は、演技の天才少女・北島マヤが主人公。彼女の実力を見出した過去の名女優・月影千草がさまざまなレッスンや経験から彼女を鍛えていくストーリー。最初のほうで、経済的に恵まれていない北島マヤが月影先生が主宰する劇団に入るエピソードがあります。

マヤ「これは…これはおばさんの…」
月影「そう わたしの演劇研究所です 3週間後に最初のレッスンが開かれます」
マヤ「おばさん いれてください!あたしをこの劇団へ!入学金や月謝はあとで働いてきっと返します!」

『ガラスの仮面』第1巻

この後の月影先生の台詞がいつも頭に浮かびます。

月影「あとで働いて…?あなたは将来なにをして働くつもりなの?」
マヤ「……!」
月影「演劇をやりたいというのは趣味なの?お芝居をしていると楽しくて だからそのためにやりたいの 遊びなの? 大人になったらどうするの?!演劇をやめて働くの!!」

『ガラスの仮面』第1巻

マヤちゃんは「いいえ!!」と遮って「あたし女優になります!」とこのマンガのキーとなる重要な言葉を叫びます。

本に印をつけるかを考えたとき、決定のスケールは違うけれどこのシーンが浮かんだんですよね。「あなたは何のために本を読むの?」「古本屋へその本を売って何の足しにするの?」と心の月影先生が詰問してくる。

未実践だけれど、たぶんつける

自分の情報収集の手順から考えて書き込み法が不便なのであれば、それは選択する価値がありません。逆に書き込んだメリットが得られると思うなら、それはやっぱり書いて確かめて文献を活用するのが得策です。

分かっているけれど手が動かないという段階なので、たぶん近い将来、書き込みながらの読書を始める気がします。一回始めないとずっと気になってしまいます。そのときは、まずは消せる鉛筆から。



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